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その一
週刊誌の連載小説の準備も着々と進み、梢も笑理も年の瀬に向かってそれぞれの役割を果たすべく奮闘していた。
笑理の原稿を確認した梢は、一通り読んだうえで意見をまとめ、再度笑理宛にメールで送っていた。そして笑理は、梢からの意見を確認したうえで原稿を修正した。
梢から決定稿として仕上がった原稿をメールで受け取った真由美も高梨も、それぞれ安堵し、梢は笑理の担当編集者として今が一番充実している時期であると思っていた。
「君を三田村先生の担当にして正解だったよ。文章だって、楽しんで書いてるっていうのが伝わってくる」
「高梨部長もそう思いますか。三田村先生らしいというか、ノリに乗って書いてるのが私にも分かります」
笑理を頼むと頭を下げられてから、表向きは三田村先生と呼んでいるものの、高梨が時折父親の顔になっていることに梢は気づいていた。
連載期間が長くなるため、笑理には万全の状態で執筆をしてもらいたいと思っていた梢は、帰り道の途中にコンビニへ寄ると糖分接種のためにトリュフチョコレートを購入。帰宅して夕飯を終えると、早速笑理に食べさせた。
「笑理、あーんして」
笑理はココアがふんだんにまぶしてあるトリュフを口にした。
「はい、じゃあ次は梢」
お返しに笑理も、梢にチョコを食べさせてくれた。
笑理と過ごすこのひと時が、梢にとっても至福の時間である。
「このトリュフ、半分食べてよ」
笑理がトリュフの半分を口にくわえると、そのまま梢の方を振り向いた。
「私が半分食べるの?」
尋ねる梢に、笑理は大きく頷いた。
梢は笑理の唇にふれないよう、ギリギリのところでトリュフをかじったが、狙ったように笑理が顔を近づけたことで、お互いの唇が触れて、一瞬ではあるものの口移しした状態になってしまった。
「もう……」
「狙ってやった」
意地悪そうに微笑む笑理を見ながらも、梢は内心とても嬉しい瞬間で、口角が上がっていた。
「ねえ、梢。今月末のクリスマス、一緒に祝おうね」
笑理が提案してきた。二人にとっては、初めて迎えるクリスマスである。笑理は大きく頷いて、
「もちろん。クリスマスっていうのは、大事な人と一緒に過ごすための日だもんね」
「イブは平日だから、梢は普段通り仕事でしょ。こっちの準備は私がやっとく。そのために、原稿だって早めに仕上げるから」
「楽しみにしてる」
クリスマスまで残り約二週間、梢は笑理と聖なる夜を共に迎えられることを楽しみに仕事をしようと決めた。
その二
奥飛騨旅行をきっかけに梢との距離が一層縮まったことを、笑理は実感していた。旅行以降、梢との休日デートの回数も情事の回数も日を追うごとに増えていった。
今晩もまた体を重ね合わせ、事後の梢は真っ暗な寝室のダブルベッドの中で、笑理に寄り添うように深い眠りについている。
自分と付き合い始めてから、梢には何とも言えない色気が出始めたことに笑理は気づき、今もくっつくように眠る梢の寝顔をじっと見つめながら、胸が苦しくなるほどの愛おしい感情を抱いていた。梢の透き通るような肌もまた、笑理の多幸感をあふれさす要素になっている。
笑理はふと、先月のパーティーの翌日、父である高梨と会ったときのことを思い出した。
マンションから十分ほどの喫茶店に、笑理は父親を呼び寄せた。高梨は笑理を見るなり、梢のことを気にかけてくれていた。
「俺がついていながら、申し訳なかった」
高梨は頭を下げた。
「そのことは、私がついてるから大丈夫。今日は、梢とのことをちゃんと伝えておこうと思って」
「いつから、付き合い始めてるんだ?」
笑理は正直に、梢が編集者として挨拶に来た時に告白をしてその日から付き合い始めたことも、十年前の卒業式の時に梢にキスをしたことも、梢の誕生日にマンションの合鍵をプレゼントして同棲を始めたことも、全て包み隠さず伝えた。
「そうだったのか……」
「お父さんに、反対する資格なんてないからね」
笑理ははっきりと父親に伝えた。
