続きです。前回同様過去のワンシーンから始まります。
⚠️旧国注意。戦争賛美・政治的意図共にありません(最後に若干の戦争表現あり)。
………ロシア。ウクライナ。ベラ。カザフ。アゼル。ジア。キルギス。タジク。モルダ。ウズ。トルク。アル。リト。ラト。
「…………エストニア」
座らせた子たちの間をゆっくりと歩きながら、ソ連はすべての子の名を呼んだ。最後はバルトの三つ子だった。まだ幼く、大きめのベビーベッドの中に寝かされていたエストニアは、父親が自分の顔を覗き込むとにっこりと笑い、手を精一杯、ソ連に向かって伸ばした。
「……とーしゃ」
「……………」
ソ連は微笑んだ。エストニアの小さな頬を優しく撫でてやる。それだけで、エストニアは心の底から嬉しそうな声を上げた。
ああ、この子は今、幸せなのだ、とソ連は思った。突き出されたその愛らしい手を、優しく、優しく包み込むように握ってやる。赤子特有のすべらかで柔らかい手だった。
「……エスティ」
思わず二回、名前を呼んでいた。
果てしなく深い青、黒曜石のような黒、それとは対照的に、降り積もったばかりの雪のような純白の肌。この子が十五人兄弟の末っ子・エストニアだった。
ふと、顔に涙の跡があることに気づいた。おそらく痛みで泣いたのだろう。今は笑っているからもう痛みはないはずだ。
ソ連は顔を上げた。十五人の子供達の視線を一気に受ける。バルトの三つ子のうち、エストニアの兄、姉であるラトビアとリトアニアは、むずかって外に出たのだろうか、両方ともなぜかベッドの外でアゼルに抱き抱えられていた。
ソ連はベビーベッドからエストニアを抱き上げた。エストニアはソ連にしがみついていたが、すぐにモルダに受け渡されてしまった。なおもソ連のコートの端を掴んで離さないエスティだったが、ソ連が苦笑しながら頭を撫でてやってやっとおとなしく手を離した。
「皆………いるな」
ソ連は子どもたちの前に行くと、その場に座り込んだ。子供たち全員を一望した時、ある者は兄に寄りかかり、ある者は互いに体重を預けるように寄り添っている様子が目についた。皆、ひどく憔悴した顔をしていた。加えて他にも、おそらく痛みのせいであろう、失禁してしまっている者さえいた。
……ロシアやウクライナだけではない。こうして見ると、皆、随分と変わってしまっていた。しかし、愛情は薄れるばかりか───むしろ愛しさもいじらしさもソ連の中で、より強固なものとなっていた。
ジワ、と視界が歪んだのを感じた。
「…………ごめんな。ごめんな、皆……痛かったよな、苦しかったよな……」
ソ連は思わず、子らの方に向かってにじり寄った。それだけで、すべての子がソ連に向かって集まってくる。
「皆……ごめんなぁ………」
十五人を一度に抱き抱えられる訳がない。しかしソ連は、全員を抱きしめようとするかのように子供達を抱擁した。
「父さん………なんで泣いてるの……?」
突然、アルメニアが声を上げた。ソ連は驚いて、右手を頬にやった。
「え……?」
触れた右手が、しとどに濡れた。そこでやっと初めて、ソ連は自分が大粒の涙を流していることに気がついた。
「父さん……どこか痛いの……?」「父さん怪我してるの?」「父さんだいじょうぶ……?」「父さん」「父さん!」「父さん……」
一気に自分心配する声に包まれ、ソ連は泣き笑いの顔で首を振った。
「大丈夫、大丈夫だよ、俺は。ただ……」
「……ただ?」
ソ連は、たまたま一番近くにいたウクライナの頭を撫でた。ウクライナが幸せそうに笑う。
「ただ……、お前たちが、ここまで大きくなってくれたことが、嬉しくて」
黙って父の言葉を聞いていた子供達だったが、一瞬ぽかんとしたあと、すぐにワッと湧いた。
