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「……手、貸して」
「え?」
「あーもう、じっとして」
湊がそう言って、伊織の頬にそっと絆創膏を貼ったのは、ある雨上がりの午後だった。
サークルの大道具を運ぶ途中で、伊織が脚立から落ちかけた。
大事には至らなかったが、顔を軽く擦り、血がにじんでいた。
保健室まで行こうとする伊織を制して、湊は何も言わずにカバンから絆創膏を取り出した。
こんなもの、普通なら他の誰かがやればいいことだ。
なのに。
目の前で無防備に自分を見上げてくるこの男に、湊は触れずにはいられなかった。
「……ん、ありがとう」
絆創膏の下から見える伊織の肌は、やけに白くてやわらかそうだった。
「……ほんと、怪我には気をつけろ。お前は危なっかしい」
「え、湊くん、心配してくれてる?」
伊織が茶化すように笑う。
その笑顔が眩しくて、湊は無意識に目を伏せた。
「……別に。サークルの仕事が回ってくると面倒だから言ってるだけ」
「ふふ、そういうとこ、ほんと不器用だよね」
「……」
何も言い返せずに黙ると、伊織は少し悪戯っぽい目をして、湊の顔を覗き込んできた。
「ねえ、湊くんって……恋人、いたことある?」
突然の問いに、鼓動が一瞬跳ねた。
「なんだ、それ……急に」
「んー、なんとなく。湊くんって、誰かに触られるのとか慣れてなさそうだから」
「……慣れてないと悪いのか」
「いや、全然。なんか、かわいいなって思って」
まただ。
その何気ない言葉に、何度心臓が跳ねたか。
無意識に伊織は、湊の中のなにかを撫でてくる。
鍵を開けるように、奥にしまっていた感情を暴き出すように。
(――違う)
(こんな感情、知らなかった)
自分の中に、誰かを見て“触れたい”と思う気持ちがあるなんて。
誰かの笑顔が“自分だけのものになればいい”と願ってしまうなんて。
その夜、湊は眠れなかった。
伊織の笑顔が脳裏に焼き付き、肌の感触が、声が、離れなかった。
指先がじん、と熱い。
まるで触れてはいけないものに、もう触れてしまったかのように。