※六話目。続き
⚠️嘔吐表現、若干の🇫🇮🇷🇺要素あり。苦手な人は読まないことをお勧めします。
「平和ってのは、」
ス、と人差し指を前に出す。その先には、ロシアが立っている。
「───お前と、ウクライナみたいな関係のことだ」
「僕と……ウクライナ……?」
ロシアは素っ頓狂な声を上げた。対してフィンランドは、なんでもないことのように「そうだ」と言い切った。しかし、ロシアは不安そうに俯いた。
「でも……ウクライナは……」
「?」
「その……僕と違って、明るくて、読書が好きで、……優しくて。……僕とは大違いだ」
「でも、数多くいる兄弟の中でお前たちが一番仲が良いんだろ?」
フィンランドがそう言うと、ロシアはパッと顔を上げた。瞬く間に頰に赤みがさす。
「うん……うん!そうだよ!僕が生まれたすぐ後にウクが生まれたって!僕が最初のお兄ちゃんだったんだ‼︎ ……そっか……。平和って、そういうことなのか……」
ロシアは顔を綻ばせた。にっこり笑ったその顔には、子供らしい、純粋な喜びがあった。
「フィンランド、ありがとう!」
つられて、フィンランドも笑った。
「あくまで端的に言うと、だぜ?」
「それでも!良いものに変わりはないでしょう⁉︎ 」
「…まぁな」
平和のために戦争があることは、まだこの子は、知らなくて良い。フィンランドは心のうちにそう思った。
「…ほら、ウクライナたちが待ってるんだろ。早く帰ろうぜ。コレは家まで持ってってやるよ」
牛乳瓶を揺すり上げ、フィンランドは笑った。ロシアがそれに応じ、二人は並んで歩き出した。しばしの間、二人は静かに歩いた。
その頃、家ではウクライナが一人、リビングに立っていた。先ほど、いつも通りに洗面等諸々のことを済ませたばかりだ。しかし、いつもはウクライナより先に起きて朝食の準備にあたっているロシアが今日は見当たらなかった。もちろん、兄の「おはよう」の声も聞いていない。
「お兄ちゃん……どこ行ったんだろ」
寝起きでまだ眠い目をこすりながら、台所に行く。と、そこのテーブルの上に置き手紙が載っていることに気がついた。背を伸ばして紙を手に取る。そこには、一言、出かけるとだけ書いてあった。何かに勘づいたウクライナは、そそくさと冷蔵庫を開けた。
「あー……やっぱり。ミルク無いや……昨日切らしちゃったからなぁ……」
ということは、兄が不在の原因は恐らくそれだろう。そこであることを閃き、ウクライナは火の気のないリビングを振り返った。
「…………リビングあっためといてあげよう!寒いだろうし、もうすぐベラたちも起きてくるし」
かじかんだ手を擦り合わせつつ、ウクライナはリビングへと歩いて行った。
フィンランドと歩いていたロシアが、ふと立ち止まり、俯いた。不審に思ったフィンランドがロシアを見下ろす。ロシアは無言で手で口許を覆った。
「……どうした?」
若干屈み、ロシアの顔を覗き込むようにしてフィンランドは聞く。対してロシアは今にも消え入りそうな声で、
「気持ち悪い……」
とだけ言い、直後にえずいた。見れば、確かに顔から血の気が引いている。
「あー……もしかしてお前、朝ごはんも食べないで、寝起きですぐに走った?」
小さく頷いたロシアは、近くの植え込みのあたりまでちょっとだけ歩き、すぐしゃがみ込んだ。フィンランドがついていき、ロシアの小さな背中をさすってやる。
「……おおかたあの店が閉まる前に急いで行こうとして、それで走ったんだろ。あまり無茶するなよ。お前の家から相当な距離あっただろ……」
「……」
涙目で頷いたロシアを見て、フィンランドは軽く笑った。
「本当にお前は……弟たちのことになると、すぐ突っ走るんだな。噂通りだよ。ソビエトも……よく、お前がいかにウクたちを可愛がってるか話してた」
俺もよく聞かされたものだったな、とフィンランドは呟いた。もはや、ロシアに対する殺意も憎悪も、今では影も形もない。
その時、ロシアの喉が小さくくぐもった音を立てた。胃から迫り上がってきたものを飲み込もうとしているのは、誰の目にも明らかだった。フィンランドは優しく言った。
「……我慢するなよ。ここには俺しかいないから。吐いて、楽になっちまいな」
