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馬車は暗い夜道を走り続け、帝国領を目指す。
ドルトルージェ王国は、王子の暗殺計画に気づき、追手を放ったはずだ。
追手を気にしながら、逃げ続け、馬は限界で、違う馬を買って用意し、また走らせる。
皇都へ着いた頃には、全員が疲弊していた。
協力者をドルトルージェ王国に置き去りにし、シルヴィエの身も奪われ、幽閉された。
大きな失策である。
「くそ! アレシュめ!」
アレシュと同じ年齢ということもあり、昔から、あいつとはよく比べられた。
優秀な隣国の王子など邪魔なだけだ。
アレシュはその優秀さを見せつけるように、両国の友好のためだと言って、シルヴィエを妻に指名した。
だが、なぜロザリエではなくシルヴィエだったのだ!
銀髪に青い目、帝国の美しい第一皇女。
呪われてさえいなければ、きっと誰もが彼女を愛しただろう。
――シルヴィエだけは奪われたくなかった。
皇宮に入ったなり、そう思ったのは、シルヴィエがいなくなった皇宮に、安らげる唯一の場所がなくなったと感じたからだった。
「ラドヴァン皇子。ご無事でなによりです」
「よくお戻りになられましたな」
皇宮に入るなり、大臣たちが現れ、ねぎらいの言葉をかけるが、それは形だけである。
笑みのない大臣たちの態度で、父上の怒りがどれほどのものなのかわかる。
「皇帝陛下がお待ちです」
「ああ……」
まだ朝の早い時間だというのに、父上と皇妃、ロザリエが待っていた。
「アレシュ王子だけでなく、シルヴィエも始末できなかったらしいな」
父上の一言目がそれだった。
「申し訳ありません」
「シルヴィエお姉様はドルトルージェ王国に置き去りにされたんでしょ? 可哀想~。私だったら、絶対、お兄様を恨むわ」
ロザリエの一件でも罪を押し付け、今回は自分だけ逃げ、一度もシルヴィエを助けず、保身に走った。
恨んでいないほうがおかしい。
「お姉様が呪われてるって、敵国に知られたら、お父様の地位が危なくなるのではなくて?」
ロザリエの言葉に、ハッと顔を上げた。
皇帝の血を引く娘が、神に呪われた娘だと知られたら、国民は皇帝の血を引く人間に対し、疑念を抱く。
「父上。なんとしてでも、シルヴィエを帝国に連れ戻します!」
「お姉様を置き去りにしたお兄様が言っても説得力がないわ」
こちらが不在の間に、ロザリエの影響力は増していた。
父上の隣に立ち、まるで同等の身分であるかのような振る舞いだった。
そして、父上もそれを許している。
「ラドヴァンには任せられない」
国を任せられない――そう聞こえた。
不機嫌な顔で、父上は考え込む。
――俺とロザリエ、どちらを後継者にしようか考えているのか。
まさか、ロザリエが選ばれるなどありえない。
「わたくしの娘を利用した挙げ句、敵国に奪われるなんて、あんまりですわ!」
シルヴィエを一番疎んじていた皇妃が、父の同情を誘うため、図々しくも可哀想な女を演じる。
「最初から、シルヴィエを敵国へ置き去りにするつもりだったのではないかしら? 皇帝陛下の地位を奪うため……」
「父上の地位を奪おうとは思っていない!」
すぐに否定したが、父上の表情は険しい。
「皇妃! 冷静に考えていただきたい。俺はずっと父上に認められたくて、すべてにおいて努力してきた。父上の信頼を失うほうが、俺には辛いことだ!」
「どうかしら。ロザリエが呪いを受けた時、血が飛び散ったにも関わらず、一緒にいたラドヴァン皇子は健康そのもの。シルヴィエの呪いをうまく利用しているのではなくて?」
ここぞとばかりに不信感を煽る。
「あれは運がよかったというだけのこと……」
「嘘よ! それなら、私の体だって、こんな体になっていなかったはずよっ!」
呪いを受けてから、健康だったロザリエの体は弱り、調子の悪い日は車椅子で暮らす生活を送っている。
俺だけが無事で赦せないのだろう。
「お兄様の役立たずっ! 私の体をこんなふうにしたシルヴィエお姉様を殺せなかったなんてっ……! 私はっ……私は……!」
興奮したロザリエが咳き込んだ瞬間、赤い血を口から吐き出した。
「ロザリエ!」