「お父さんが、西園寺久子と不倫関係だったことは知ってる。ちょうどお母さんと離婚したとき、お父さんの不倫相手だったこともね。私、ずっとあの女のこと恨んでた。テレビに映るのも不快でね。とうとう梢にまで、あんなこと……。法律なかったら抹殺してるから」
久子のことを考えるほど、その憎悪の念は大きくなっていた。
「『ひかり書房』から追放してよ、あの女。次期執行役員になる人なら、それぐらいのことできるでしょ。お父さんだって業界じゃ有名人だもん、今朝のネットニュースに役員就任の記事載ってたよ」
高梨は黙って笑理の話を聞いている。
「それと、もし梢が私とのことを言いだしても、何も言わないでよ。私も梢も本気で愛し合ってるから」
「もちろん、社員のプライベートのことまで口出しはしないさ」
「良かった。これからも、会社では梢のこと、ちゃんと守ってあげてよ」
笑理は安堵の笑みを浮かべながらも、念を押すように父親の目をまっすぐに見つめた。
その三
クリスマスイブも、梢にとってはいつも通りの朝であった。笑理との朝食を終え、出かける直前には、
「夕方会社出るとき、連絡するね」
と言って、出勤をした。笑理もそのタイミングを見計らって、クリスマスイブの食事の準備をするようであった。
笑理との同棲以降、数日に一度は笑理手作りの弁当持参だった梢は、自分のデスクで弁当箱のふたを開けた。毎回恒例とも言うべき卵焼きに、今日は豚肉の生姜焼きと昨晩の残りであるポテトサラダも入っている。
「いただきます」
弁当を作っている笑理の顔を思い浮かべながら箸を進めていると、真由美が走ってやってきた。
「ねえ、梢。ちょっと良い」
「どうしたの?」
真由美の話では、『ひかりセブン』編集部のメンバーが数名、流行風邪のために会社を休むことになってしまい、明日の十七時の印刷会社への入稿に間に合わないため、各制作部署から応援をお願いしたいということだった。
『ひかりセブン』といえば年明け号から笑理執筆の連載小説も始まる週刊誌でもあり、また高梨からもぜひ行くようにと背中を押されたことで、梢は弁当を早食いした後、『ひかりセブン』編集部へ駆け出して行った。
午後になってすぐ、笑理は近所のスーパーへ買い出しに来ていた。野菜の価格高騰に驚きながらもカートを引いていき、カゴに食材を入れていく。
『ごめん、もしかしたら遅くなるかも』
梢からのLINEが届いたのは、そんな時であった。
『了解。仕事ならしょうがないもんね』
笑理はすぐに返信すると、再び食材を手にしながら買い物を続けていった。
笑理にLINEを送った梢は、真由美の手伝いに追われている。
文庫本や単行本といった文章だけが続くものを何ヶ月かに一度制作するのとは違い、週刊誌は事件や事故やスキャンダルなどの記事、有名人のコラムやインタビュー、グラビア、スポンサー広告など様々なコンテンツがカラーページとモノクロページに分かれて二百ページ近くもあるものを毎週制作しなければいけない。
編集部は常に上へ下へのてんやわんやで、応援に来ている梢も複数のゲラを確認するのにもバタバタしていた。
「ごめんね、梢。急にこんなこと」
「『ひかりセブン』の編集部って、こんなにいつもバタバタしてるんだ」
「まあ、入稿前は毎度のことだよ。このお礼は、近いうちに必ず」
「大丈夫だよ」
梢は申し訳なさそうに言う真由美に笑顔で返すものの、内心は今日の退勤はいつになるだろうかを考えていた。
その四
夜の八時を過ぎても梢からの連絡はなく、笑理はソファーでじっと梢の帰宅を待ち続けていた。
残業で遅くなることは時々あったが、それでも梢は連絡をくれていただけに、一人の時間は妙に寂しさを倍増させている。このまま一人でイブを過ごすことになるのかと考えると、笑理は横になって思わず溜息が出てしまっていた。
真由美たちの手伝いを終えて、梢が文芸部の自分のデスクに戻ったとき、時間は既に十一時を回っていた。
「高梨部長、まだいらしたんですか?」
文芸部には、高梨が一人残っていた。
「執行役員になるまでにも、いろいろ準備とかがあってな」
「春からですもんね、いよいよ」
残業でやや疲れ切った顔をしていた高梨は、立ち上がると真剣な眼差しとなって、