「変な父さんー!俺なんか、今よりもっと大きくなれるのに!」
誰かがそう言ったのを皮切りに、次々と可愛らしい大合唱が起きてしまった。「あ、お兄ちゃんずるい!私だってもっと大きくなれるもん!」「僕もなれるよ!」「僕だって!」
子供たちが口々に叫ぶ中、カザフがポツリと言った。
「僕、早く大きくなりたいなぁ……そうすれば、父さんのこと、今よりもっと手伝ってあげられるのに」
「………私も!私も父さんのこと助けてあげる!ね、父さん」
そう高らかに言い放ったベラがソ連を見つめ、ニコッと笑った。
「私たち全員、大きくなったら絶対、ぜーったい!父さんのこともっと助けてあげるからね!」
ほぼ皆が頷く。三十の汚れのない純粋な瞳が、自分を見ている。新たに熱い涙が頬を伝っていったのを感じた。
「お前、たち…………」
口唇が震える。笑いたいのに、涙が後から後から溢れてきてできない。それでも、無理やりソ連は笑った。多分、酷い顔をしていただろう。それでも、良い。それでも良いから、今はただ、愛情を伝えたかった。
「皆……ほんとうに……ほんとうにありがとな……皆、俺のところに、きて……くれて、俺のもとに生まれてきてくれて、ほんとうに、ありがとう……」
再び近づいてきた子供たちを抱擁しようとした時だった。スル、とソ連の腕を抜けたものが一人いた。驚いてそちらに目をやる。
「……ロシア………?」
ソ連の腕をくぐり抜けたロシアは、ソ連の横に立った。兄弟たちと父親の視線が一気に自分に集まってきたのをロシアは感じた。しかしロシアはそれらをなんとも思わないかのように泣き腫らした目を上げ……
「………、………」
ソ連を、まるで睨みつけるように、見た。
唇が震え、言葉を紡いだ。
「………僕だって……僕だって、父さんのことを、助けられる。それも……たった今からだ。ウクたちを……お前たちを、」
そう言うとロシアは兄弟たちの方に顔を向けた。
「これからは僕がお前たちのことを守る。父さんの、代わりに………だから………だから、父さん」
ロシアが再びソ連に向き直った。その顔を見て、ソ連は息を呑んだ。
「……っ」
大きく見開かれた目。弛緩し切った目の淵から、大粒の涙が絶えず溢れ出ている。細かく震える瞳が、ソ連をじっと捉えて離さない。その四白眼が、微かに歪んだ。笑ったのだろう。しかし、なんとも痛々しい笑い方だった。絶望した上で諦めることを容認し、全てを受け入れた者がする笑い方。戦場ではよくお目にかかった。今、息子であるロシアが、その表情をしている。
「だから………安心してよ、父さん。もう、大丈夫だよ」
ぐにゃ、と口を曲げるようにしてロシアが笑った。幸いと言えば、その顔が兄弟たちには見えていなかったことだろうか。ソ連は顔を歪めた。
何も言えない。この子は今、自分がこれから背負い込まなければならないものを全て悟ってしまったのだ。
「……ロシアッ………!」
ソ連は、思わずロシアを思い切り、抱き締めていた。目から流れ出た涙が、ロシアの小さな肩に落ちていく。ロシアもソ連の肩口に顔を押し付けた。泣いていたのだろうが、しかし、嗚咽は堪えたのか、声は一切出さなかった。今、泣いていることが兄弟たちにバレたら、おそらくロシアはソ連がじきに死ぬことを彼らに言わなくてはならなかっただろう。ロシアはそれをなんとしてでも避けようとした。……辛いのは、父親と自分だけで良い。今、事実をわかっているのは、父親と自分だけで良い。幼い彼らは、これからゆっくりと事実を知ってゆけば良い。それが、長男として生まれた自分の務めだろうと、ロシアは考えた───
「父さん、泣き止んでよ……」「お兄ちゃんだけずるい!父さんに抱っこされてるの!」「父さん僕も!」「父さん‼︎ 」
事情を知らない無垢な彼らは、無邪気な声をあげ続けた。