ドレスが赤い血で染まり、ロザリエは青い瞳を見いて、吐き出した血を眺めた。
両手で受け止められなかった血が、床に落ち、絨毯の上に黒いシミを作る。
「ああ、ロザリエ……。落ち着いて。興奮するから……」
皇妃が差し出した手をロザリエは拒絶し、振り払った。
「これはお兄様のせいよ……。お兄様のせいなんだからっ……」
きっと計画が上手くいったとしても、俺はシルヴィエだけは殺せなかっただろう。
父上と皇妃、ロザリエ、沈黙する大臣たちに囲まれ、俺が思い出していたのは、シルヴィエの笑顔だった。
幽閉され、粗末な暮らしをしていても、文句ひとつ言わない。
シルヴィエが皇宮の片隅にいるだけでよかった。
――だが、もういない。
父上が決めたシルヴィエの結婚。
確かに失敗したのは俺だが、 父上が暗殺と結婚を決めたのではなかったか。
「ラドヴァン。お前が皇帝に相応しいとは思えなくなった」
なんらかの処罰は覚悟していたが、告げられたのは、考えていた以上に、最悪なものだった。
「ロザリエを皇位継承者とする!」
「父上、お待ちください!」
「今後、父と呼ぶことを禁じる」
皇妃が笑みを浮かべたのがわかった。
俺の視線に気づいた妃が、慌てて扇子で口元を隠した。
母親の違う俺を疎ましく思っていたことは知っている。
俺の失敗を一番喜ぶのも妃だ。
「どうして私だけ、こんな……お姉様は結婚したのに……私には誰も……」
ブツブツとロザリエは、恨み言を繰り返す。
「ロザリエ。ドレスを着替えて休みましょう」
妃は涙をぬぐう真似をした。
俺を冷たい目でにらむ父上は、ロザリエしか自分の子と思っていないのだとわかった。
「もう一度だけチャンスをやる。お前が計画したとおり、アレシュ王子を殺し、シルヴィエを始末しろ。それができたなら、次期皇帝として考えてやろう」
「……感謝します。皇帝陛下」
父と呼ぶことを許されず、遠くなった皇帝の座。
大臣たちの話し声が聞こえてくる。
「やはり、ラドヴァン様が皇帝になることはなさそうだな」
「敵国から無事戻ってこれまい」
――ロザリエはなにを考えてる。
政治もなにもわからないくせに、国を治めるつもりか?
そんなことができるとは思えない。
血まみれのドレス、青白い顔、体力的にも無理だ。
「これから、皇帝陛下と今後について話し合わねばなりません」
「ラドヴァン様。退出願います」
大臣たちは俺を追い出し、広間の扉を閉めた。
今までなら、あの場にいたのはロザリエではなく、俺だったというのに、同席すら許されない。
「まだ終わっていない。俺が皇帝になるためには、アレシュを殺し、シルヴィエを始末すればいいだけだ」
――俺にできるのか? シルヴィエを殺すなど……
だが、ロザリエに皇帝の座を奪われるわけにはいかない。
なにもわからぬ皇位継承者は、貴族たちから激しい反発を受け、皇帝一族の立場が悪くなるのは必至。
俺に期待していたのは、父上ではなく、貴族たちだった。
――そして、亡くなった母上。
俺が皇帝になるのを楽しみにしていた亡き母。
父上の寵愛を失い、息子の俺だけが希望だった。
「ハヴェル。いるか」
庭の手入れをしていた男、ハヴェルを呼ぶ。
庭師のハヴェルは、名の知れた庭師である。
年齢は父上より少し下、髭をはやし、図体も大きく、熊のような男だ。
「ラドヴァン様。お戻りになられていたのですね」
「ああ。お前に頼みがある」
庭師なら、どこの王宮にいても怪しまれない。
そして、庭の手入れをするなら、出入りは自由だ。
「ドルトルージェ王国へ行き、シルヴィエがどうしているか探れ。そして、俺に報告しろ」
「スパイをしろということですか……」
困惑していたが、俺はハヴェルをきつくにらんだ。
「命令だ」
「わかりました。他でもないラドヴァン様のお願いです。喜んで、ドルトルージェ王国へ向かいましょう」
ハヴェルは当然引き受けた。
こちらは皇子で、こいつは庭師。庭師が皇子の命令に逆らえるわけがない。
――今回の失態で、使える人間が限られてしまった。庭師しか使えないとは情けない。
ハヴェルが俺をじっと見つめていたが、気づかないふりをして、その場を後にする。
庭師ごときに同情されたくはなかった。
俺はこのレグヴラーナ帝国の皇子なのだから――