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カレンに抱えられたまま連れていかれた先の部屋は、思わず言葉を失うほど豪奢だった。
天幕のついた大きなベッドが部屋の中央近くにどん、と鎮座していて、その周囲を取り囲むように、彫刻の施されたクローゼットや鏡台、テーブルにソファ。どれもこれも明らかに高級品で、木目ひとつとっても私の世界の家具とは密度が違う気がする。
床には柔らかな絨毯が敷かれていて、足を下ろすだけで体の重みが少し吸い込まれるようだった。
私が買った家のリビングよりも確実に広い。視線をぐるりと一周させたところで、改めて「カレンは王女なんだ」と、頭では分かっていたはずの事実を体感させられた。
「大丈夫? これ、他3竜の魔石」
ベッドの縁に座らされると、カレンがそっと私の手のひらに、硬い何かを三つ転がしてくれた。
大小はあるけれど、どれも澄んだ輝きを宿した魔石だ。掌の上で、ひやりとした感触が伝わってくる。
「ありがとう……これを……どうすればいいんだろう?」
指でつまんでみても、ただの石を握っているような感触しかない。
握力を込めても砕ける気配はないし、魔力を通しても特に反応はない。
口に含んでみるか……? と、これまでの経験から割と乱暴な結論に至り、そのまま一つを口に放り込んだ瞬間――魔石はとろりと溶けて液状になり、喉の奥へと滑り落ちていった。
うん、いつもと一緒か。
ただ、感覚的にはもっと時間が経っているはずなのに、魔石の魔力は取り出したばかりみたいに新鮮だ。もう30分以上は立っているよな……?
『回答します。該当の3種の魔石は取り出されてから時間が凍結されていました』
頭の中に響く声が、淡々と補足情報を告げる。
……なるほど。よく分からないけど、次元の袋みたいな感じで時間を止めて保管していた、と思っておけばいいだろう。
だったら、躊躇していても仕方がない。
立て続けに、残りの二つも一気に飲み込んでしまおう。
3つ目が喉を通った瞬間、体の内側で魔力が暴れ出した。
滝から降り注ぐ水を、バケツ一つで受け止めようとしている――まさにそんな感覚だ。
押し寄せる膨大な魔力が血管を駆け巡り、全身を内側から押し広げてくる。冷汗が背中を伝い、手足の指先までじんじんと痺れた。
「あーちゃん、落ち着いて。辛いけど、魔力が漏れないようにあーちゃんの体に結界を張るね」
カレンが背中にそっと手のひらを当てた瞬間、堰き止められた魔力の圧が一気に増した。
思わず歯を食いしばる。
初めて魔力の循環を覚えたとき以上の、不快感と苦痛に顔を歪めた。
その背中に、もう一つ、柔らかな手が添えられる。カレンの母さんの魔力だ、とすぐにわかった。
「体に流れる魔力を全て循環させて自分のモノにしなさい。そうじゃないとあの人には勝てないわよ」
耳元で落ち着いた声がする。
言われるがままに、私は必死に魔力の流れを意識する。
体の中に存在しているはずなのに、今まで触れたことのない「道」が、無理やりこじ開けられていく。
塞がっていた部分が押し広げられていく苦痛。筋肉が裂けるのとも骨が軋むのとも違う、もっと根源的な痛み。
――でも、こんなものは、大切なものを守るためなら屁でもない。
私の中で、そういう結論に達している自分がいた。
己の限界を、自分で決めるな。どうせ壊れるなら、その先まで行ってから壊れろ。
三日三晩続いた魔力の循環は、結果として大成功に終わった。
最後の一滴まで飲み干したような感覚と共に、体の隅々にまで魔力が染み渡っているのが分かる。
余すところなく全て取り込みきった充足感が、骨の髄までじんわりと染み込んでくるようだった。
「うん、流石【器】持ちね。出力の制御と細かいコントロールは後日教えるわぁ」
「恩に着ます。カレンの母さん」
「あらぁ、お義母さんでいいのよ?」
「お母さん!!!」
カレンが顔を真っ赤にして叫んだ。
カレンの母さんは楽しそうに笑いながら、ひらひらと手を振って部屋を後にする。
ベッドに腰掛けたままの私の手を、カレンがぎゅっと握り、そのまま正面に座り込んだ。
「あーちゃん。焦る気持ちは分かる。でも、急に強くなれるわけじゃない」
「……しみじみと思い知ったよ。井の中の蛙だったんだってね。あれは、私の完敗だ」
言葉にしてしまった途端、肩の力が抜けてぐたりと落ちた。
自分で言っておきながら、改めて突きつけられる現実に、少しだけ胸が痛くなる。
けれど、考える時間は嫌というほどあった。
三日三晩、魔力を循環させながら、私は【全知】と延々と問答していたのだ。
私が持っているスキルと、【器】という存在について。
どうやら今の私は、それらをまだ「扱い切れていない」状態らしい。【全知】が淡々とそう告げるたび、画面の向こう側で神々がざわめき、様々な反応を示していた。
――良かった。まだ伸びしろがある。
そう思えるだけの余地を、自分に見つけられたのは大きい。
「ん。元気、だそ?」
