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私は生の世界に降りてから、胸の鼓動が高鳴っているのを自分でも感じていた。私がいた家に着いたときのわくわくは、それこそ例えようもないくらいだ。
家に入ってみると、廊下に父がいた。眼鏡をかけ、きりっとしたオーラを崩さない父は、私がいたころと変わらず背中が曲がってたりはしていない。
「わー、わわわ、どうしよう」ばたばたと慌ただしい音と同時に、姉のよく響く声が聞こえてきた。階段を勢いよく降りてきて、「メアリちゃんが、メアリちゃんが針で指切っちゃった、どうしよう」
「落ち着きなさい。絆創膏ならリビングの棚にある」父はそう言ってから、すぐに書斎に入ってしまった。
メアリ――彼女は私の妻だった。私が死んだころ、この家は父とメアリと私、そしてたまに帰ってくる独身の姉が偶然いた。
「えええ、絆創膏、どこだっけ……」
姉がリビングに行ったので、私もついて行った。棚といっても、この家には棚がたくさんある。姉はがちゃがちゃと棚の中を探りまわった。確かに、絆創膏は棚に常備してあるはずだが、姉には見つけ出す集中力が持たなかったのか、あきらめたように他の部屋に行ってしまった。階段の隣の部屋だ。
私はついていきながら、首を傾げた。あの部屋は誰も使っていなかったはずだ。
誰かいるのだろうか?
どうやらそのようで、姉は突っ込むように乱暴にその部屋の扉を開けた。
「ジェームズさああああん! 絆創膏持ってない⁉ メアリちゃんが血出しちゃって!」
私は、どうも何かが引っかかった。
ジェームズとは誰だろう?
姉の横に並ぶと、その部屋には知らない誰かがいた。背が高い男性で、目つきが鋭いところが、どこか父に似ていると私は感じた。
「絆創膏……」男性は読んでいた本をぱたん、と閉じた。
「ああ、ここにありますよ。メアリ、ケガしたんですか?」彼は机の引き出しから、絆創膏を一つ取り出し、姉に渡した。
メアリを呼び捨てにするとは――
彼は何者なんだ。
「そうなの針で指切っちゃって、ありがとっ、あっジェームズさんも来て!!」
転びそうになりながらも、姉は階段を上り、メアリの部屋に向かった。
私はそれどころではなかったが、絆創膏を持った男性も階段を上ったので、深呼吸しながらついていった。
メアリの部屋に一同が着いた。
「メアリ⁉ 開けるよおおおおっ」ノックはせずに、姉がドアを開ける。
椅子に腰かけていた私の最愛の女性は、大きな目をさらにぱちぱちさせて私たちを見た。
「……どうしたの、二人とも」
泣くということができるのは人間だけのようで、私はちっとも涙が流れなかったが、その場に立っているのも難しいくらいに感極まっていた。
メアリは、私が死んでなお、世界で一番美しかった。
男性は息を整えて、言った。
「はいこれ、絆創膏」
渡された絆創膏を、メアリはじっと見つめた。「え?」
「血、止まった!?」と姉がメアリに近づいた。
ああ、とメアリはにこやかに笑った。
私には、彼女が唯一の神にしか見えなかった。
「絆創膏あったから、もう自分で貼ったよ」
そう言って、細長く白い指を見せた。薬指には、絆創膏が巻き付いている。
「そうなの! よかったあああ」姉が胸に手を置き、深く深呼吸する。
「ああ……心配してくれたの? ありがとう」
そうほほ笑むメアリは白百合のようだった。
「大体、義姉さんも大げさなんですよ」男性が言った。
「あは、ごめんっ」
「いいのよ、ありがとうね二人とも」
メアリと彼――ジェームズは目を合わせ、優しい微笑みと抱擁を交わした。
ゆっくりと私は目を閉じる。
私はいつか忘れられてしまうのだろうか……