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nmmn・捏造注意
バケツをひっくり返したような、というのはきっとこういう雨のことを言うのだろう。
夕方、予報になかったゲリラ豪雨が街を襲った。駅前の、すでにシャッターの降りた古書店の小さな軒下に滑り込み、途方に暮れていた。スマートフォンの画面を見ても、雨雲レーダーは真っ赤なままで、しばらく雨が止む気配はない。冷たい飛沫が足元を濡らすたび、小さく身を震わせる。
「…….あちゃ、これは酷いな」
すぐ隣に、滑り込んでくる影があった。
ハッとして顔を上げると、そこにいたのは仕立てのいい紺色のスーツを綺麗に着こなした、背の高い男性だった。濡れた髪を軽く手で払いながら、困ったように眉を下げて笑っている。その手には、コンビニで買ったばかりとおぼしき、新品のビニール傘が一本握られていた。
雨の音が、世界の雑音をすべてかき消していく。まるで、この狭い軒下だけが世界から切り離されたかのような、奇妙な静寂が二人の間に流れた。
『驚かせてしまってすみません。少し、雨宿りさせてくださいね』
男性は自分に気づくと、品のある動作で軽く一礼した。
低く、よく通るのに、どこか耳に心地よい穏やかな声だった。
「いえ、どうぞ…….。本に凄い雨ですね」
『ええ。これでは、傘を差して歩いても一瞬でずぶ濡れになりそうです』
男性はそう言って、手元の一本のビニール傘を見つめた。それから、寒さに肩をすくめている自分の足元に視線を落とす。
『……寒そうですね。良ければ、これを使ってください』
男性はそう言うと、まだ一度も開かれていないビニール傘をパッと広げた。そして、自然な動作で、その傘の半分を頭上へと差し掛けたのだ。狭い軒下で、男性の身体がグッと近づく。ふわりと、雨の匂いに混じって、気品のあるシトラスとウッドの香水の匂いが鼻腔をくすぐった。
「あ、でも、それではあなたが…….」
『私は大丈夫ですよ。こう見えても頑丈ですから』
彼は悪戯っぽく笑い、自分の右肩が雨に濡れるのも構わずに、傘を私の方へと傾けてくれる。
互いの名前も、何をしている人なのかも知らない。ただ、同じ雨に降られ、同じ軒下で雨が弱まるのを待つだけの関係。
「お仕事帰りですか?」と彼が訊き、自分が答える。そんな他愛のない、ぽつり、ぽつりとした会話が、激しい雨音に溶けていく。彼の纏う空気はどこまでも温かく、大人の余裕に満ちていて、いつの間にか雨の憂鬱さを忘れていた。
しばらくして、ほんの少しだけ雨脚が弱まった。それでも、まだ普通の雨傘では心許ない強さだ。
男性は、細い手首に巻かれた腕時計をそっと確認すると、何かを決意したように自分を見た。
『さて……私はそろそろ行かなければなりません』
「
えっ、でも、まだかなり降っていますよ?」
引き留めるように言うと、彼は微笑みかけ、持っていた傘の柄を、自分の手にそっと握らせた。
『これ、使ってください』
「そんな、ダメです!だったら一緒に駅までーー」
『いいえ』
彼はそっと人差し指を自分の唇に当て、言葉を遮った。
『私は、すぐそこが会社ですので。本当に、走ればすぐの距離なんです』
それは、あまりにも自然で、一点の曇りもない優しい笑顔だった。
『大人が雨に濡れるのは、そう悪いことではないですよ。…….どうか、お気をつけて』
じゃあ、と短く言い残し、彼はスーツの上着のボタンを一つ留めると、そのまま激しい雨の中へと躊躇いなく駆け出していった。
「あ、待ってーー!」
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声は、手び強くなった雨音にかき消される。
雨の中、濡れていく彼の広い背中が、またたく間に白く煙る街の向こうへと消えていった。
手元に残されたのは、ビニール傘が一本。
握りしめた柄には、ついさっきまで彼が持っていた、確かな体温が残っていた。
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