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謎の老婆を家まで送りながら、たっぷり時間をつぶして帰ってきた紫雨は、窓を開け主人不在のまま駐車場に停まっている新谷のコンパクトカーを見て鼻で笑った。


「あーあ、より戻しちゃったか」


言いながら窓を閉め、自分の席に倒れこむように座る。


「つまんねぇの」


ネクタイを緩め目を瞑っている。


「よく言う……」


聞こえないように言ったつもりだったが、紫雨はその声に大きな目をギョロリと開けた。


「キューピットなんて似合わないですよ、紫雨さん」


言ってやると、彼はなぜかきょとんと口を開けた。


「―――何か?」


「………そっか。お前、何にも知らねぇんだな」


紫雨はあきれたように笑った。


「あの二人をくっつけてやったのは、そもそも俺なんだよ」


「は?」


紫雨は身を起こすと、ノートパソコンを開きながら言った。


「嘘でしょ?だって―――」


(だって、あんた、篠崎さんのこと、好きだったのに……)


「マジマジ。今度篠崎さんに聞いてみ?」


「―――」


(なんで?)


「あ、ダメだな。篠崎さんはウンコみたいなプライドが邪魔をして認めないだろうから、やっぱり聞くなら新谷だな」


言いながら真顔でパソコンを起動している。

どうやら冗談ではないらしい。


「…………」


付き合っているのに―――。

毎日話して、毎日ほとんど一緒に夜を明かしているのに―――。


たまにこの人のことが分からなくなる。


立ち上がったパソコンに、システムのパスワードを打ち込んでいる白い手を見る。


関節がほのかに桃色で、爪の形も美しい、日本人離れした手にしばし見惚れる。


「――おい」


見上げるといつの間にか紫雨がこちらを見ていた。


「えっち。なに人のパスワード見てんの」


その頬がなぜか赤く染まっている。


「あ、いえ、そんなつもりは」


「悪用すんなよ、お前」


睨まれる。


「し……しませんよ…!」


ピロリン。


システム起動の音がする。

トップページには、林と同じく赤い文字が躍っている。


(そっか。ペナルティ本人だけではなく、所属長であるマネージャーにも警告メッセージが出るのか)


「――――」


何か言われることを覚悟して目を瞑る。


「あー、マジか」


紫雨がいつになく低い声で呟いた。


しかし―――。


「おい、飯川」


紫雨が話しかけたのは、飯川で、


「明後日、地盤調査?」


開いた画面は地盤調査車両の予約表だった。


「あー、そうすけど」


飯川が視線だけ上げて答える。


「場所どこ?」


「時庭です」


「メンバーは?」


「一応、室井さんに声かけてますけど。あとは八尾首から新人2人借りようかと」


「ふーん」


言いながら自分の手帳も開いている。


「林、お前、明後日暇?暇だよな?」


紫雨は手帳から目を離さないまま言った。


「八尾首の2人はいいや。俺と林も手伝う。その代わり俺の地盤調査も手伝って」


「あ、わかりました。かえって助かります」


飯川が首だけの会釈をする。


「室井さーん、明後日の地盤調査、俺たち行くからいいっすわ」


言うと室井が斜め前の席で頷く。


「てか室井さん。後輩の地盤調査なんてしなくていいすから。俺たちに振ってくださいよ。ご老体に何かあっては大変だ。地盤調査より労災手続きの方がめんどーなんで、よろしく頼みますよ」


紫雨がいい、事務所が笑いに包まれる。


「紫雨、覚えとけよ」


室井も口の端で笑っている。



ここ1、2年で事務所の空気は驚くほど変わった。


それは新谷が変えてくれたおかげでもあるし、あの事件で皆が一丸となって紫雨を助けたこともあるし、何より紫雨自身が変わったからでもある。


「うげ。やべえ。打ち合わせ3ヶ月超過しそう…」


画面をシステムのトップページに戻した紫雨が、林と自分の間においてある固定電話に手を伸ばす。


確かに紫雨のページには、超過警告の赤文字が並んでいる。


しかし、その上に、林のペナルティの文字も並んでいるのに―――。


「小松さん、システム見ました?」


名乗りもせずにいきなり本題に入っている。


(紫雨さんこそ、ちゃんとシステム見てますか?)