「あぁ、うん。もう大丈夫だよ」
心配そうに顔を覗き込んできたカレンを、私はそのまま抱き寄せた。
温かい体温が伝わってくる。
安心したように肩の力が抜けて――次の瞬間、そのままベッドに押し倒された。
「……カレン?」
「あーちゃん、ここ私の部屋。そしてベッドの上……据え膳食わぬは私の恥」
「変な言葉ばっかり覚えてるんだから……。今回だけ、だからね」
呆れ半分、諦め半分でそう返すと、カレンの耳が嬉しそうにぴくりと揺れた。
魔界に来て13日間。
正直な話、ほとんど生きた心地がしなかった。
死を恐れず、生をかなぐり捨てて戦い続けた10日間。
その後の3日間は、苦痛と不快感に延々と付き合い続けた。
それらが確かに自分の糧になっていることは頭で理解しているけれど――それでも、今この瞬間だけは、ちゃんと「生きている」実感が欲しかった。
だから私は、何もかも委ねるように、カレンに体を預けた。
それから色々あって――と一言で言うには、あまりにも濃すぎる日々が積み重なり、魔界に来てから5年の月日が流れた。
最初の1年は、ひたすらカレンとだけ戦った。
急激に変わってしまった体の出力に、自分の感覚が追いついていなかったからだ。
力を抜いているつもりでも床を砕いてしまったり、逆に「全力」のつもりでも魔力の乗せ方がばらついてしまったり。
カレンの父さんの戦い方を聞いて、カレンと模擬戦を重ねて、少しずつ自分の力の「扱い方」を身体に覚え込ませていった。
その後の4年間、私は毎日カレンの父さん――魔王に挑み続けた。
結果は――1万2376戦、1万2375敗、1勝。
数だけ聞けば笑い話みたいだが、そのどれもが命を懸けた真剣勝負だった。
文字通り、死にかけた回数の方が多い。
そして、ついに今日。
私は初めて、その背中に剣を届かせた。
膝をついているカレンの父さんと、その喉元に剣を突き付けている私。
この光景だけで、どちらが勝者かは誰が見ても分かるだろう。
「儂が、負けた……」
低く、絞り出すような声が漏れる。
それでも、声に悔しさよりもどこか晴れやかさが混じっているのを、私は聞き逃さなかった。
「やっと勝てた。私を元の世界に帰して」
握る剣に、自然と力がこもる。
この勝利は、そのために積み重ねてきた年月の証だ。
「カレン!! お前の婿を認めよう。そして、儂は王座を退く」
「は? 話が見えてこないんだけど」
予想外の方向から飛んできた宣言に、思わず素っ頓狂な声が出た。
「何を言うか。王位継承権1位のカレンと婚約し、現王座の儂を退けた。この国伝統の王座変動の決闘ではないか」
何も聞いていない。
いや、聞いていたとしても理解したくなかった可能性はあるけれど、それはそれとして聞いていない。
カレンの方を見ると、視線を逸らしながら、吹けていない口笛を頑張って吹いている真っ最中だった。
一瞬で距離を詰めて、私はその両肩に手を置く。
「カレン? 私は知らないんだけど」
「あーちゃん……無知は罪だよ?」
「よくそんな難しい言葉まで覚えてるね……」
呆れたような顔で返すと、カレンはにへら、と笑ってごまかした。
視線を横に向ければ、カレンの父さんと母さんが、満面の笑みを浮かべてこちらを見ている。
完全に、仕組まれていた事だったのだろう。
諦め半分でカレンの頭をくしゃくしゃに撫で回し、改めて二人に向き直る。
「王だのなんだのは勝手にして。ただ、魔界に居るわけにはいかない。私は――」
「知っておる。帰る、のだろう? 全てが終わったら一度、魔界に来い。その時に王位を正式に継承する」
「……わかった」
このぐらいは譲歩しないと駄目だろう。
ここで駄々を捏ねて「やっぱり帰さない」なんて言われたら、しんどいのは間違いなく私の方だ。
また戦いで決める羽目になったとして、その時に今日と同じように勝てる保証もない。
「うむ、ではゲートを開こう……」
「ありがとう」
魔王が静かに立ち上がると、空間がざわりと揺れた。
床の中央に、見慣れた紫色の裂け目――ゲートが開き始める。
「そうだ。闇竜と同じく火竜と土竜がアラミスリドの手に落ちておる。殺して【器】に力を取り込むとよい」
厄介なことを押し付けられたように思えたけれど、【器】の残りの枠が火竜と土竜であることを思えば、むしろ歓迎すべき情報だ。
どうせいつかは倒して取り込む必要がある。相手が分かっているぶん、準備もできる。
「ん、またねー」
「じゃあね、お義父さん、お義母さん」
軽く手を振って、私とカレンはゲートの中へと足を踏み入れた。
入ってきた方向とは反対側から、白い光が差し込んでいる。
胸の奥が自然と逸る。足が早まるのを止められない。
駆け足になりながら出口へと抜けると――そこは、私の知っている「家」の周囲ではなかった。
見渡す限り、瓦礫しかない場所だった。
建物の残骸が折り重なり、歪んだ鉄骨が空を刺す。
雪の代わりに灰のようなものが舞い、風が吹くたびに、がらがらとどこかで崩れ落ちる音が響いていた。