「こんなところにいた」
「!」
誰かに左手を握りしめられた。拳を振り上げていた右手が止まり、振り返る。白髪の長身男、アルマが立っていた。僕は思わず右手を下げる。
「アルマくん!?いつのまに……」
なぜか彼が手を握りしめた瞬間、正気に戻っていた。怒りが湧いていたことが嘘かのように、気持ちが安らいでいる。一体何が起こったのだろうか? 理解に苦しむ。もしかして彼には怒りを沈める何かがあるということなのか? それが正しい推理なら、彼がいることで自分の感情をコントロール出来るようになるのではないか? こんなことを考える自分はなんて幼稚なんだ。囚人がいなくなれば、また感情がコントロールできなくなるだけ。
僕は戸惑いを隠すように鼻息を鳴らして、2人同時に食堂から出る。廊下を歩きながら、誰もいない時を見計らい復讐についての話をする。
彼は廊下の真ん中で立ち止まり、僕の方を見てきた。相変わらず表情が変わらない。頬筋がピクリとも動かない。
「なあ、一つ質問していいか?」
「何?」
「どうして犯人に復讐したいと思うんだ?」
思ってもみなかったことを尋ねられて、肩が震える。声が少し震えつつも、それを隠すように強く主張した。
「それは母親の仇打ちだ。母に何度も人を助けろって言われたから、彼女を助けるために」
「綺麗事だな。復讐しても彼女は帰ってこない」
話している最中に彼が割り込んでくる。その言葉に目を見開いた。確かに彼の言う通りだ。母は既に死んでいる。でも、復讐しないと僕の心が休まらないんだ。
アルマがこちらに向かってきて、睨んでくる。
「お前が被害にあったのは小学2年生の頃。あれから10年以上経ってるのに、なぜいまだに憎悪を持っていられる? 普通、そんなことが起きれば母親が死んだ悲しみか殺されたという後悔に支配され、忘れたくなるはずだ。そんな重み、精神的に耐えかねないからな。なぜ斬られても恐怖ではなく憎悪を持ったんだ?」
「それは……」
「もしずっと憎しみを持ち続けることができるなら、本人に何かあるはずだ。もう一度幼少期について考えてみろよ。もしこちら側なら幼少期に何かあったはず。お前は母親のこと、どう思っていたんだ?」
「か、母さんは優しかったんだ。ずっと一緒にいたいと思ったよ」
「たわけるな。本当はそう思ってないくせに。お前は自己満足のために復讐したいだけだ。母親を出しに使ってな。それでも復讐したいなら手伝ってやるよ、どうする?」
心臓付近を指で押されながらそう言われて、何も言い返せなかった。唇が震えて、頭の中が真っ白になっていく。彼の言う通り過ぎて、恐怖を感じてしまう。なんて恐ろしい男なんだ。心臓が抉り取られる心持ちがして、吐きそうな気配に襲われる。何度も否定するが頭の中を掻き乱され、よく分からないモヤモヤした感触がした。でも……。
「自己満足でいい。復讐したいんだ、頼む」
掠れる声で彼の服にしがみつく。目から涙が滲んだ。確かに母親は帰ってこないけど、僕は仇打ちをして自分だけで完結。すっきりしたいんだ。
そんな気持ちを読み取ったのか、彼は僕の肩に軽く手を乗せる。衝撃的なことを口にした。
「そうか。分かった、手伝ってやる。ヒロキは囚人たちと何ら変わらないって、理解できたからな」
「それはどういう意味?」
「自分が正義だと思っているところから」
手を払うのも忘れて、一歩下がる。この男はなんて鋭いんだ。恐ろしすぎて身震いした。
僕が頭真っ白になって暴れる原因も、悪を退治する正義感から生まれている。何も返せなくなり、体全身が震え上がった。こいつを敵に回したらまずい思うと共に、彼のスピーチの凄さを実感。社長になれたのもわかる気がした。
2人で誰にも見られない柱と柱の間に座り込み、蛇の刺青を待つ男に復讐する方法を考える。たくさん案が出たものの、どれも実践できるか分からないものばかり。そしてアルマからこんな話が出てくる。
「そうだな。まず罠をわざと仕掛けて、そいつを助け仲良くなるんだ。仲良くなってからあいつを裏切ればいい。怒りマックスになると思う」
「でもどうやって裏切れば?」
「色々方法はあるが、他の囚人と仲良くしているのを見せつける。冷静に考える奴でなければ、何をしているのか聞くだろう。そして『仲良くする気はない』オーラを放ってボコボコにぶん殴る。単純な奴ならカンカンだろうね。彼は仕返しに来るはずだ。そこを狙い、彼を締め殺して終わりって感じかな……成功するとは思えないが、してみる価値はあると思う」
「僕に出来るかな……」
自信がなくなって、肩を下げて俯く。彼は慰めるように頭を撫でて、抱きついてきた。体と体が少し合わさって温もりを感じ、ホッと息をつく。アルマといると、落ち着きを取り戻せる気がした。
立ち上がって廊下へ進もうとしたら、咄嗟に腕を掴まれた。後ろを振り返ると、アルマが無表情のまま立っていた。腕を掴む力が一層強くなる。
「1つ言っておく。ボコボコにぶん殴るというのは、比喩だ。あいつの弱点を握れ。そうすれば奴は恐怖心で震え上がり、復讐しやすくなる」
眉に力を入れてコクリと頷くと、彼は僕の腕を離した。廊下に向かって歩き出しても、彼はついてこない。計画に協力してくれると言ってくれたのに、どういうことだろうか?
「どうした? 早く復讐相手を見つけなよ。もしかして二人でするつもりだったのか? 甘ったれるな。俺は計画を練ったまで。復讐そのものに関与しない。人に頼ったら、裏切られるだけ。最悪死ぬぞ?」
脅されて、背筋に冷や汗をかいてしまう。顔が青ざめていく。確かに彼の言う通りだ。この復讐は自分の問題であり、彼には関係ないこと。巻き込むのはよくない。
僕は拳を握りしめ、廊下を走った。
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