【開幕】俺達がスポットライトを浴び辞儀した時、観客からの拍手は無かった。ただ絶叫だけが劇場に響く。舞台袖にいた時よりも強く耳に訴えかけてくる歪んだメロディーは、俺の恐怖心を煽る。
相変わらずヴァイオリンを持つ手は震えたままだった。失敗するかもしれないという不安が、ずっとずっと脳を巡る。怖くて仕方がない。
舞台の中心に立つ俺にスポットライトが集中する。光の隙間から見える観客は変わりなく混沌に満ちており、俺自身を嗤っているのではないかと錯覚してしまう。舞台袖ではあまり聞こえなかった直接的な客の怒号とゲラゲラした嗤い声が、どうしようもないほど怖かった。忙しない客席に急かされて音羽の方を見ると既に着席しており、俺待ちのようだった。
弓を構える。弦を抑える指先が冷たすぎて、弓を持つ手が震えすぎて、周りがうるさすぎて。それはもう恐怖だった。……あぁそうだ、このピアニストに会った時もそうだったっけ。扉を持っていた手が震えて、ノートを持っていた指が冷たくて……なんて。
いつもの呼吸の何倍もの息を吸う。さっきまで酸素を拒絶していた肺は難なくそれを受け入れた。合図と共に弓を引く。首筋に、汗が伝う。自分のヴァイオリンの音がこの音楽堂に響き渡るのがなんとなく分かった。一音一音が怖かった。ただ無我夢中に音を奏でる。だがその音がピアノと合っているかは分からなかった。緊張しすぎて、怖くて、ピアノの音が聞こえない。一番近くで聞いているはずなのに。自分の音さえちゃんと認識出来ていなかった。あの不快なフルートが脳髄を巡って、訳がわからなくなる。けど。
弓を強く持った。決して落とさないように、間違えないように。音羽に握ってもらったその手を、もう一度硬く結ぶ。地に足を踏み締める。こうして立っていることが、音楽と共に生きている証なのだ。スポットライトの光が眩しい。周りが何も見えない。ただ、恐怖の感情は消えていた。もう、手も震えていない。神経が感動を覚えていた。感情が足の先から昂ってくるのが分かる。音楽と心臓が共鳴する。俺の音が、舞台を揺らす。
一曲が、終わる。
会場に拍手が響き渡る。
顔を上げてみれば先ほどの混沌が嘘かのように客は客席に座りこちらを笑顔で見つめ、拍手を送っていた。あの忌々しいフルートの音も、気づけば聞こえなくなっていた。あんなに脳を焼いていたのに、もうどんな音だったか思い出せない。
体から力が抜けていく。弓を下ろした俺に、一層拍手が高まる。
「音羽……!」
感動で思わず声が出てしまう。後ろを振り返り、応答を求める。
そこに、あのピアニストはいなかった。
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一旦ここまで💖見てる人いるか分かりませんが… 別のところから引用したので一部改行が。。ごめんなさい…