馬鹿らしいとは思いつつも、林は口の中だけで紫雨に問う。


「あー、もうどうします?ヤバいっすね」


(俺だってヤバいですよ。マネージャー)


「何とかしなきゃ。平日もう1回打ち合わせ入れます?でもなー」


(何とか―――)


必死で手帳を睨んでいる紫雨を横目で見つめる。


(何とかしなくても、いいんですか?)




林は自宅のソファに座ると頭を抱えた。


「なに考えてんだ、俺は」


何とかしなきゃいけないのは、紫雨ではなく自分だ。

自分自身で、ペナルティになった原因と脱却するための対策を練らねば――。


怒られるのを待ってるなんて、助けられるのを期待しているなんて、鼻水垂らしたガキと一緒だ。


林は携帯電話を手に取ると、紫雨にメールを打った。


『今日は考えたいことがあるので、一人にしてください』


送ってから自分の文面を見返す。

なんか意味深な言葉選びになってしまったが『ペナルティ脱却のために対策を考えたいので』などと恥ずかしくて口が裂けても言えない。


「ま、いっか……」


呟いた瞬間、


ドンドンドンドン。


思い切り玄関のドアを叩かれた。


「おい。お前!これはどういう意味だ!」


鍵を開けた途端、紫雨が眉を引きつらせながら入ってきた。


「え?」


「俺を差し置いてまで、一人で考えたいことなんて、なんだって言ってんだよ!」


腕を掴まれる。


「そ、それは―――」


「俺に言えないことか?」


紫雨が金色の目で林を睨む。


「…………」


こんなときなのに。

こんな状況なのに。


林は自分でも呆れてしまうほど、目の前の男に見惚れていた。


色素の薄いさらさらの髪の毛、

金色で深みのある瞳、

整った鼻筋に、

淡い色の薄い唇。


上等なスーツはいつも真新しくて、

クリーニングに出しているシャツはパリッとノリがきいていて。


いつも良い匂いがして、

人一倍忙しいはずなのに余裕があって。


それなのに、俺は―――。


(―――い、言えるかこんなの)


林は掴まれた腕を払い除けながら言った。


「お、俺にだって言いたくないことの一つや二つ、あるんですよ」


「なにぃ?」


紫雨の眉毛がますますひん曲がる。


「毎日毎日、会社でも家でもあなたがそばにいたんじゃ、一人で考えることも悩むこともできないって言ってるんです!」


「はあ?もうすぐ同棲するってのに、お前何言ってんの?」


「ど、同棲もちょっと考えたいっていうか……」


つい心にもないことを言ってしまう。


こんなことを言いたいわけではないのに。

紫雨から一緒に住むかと提案されたとき、一晩中眠れないほど嬉しかったのに。


ますます自己嫌悪に陥り、頭が、体が、重くなっていく。


林は重さに耐えきれずソファに腰を下ろすとため息をついた。


「とにかく、今日は帰ってください」


(このままだと、小学生でもしないような八つ当たりをしてしまう…)


力なく言うと、


「……やだね!」


頭上から、それこそ小学生のような憎まれ口が返ってきた。


「死んでも帰ってやらない」


紫雨は言い放つと、脱力した林をソファに押し倒した。


「ちょ……紫雨さん!?」


強引に太ももに跨られる。


リビングライトの逆光を浴びて、紫雨の片目が光った。


(やばい。こうなると……)


林は息をのんだ。


(―――もう、手がつけられない)


「残念だったなぁ、考え事がしたい林くん?」


笑うような声に反して無表情の紫雨が、林を見下ろす。


「俺以外のこと、考えらんなくしてやるよ」



◇◇◇◇◇


「ん…、んんっ、あ……あっ」


最近は新谷と篠崎の一件もあり、そういう空気になれずに、あまり行為をしていなかった。


しかし体を貫くソレが痛く感じるのは、それだけではないと思う。


(紫雨さんが、わからない……)


自分の上で体を打ち付けながら、とても気持ちよさそうには見えない、険しい顔を見上げる。


(俺の都合とか、俺の状況とか、この人にとっては、どうでもいいんだな)


「んんっ!んっ!」


(俺が何を悩んでいるのか、何を考えたいのか聞きもせずに、一方的にこんなこと―――)


「……あれ?まだ何か他のこと考えてんな?」


紫雨がこちらを睨み落とす。


「やめろって。お前は考え込むとろくな結論に至らないから」


(―――っ。それはあんただろ…!)