そう言っている間にも、ロシアの呼気はどんどん荒く、速まっていく。優しく何度かさすり上げてやると、ロシアの小さな背が、突然激しく痙攣した。
「……………ぇ゛ッ………ぉえ゛ぇッ……」
飛び散った吐瀉物は、少量の胃液のみだった。何も食べていない身体には、少しばかり負担が大きすぎたかもしれない。背をさすってやりながら、フィンランドはそう思った。
ロシアが落ち着いてから、持っていたハンカチで、涙と鼻水と吐瀉物でぐちゃぐちゃだったロシアの顔を拭ってやった。
「………ぅっ………………ごめ、ん」
静かにしゃくりあげながらロシアが謝った。フィンランドは、無言でその頭を撫でてやった。
そこから数分間、ロシアは目を閉じてフィンランドに寄りかかっていた。フィンランドも、ロシアの小さな体を抱え込むようにして雪の上に座り、じっとしていた。荒かった呼吸があらかた治ってくると、ロシアはちょっとだけ目を開き、
「……ねぇ、このこと、……ウク以外には黙っていてくれる?」
と聞いた。
「……どうして、ウクライナには話していいの?」
フィンランドが優しく問うと、ロシアはか細い声で、
「……ウクとは……ナイショ、作らないって……約束、した、から…………」
言っている間にも、瞼が落ちかかっている。
「……そっか。分かった。言わないよ。……良いお兄ちゃんだね、ロシアは」
フィンランドが静かにそう言うと、ロシアは安心したように目を閉じた。やがて、微かな寝息が聞こえてきた。
なかなか帰ってこない兄が流石に心配になって、家の前で厚着をしたウクライナがウロウロしていると、片手にぐったりと寝込んだ兄を抱いたフィンランドが、もう片方の手には銃と牛乳瓶というなんともシュールな状態でやってきて、ウクライナはそれはもう驚いた。事情を聞いて慌てて家の中に彼らを招き入れたウクライナと、はからずも招かれし客になってしまったフィンランドだった。
リビングに入るなり、フィンランドは驚いて目を丸くした。
「……あったけぇ」
「あ、リビングあっためといたの。お兄ちゃん帰ってきたとき、寒かったら嫌かなって思って」
「……へぇ」
本当に仲が良いんだな、と思いつつ、とりあえずソファに寝かしておいたロシアの顔を見た。まだ幼さのしっかりと残る顔を見て、フィンランドはため息をついた。
(ソビエトもソビエトだよなぁ……こんな幼い子共を残して死ぬなんて)
「あのね、フィンランドさん……」
ウクライナが声をかけたので、フィンランドはウクライナを振り返った。そこには、恥ずかしそうに顔を俯けたウクライナの姿があった。
「あのね、僕……部屋をあっためることはできるけどね、料理は、その……お兄ちゃんいないと、作れない……から、その、フィンランドさんにも、ご飯、食べてってもらいたかったんだけどね、その……えと、………」
しどろもどろにそう言うウクライナを見て、思わずフィンランドは吹き出した。
「あははっ……大丈夫だよ、別にたかろうとか思って無いし……」
ちょうどその時、リビングに小さな影が二つ転がり込んできた。
「おにいちゃんおはよ!おなかすいた!!」
「おぁよ……」
ウクライナよりは小さな二人組だった。一人は片目を隠すように独特な模様の大きな布を頭部に巻き付けており、もう一人は未だよちよち歩きの赤子といっても通るような年齢で、頭に大きなリボンをつけていた。
(えと……確か、この子達は……)
フィンランドが名を思い出すより早く、ウクライナが名前を呼んだ。
「あ、ベラ、エスティ、おはよ」
「おはよーおにいちゃん!!」
「ごめん、その、まだごはんできてなくて……」
「全然いーよ!」
ベラはニコニコしながらあっけらかんと叫んだものの、ウクライナが申し訳なさそうにそう言ったのが居た堪れなくて、フィンランドは思わず、「手伝おうか?」と声をかけた。
「え、本当に⁉︎ ありがとうフィンランドさん‼︎ 」
こうなっては引くに引けない。フィンランドが苦笑いしながらウクライナに続いて台所に入って行こうとすると、キュ、とズボンの端を引っ張られた(血まみれのコートは、流石にウクライナに頼んで、玄関に置きっぱなしにさせてもらった)。
