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僕は、自分が長く生きられないことを、ずっと前から知っていた気がする。
誰かに告げられたわけじゃない。
けれど、朝起きて息ができることよりも、次の朝もまた目を覚ませる保証のないことのほうが、ずっと身近だった。
季節の変わり目ごとに熱を出し、ひと冬越えるたびに身体は痩せていった。
周りは大丈夫だと言ったし、治るとも言った。
けれどそれが慰めでしかないことくらい、子どもの僕にもわかっていた。
だから死ぬことは、恐ろしくなかった。
生きることのほうが、少しだけ難しかった。
そんな僕のもとへ、ある日ひとりの来客があった。
狐だった。
庭先に金色の毛並みが揺れていると思ったら、次に瞬きをした頃には、人の姿になっていた。
ずいぶん勝手な来訪者だった。
山で採れたらしい薬草を腕いっぱい抱えて、どこか得意げな顔で立っていた。
それが、僕たちのはじまりだった。
彼はよく来た。
何か理由をつけては現れて、薬草を置いていった。
効くかどうかも怪しいものばかりだったけれど、僕は黙って受け取った。
それを断ってしまえば、彼が来る理由まで失われてしまう気がしたから。
お狐様は優しいね。
そう言うたび、彼は少し困った顔をした。
まるで褒め言葉に慣れていない人みたいに。
それが少しおかしくて、僕は好きだった。
好きだった、というのが正しいのかはわからない。
けれど、彼が山の匂いを連れてくるたび、少しだけ息がしやすくなった。
彼の話す明るい声が、よく効く薬より身体に馴染んだ。
それだけは確かだった。
どうして名前を聞かなかったのだろう。
何度も思った。
けれど、聞けなかった。
名前を知ってしまえば、この時間に終わりができてしまう気がした。
お狐様、と呼んでいるうちは、まだ曖昧でいられる。
曖昧なものは、案外長持ちする。
だから僕は、そのままでいた。
冬が来た。
雪の降る日が増えるにつれ、身体は目に見えて動かなくなった。
咳をするたび肺が軋み、眠っても疲れは取れず、目を覚ますたび、まだ朝が来てしまったのかと思った。
もう長くないのだろうと思った。
それでも、不思議と心残りがあった。
死ぬことより、置いていくことのほうが苦しかった。
彼のことだった。
もし僕がいなくなったあとも、彼は山へ入るのだろうか。
また誰かのために薬草を摘むのだろうか。
それとも、何事もなかったみたいに笑って生きていくのだろうか。
そのどれも想像できなかった。
雪の夜だった。
彼はいつもより静かだった。
窓の向こうに降り続く白さより、その沈黙のほうがずっと冷たかった。
僕は知っていた。
彼が泣いていることを。
だから最後に、ひとつだけ願った。
名前を知りたかった。
来世があるなら、その時に呼べるように。
そんな口実を使ったけれど、本当は違う。
ただ、知りたかったのだ。
僕のために山を歩き続けた人の名を。
彼はしばらく黙っていた。
それから、泣いていることを隠すみたいに笑って、
伏見ガク、と名乗った。
その音が、胸の奥へ静かに沈んでいく。
雪が積もるみたいだった。
ガク。
声にしてみる。
たった二文字なのに、不思議なくらいしっくりきた。
いい名前ですね、と言った気がする。
ちゃんと届いていたかはわからない。
もう視界はぼやけていて、彼の輪郭も滲んでいた。
最後に見えたのは、笑っているのに、ひどく泣きそうな顔だった。
ああ、やっぱり優しい人だと思った。
きっと本人は嫌がるだろうけれど。
僕はその人に何ひとつ返せなかった。
薬草をもらって、
時間をもらって、
ひとりで死ぬはずだった夜に、隣にいてもらって、
それなのに何も返せないまま終わってしまう。
せめて来世で返せたらいいのにと思う。
もし本当にまた巡り会えるのなら。
今度は僕が見つけたい。
彼が名乗るより先に、その名前を呼びたい。
そうして、あの困ったような顔で笑う彼に向かって言うのだ。
また会えましたね、と。
その約束だけを抱いて、僕は目を閉じた。
コメント
2件
初コメ失礼します! どっちの視点も描けるのマジで尊敬です‼️ 二人の関係性が儚い感じ大好物です💞 続き待ってます!!✨
ああもう、これ…… めっちゃ刺さったわ…… 「名前を知ってしまえば終わりが来る気がした」って感覚、ものすごくわかる。 伏見ガクって名乗るシーン、雪みたいに胸に沈むっていう表現が美しすぎてやばい。 この短い間でこんなに心掴まれるの、ズルいって。 「また会えましたね」って言える来世、絶対あってほしい😭