「お前は俺のことだけ考えてればいーの」


抱きしめられる。


いや、違う。


“押さえ込まれる”。


そのうえで腰だけは激しく抽送を繰り返す。



「んんっ!は、ああ…!」


逃げ場のない熱い刺激が次々に打ち込まれる。

痛みが快感に変わる。


思考が、迷いが、ドロドロに混ざって溶けていく。


「……そうそう。それでいーんだよ」


息の混ざった紫雨の色っぽい声が耳元で響く。


(こんなの……とても対等とは言えない……)


林は細く目を開けた。


(こんなの、恋人と呼んでいいのか……?)


その目尻から、細い涙が頬を伝って流れ落ちた。



◆◆◆◆◆


日中も夜も紫雨に拘束されるならば、自由な時間は朝しかない。


林はさんざん好き勝手に体を貪りつくして眠りについている紫雨を起こさないようにそっとベッドを抜けると、脱衣場で素早く着替え、家を出た。


時刻は6時。

上り始めた朝日に街が照らされ、独特の陰影を作り出している。


少し寒いが窓を開けると、朝の澄み切った空気が車内に流れ込んできた。


「朝がこんなに気持ちいいなんて、知らなかった……」


林はハンドルを握りながら、曇った心と欲に乱れた身体が洗われるような、小気味のよい清々しさを覚えた。



天賀谷展示場の駐車場に到着する。

てっきり自分の車だけかと思いきや、遠くに停まっているコンパクトカーが目に入った。


「―――あれ?まだある。置いて帰ったのか?」


呟いた瞬間、駐車場に外車特有の低いマフラー音を響かせながら、アウディが入ってきた。


「まさか今の今まで?」


彼らは昨日の昼に出ていったはずだ。

もしかしてそれからずっと二人でイチャイチャしていたのだろうか。


林は車の中といえど気配を消しながら、それを眺めていた。


アウディの運転席が開き、新谷が出てくる。


(あ、違うか。あっちが助手席か)


同じ外車ではあるが、紫雨のキャデラックは右ハンドルであるため、ぴんと来なかった。


運転席の方に回り、顔を出した篠崎にぺこぺことお辞儀を繰り返している新谷を眺める。


運転席から篠崎の手が伸び、新谷の頭を撫でる。

新谷の照れくさそうな顔が俯くと、その大きな手が後頭部を掴みぐいと寄せた。


唇が合わさる。


「――マジか」


林は思わず呟いた。


いくら誰もいないとは言え、白昼堂々あんなキスをするなんて。


遠くから見てもわかるほど顔を真っ赤に染めた新谷が俯く。

一方窓から手と顔を出し、顔色一つ変えない篠崎が、新谷に二言三言何かを囁くと、さらに照れた新谷が口を押えながら小刻みに頷く。


篠崎が軽く手を上げると、アウディはまた低音をうならせながら、駐車場を出ていった。


それをしばらく見送っていた新谷も、やがて自分のコンパクトカーに乗り込むと、ウインカーを光らせながら、慎重すぎるほど慎重に、ゆっくり国道に出ていった。


「はー。見せつけてくれる……」


つい昨日まで別れてたくせに。


新谷が牧村とかいう男と浮気した事実は変わらないのに、

どうしてすぐに恋人に戻れるのだろう。


そして自分と紫雨は―――。


「昨日の俺たち、キスさえしてないんだけど」


林はついさっき新谷がしたように口元を抑えると、ため息をついた。


「続 それでもいいから…」

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