ソ連のロシアという息子への抱擁は、それが最後から二番目のものとなった。
そして、別れの日、ソ連の元に呼び出されたのは、ロシア……彼一人だけだった。
………そうだ、僕は父さんと約束した。ウクたちを、弟たちを守ると。だから、僕はその役目を果たさなきゃならない。じゃないと父さんに顔向けできない。僕がお兄ちゃんとして生まれた意味がない。
───でも僕は、平和も作らなきゃいけないんだよね、父さん。平和をも作って、ウクライナたちを脅威から守って。僕がやらなきゃならない。何故って、僕が……いや、俺が………
俺が、一番上の、兄貴だから。
だから、俺は。
俺は─────
ガチャン、と音を立ててプレートキャリアーを装着した。防弾ベストが内蔵された優れものだ。次にハンドガンの確認。弾が充分に込められているのを確認してホルスターの所定の位置に差し込む。それを細い腰に巻き付ける。鍛え上げられた腰にはちょうど良い締め付け具合だった。
「………」
ライフルを抱え上げる。それを背負うと、ドアを開け、外に出た。吹きつけてきた冷たい風が頬を殴っていくようだった。
「……………」
そうだ、あの時もこんな風にドアを開けたら、風を感じた。もっとも、料理の良い匂いのする風だったが。そして中にウクライナがいて。
『兄さん』
ウクライナの声は、簡単に思い出せた。優しい声。自分とは違う、可憐で、美しいという形容の似合う声。
『話があるんだ。……聞いてくれるよね?』
あぁ、ウクライナとの会話だ、いとも簡単に思い出せる。……嫌だ、やめてくれ。その先は、思い出したく───
『兄さん、あのね……?』
『……実は僕、その………』
『ナトーさんの、お世話になるかもしれなくて。だから』
脳内で自動再生された声に頭を抱えたくなった。ウクライナの声は続く。
『兄さんのもと、ちょっとだけ離れるかもしれないんだ』
自分が何かウクライナに聞いた声がしたが、不明瞭で何を言ったのかはわからなかった。おおかた、アメリカの近くに行くのか、とでも聞いたのだろう。ウクライナがそれに頷く。
『そうだよ。……アメリカさんの、……近くに……』
『兄さん……友達だよね?アメリカ………この間もさ、……誘われて、』
『僕は………アメ……さんの、…………今度から、』
『……だから……ナトーさんの………』
もはや懐かしささえ覚える声は、途中からノイズがかかってしまったようになり、鮮明ではなくなった。しかし今はそんなこと、どうでも良い。
ウクライナ。俺が、お前を守るから。アメリカが友達?あぁ、もちろん友達だよ。だが……一度も、お互いの主義も思想も理解し得たことはない。ただの、表面上の友達であるだけの奴だ。忘れたのか?ウクライナ。最後、親父が苦しんだのは、アイツの、アメリカのせいだろう?元から交わり合えないんだよ、俺たちは。だからウクライナ、そんなの、いっときの気の迷い、なんだろう?ただ、アメリカ達に少しばかり絆されてしまっただけなんだろう……?
(そうだと、言ってくれ)
だったら、俺が。
ウクライナ。
「俺が……お前のこと、守ってやるから……」
なんか今回いつにも増して低クオリティだったな…読んでくださった方ありがとうございます、ごめんなさい
コメント
4件
エスティが笑えるぐらいに痛みが治まってるのすこ ソ連から一番最初に独立したのはエストニアだったはずだから
旧ソ大好きなのでソ連が構成国のこと愛称で呼んでるのほんとに感謝しかないです…エスティかわいい ロシアだけがソ連の死期が近いことを知っているから、 ほかの兄弟を悲しませないようにすべて一人で背負うことを選んでしまったんだな… 本当に毎回神作品をありがとうございます!!!辛いけど幸せ!!