フィンランドが振り返ると、先ほどの、大きなリボンをつけている“エスティ”と呼ばれた子が立っていた。
「…………」
「……どした?」
無言でじっと見上げられたフィンランドだったが、気まずくなってそう声をかけた。と、エスティが腕を精一杯こちらに伸ばしてきた。抱っこをせがまれていると悟った彼は、すぐに抱き上げてやった。乳飲子のような匂いが鼻をつく。思わず、心の中で毒づいた。
(はぁ……ソビエトのやつ……こんな小さな子までいるのかよ、まじで……何やってんだよ……)
ソファで寝ているロシアの近くにちょこんと座り、兄の顔をじっと見つめていたベラが突然振り返り、フィンランドを見た。
「おにいちゃん、名前は?」
「名前……?あぁ、俺の?」
「そう!」
「……フィンランド」
「ふぃんらんど?」
首を傾げたベラだったが、すぐに顔を輝かせた。
「あ!おとーさんがよく話してた!」
「はは……そう」
ソビエトの名を聞き、思わず苦笑いした。と、腕の中から、
「ふぃん……」
と小さな声が聞こえたので、見ると、エスティが大きな目でフィンランドの顔を穴のあくほど見つめていた。
「……そう。俺の名前」
優しく囁く。ふと気になって、フィンランドはベラに聞いた。
「君は……ベラ、であってる?」
「合ってるよ!!ベラルーシだよ!!」
「そっか、良かった……で、この子は?」
「エスティ!!」
「……本名は?」
ベラことベラルーシは、にっこりと笑った。
「エストニア!!」
姉に名前を呼ばれたエストニアは、フィンランドと目が合うと、ニコ、と笑った。
「………っ」
まさに輝くような笑顔を向けられ、ぐ、と詰まったフィンランドだった(図らずも可愛いと思ってしまったフィンランドだったが、ペドフェリアに成り下がるわけにもいかないので、緩みかけた顔を慌てて引き締め、なんとか心を冷静に保った。この十数年後、フィンランドが成長したエストニアと実際に付き合い始めるのは、また別のお話である)。
台所から、ウクライナが自分を呼ぶ声が聞こえてくる。それに気づいたベラルーシが、エストニアを受け取ってくれた。フィンランドは、幼いながらも支え合って生きていこうとする兄弟の、その片鱗を垣間見た気がした。
部屋を出る直前、フィンランドは振り返り、ソファの上を見た。そこにはロシアが眠っている。そのあどけない顔には、何の穢れも、邪気も見受けられなかった。
「………………」
───この子は、父親の死んだ悲しみを断ち切り、兄弟たちの親の代わりに、見本になって生きていかなければならない。それができるのは自分だけだと、自分がやるしか無いということを、もうすでに悟ってしまっている。なんて酷なことだろう。どのくらいの苦しみを、この子は押し殺してきたのだろう。幾夜の孤独な夜を過ごしたことだろう。もちろん、自分には計り知れないだろうし、知る術もない。だから、自分がとやかく言える立場ではないことはわかっている。
……それでも、祈ってしまう。
「どうかこの子に……この肉体と魂の持ち主に、神の御加護のあらんことを───」
口の内にそう呟いたフィンランドは、身を翻してリビングを出ていった。
……この時はまだ、誰も知らなかった。ロシアが後に、世界にその名を轟かせるほどの大国になることを。その国土や軍事力などにおいて、様々な国を圧倒させる力を持つ者に成長することを。
───ソ連の血を最も濃く受け継いだのが、ロシアだということを。
この時はまだ、誰も、知らない。もちろんフィンランドも。当の本人である、ロシアでさえも。
だから。
だから、あれほどまでに可愛がった弟に侵攻を開始し、あれほどまでに痛めつけ、地獄を作り上げる兄が誕生するなど……誰が、予想できただろうか。
なんか一旦終わったように見えるけど、続きます。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
続きます(2回目)。
コメント
8件
やっぱりそうなっちゃいますよね……… 平和になるといいなぁ
物凄く好きですッッッッ
神見っけた