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格式よりも華美を誇張したシャンデリアの灯る下、教科書通りの微笑みを貼り付けたボーイから受け取ったシャンパンを片手に、青年はこれまた着飾った身なりの男女が往来する様を壁際から眺めていた。
男にしてはやや小柄な体型。歩けばサラリと流れる絹糸のような黒髪は艶やかに光を受け止め、何かを探すように揺らめく大きな瞳は、ふさりとした睫毛に飾られている。
身に着けているのが男性用のスーツである事から『青年』であるとわかるが、幼さを感じさせる顔立ちも相まって、中性的な雰囲気を醸し出していた。
おそらく一部の人間からしたら限りなく目を引く存在だろうに、取り巻きの一人もなくこうして佇んでいられるのは、ひとえに彼の会得している『技術』によるものである。
(……いた)
青年の瞳がピタリと固定された。先にはこのパーティーの主催者である恰幅のいい中年男性が、赤いドレスを纏った女性に身振り手振りで執拗に話しかけている。
おそらく、社長たる自身の功績でも誇示しているのだろう。ギラギラとした双眼にはあからさまな欲が浮かんでおり、あのおねーさんも大変だな、と、青年は立場上無碍にも出来ずに愛想笑いを続ける女性に心底同情した。
が、青年が探していたのは彼ではない。その斜め後方ではフレームの細い眼鏡をかけた、いかにも堅実そうな風貌の男が、他会社の重役と思われる白髪の男性と言葉を交わしている。
年齢は三十代半ばだったか。若くして重役まで上り詰めた、社長ご自慢の息子である。
それでも身内贔屓と社内での不満が募らないのは、男が『人格者』であり、誰もが納得させざるを得ない手腕を兼ね備えた実力者であったが故だ。
真面目で、理知的。こういったタイプは案外チョロいんだよなと、青年はシャンパンをカクテルに取り替えた。
(さて、そろそろ頃合いかな)
未だ女性に夢中な社長に断りをいれ、男がパーティー会場の扉へ向かって歩いて行く。
先回りをして扉外で待機していた青年は、男が会場から踏み出た所でさり気なさを装ってぶつかった。
「っ、失礼」
「こちらこそ、って、すみません!」
男の胸元を派手に濡らしたカクテル。
青年は慌てて胸ポケットからハンカチーフを取り出し、男へと押し当てた。
「ああ……おれ、なんてことを……っ!」
「いえ、こちらも不注意でした。上に着替えもありますし、お気になさらず」
青年には到底手が出せないだろう上等品のスーツを汚したにも関わらず、怒りを一切滲ませること無く気遣ってくる男に、青年の胸中で微かな罪悪感が過ぎった。
でも、『仕事』だからごめんなさい。
これから自身の行う行為にまんまと引っかかるであろう男に胸中で謝罪を述べ、青年は意図的に涙ぐませた瞳で、縋るように男を見上げた。
「でも、おれ……」
『訓練』によって身に付け、『経験』で磨いた色香を纏い、少し濡らした唇と睫毛を戦慄かせると、男が薄く息を呑んだ。
かかった。獲物を捕らえたハンターよろしく心中で口角を上げつつ、青年は切なげに瞼を伏せる。
「それじゃ、おれの気が済みません」
ジム通いかスポーツか、見た目に反し厚みのある男の胸元へしなだれるように距離を詰め、おそらく本能が察しているであろう『期待』を煽るように、押し当てたハンカチーフの上から指先を滑らせた。
「せめて、お着替えを……手伝わせてください」
意味ありげに上気させた頬も、瞳に宿した熱も全て、青年のシュミレーション通りの『罠』である。
だがそんな計画など露知らず、『人の良い』男は青年の肩を掴んだ。
「……部屋に、案内します」
(よっしゃ)
ここまで来たら『成功』したも同然だ。青年は胸中で舌舐めずりする。
けれども表情は恥じらうように、それでいて嬉しそうに綻ばせながら、エレベーターホールへと歩を進める男の後に続いた。
その時だった。
背に感じた違和感に視線を巡らせると、華々しいパーティー会場とを隔てる開け放たれた扉の向こう側から、じっと見据える視線とかちあった。
周囲の男性よりも頭一つ高いスラリとした長身に、色素の薄いミルクキャラメル色の髪と、彩度を落とした瞳。日本人にしては彫りの深い端正な顔立ちに、青年の脳裏に「ハーフかな?」と疑問が掠めた。
年齢は二十代後半といった所だろうか。場慣れした重鎮さを醸しだしているが、引き締まった頬にはまだ若さの名残がある。
おそらく、このままいけば次の『社長』の座に収まるであろう息子殿に挨拶でもしそびれて、タイミングを探す為その挙動を追っている最中、たまたま目が合っただけだろう。
青年はそう思ったが、静かに向けられる双眼は取り巻いている女性達の浮ついた視線を物ともせず、かといって息子殿にも移らず、ただ密やかに青年だけを射抜き続けている。
あまりにも特定した眼光に一瞬、昔の『客』かと青年の背筋に冷や汗が浮かんだが、脳内に収めた全てのリストを掘り起こしても、『客』は勿論、『獲物』の中にも知った顔はない。
だとすれば。
(ああ、もしかして)
彼はこの息子殿を、慕っていたのかもしれない。
そう仮定付けた途端、この喧騒の中、青年を『見つけた』理由にも素直に納得がいった。
どちらにしろ、そのまま見ているだけなら大した支障はない。
「どうかしました?」
「いえ、何も」
スッキリとした心中で美麗な男に「悪いね」と舌を出して、青年――酉村結月(とりむらゆづき)は、到着したエレベーターへ男と共に乗り込んだ。
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