「年明けに、西園寺久子の件で延期になった映画企画のことで、配給会社と打ち合わせをする予定なんだが、三田村理絵先生のデビュー作『指切りげんまん』の映画化を提案しようと思う」
梢は驚愕して、口をポカンと開けた。自作のメディアミックス化は笑理にとっても悲願であることは、梢もよく分かっていた。
「高梨部長……」
「俺と笑理の関係性がバレたら、職権乱用だって言われるかもしれないな。けど、あのデビュー作は本当に素晴らしいものだった。初の映画化になれば、話題にもなるだろう。父親として、あいつにはできるだけのことはしてやりたいんだ」
「喜びますよ。笑理の夢だったんです、自分の作品がメディアミックス化されるの」
「そうか……。この話、俺と山辺君から、笑理に対してのクリスマスプレゼントってことで本人に伝えてくれないか」
梢は笑顔で大きく頷いた。
「もちろんです」
「執行役員になったら、今以上に忙しくなる。春までに一度、笑理と一緒に飛騨へ行こうと思う」
「良いと思います。どんな事情であれ、高梨部長が笑理のお父さんということに変わりはありません。父娘なんですから」
「そうだな。さ、笑理と素敵なイブを過ごしてくれ」
仕事に追われていた梢は、壁に掛けられている時計を見て血の気が引いた。
「え……もうこんな時間……」
「今頃笑理が待ってるぞ。今日はもう帰りなさい」
「はい……お先に失礼します」
梢はデスク回りを慌てて片付け、コートを羽織りマフラーを巻くと、鞄を抱えて高梨に一礼をし、風のように走り去っていった。
夜の道は、今にも寒波到来となるほどひんやりとしていた。冷たい風を肌で感じながら、梢は白い息を吐いて家路を急いだ。
その五
マンションに帰宅した梢は、息を切らしながら勢いよくドアを開けた。笑理が玄関まで姿を現して迎えてくれた。
「おかえり」
「ごめん……笑理……」
呼吸を荒くして、梢はその場に崩れ落ちた。
「大丈夫。まだあと十分残ってる」
梢の目線に合わせるように、笑理は微笑んだ。
梢が腕時計を見ると、針は十一時五十分を指していた。
「十一時過ぎに、梢が退社したってお父さんから連絡来たの」
「そうだったんだ……」
「さ、おいで」
手を引っ張られ、笑理と共にリビングに来た梢はコートを脱ぎ、マフラーを外した。
テーブルには笑理が用意したクリスマス料理が並べられている。
「ごめん、ご飯冷めちゃったよね……」
「大丈夫、レンチンすれば食べれるから」
「あ……」
梢が窓に目をやると、カーテン越しに雪が降りだしているのが見えた。
「天気予報当たったわ、やっぱり降ってきたね」
梢と笑理はカーテンをめくって、外の景色を眺めた。粉雪はどんどん強く降っていく。
「外寒かったもん。多分降るだろうと思ったけど」
雪を見ていた梢は、笑理からバックハグをされた。
「笑理……」
「梢。私、今一番幸せだよ。大好きな人とクリスマスを過ごせるんだもん」
視線を感じて梢が振り向くと、笑理はじっとこっちを見ていた。お互いに微笑み合うと、そのまま優しく唇を重ね合わせた。
「そうだ、笑理。私と高梨部長から、クリスマスプレゼントがあるんだよ」
「プレゼント……?」
梢は高梨と相談した、『指切りげんまん』映画化の件を伝えた。
「え……本当なの?」
唖然とする笑理に、梢は大きく頷いた。
「うん。笑理、初デートの時に言ってたよね。自分の作品がメディアミックス化されることが夢だって。その夢が叶うんだよ」
「ありがとう、梢……。これからも、私のこと支えてね」
「もちろん」
「約束だよ」
笑理から小指を立てられて、梢も小指を出すと指切りをした。梢も笑理も、お互いに絡む小指と、指切りするたびに揺れ動くお揃いのブレスレットを見つめた。
「愛してるよ、梢」
「私も、笑理のこと愛してる」
梢は再び背後から笑理に強く抱きしめられると、微笑みながら頬や唇にキスをし合い、いつまでも窓の雪景色を眺め続けた。
笑理との再会から次の春で一年。この九ヶ月で様々な出来事があったが、これからも笑理との時間を大事にしていこうと梢は思っていた。
白い雪が積もっていくほど外は寒かったが、赤い糸で結ばれている梢と笑理の心は間違いなく暖かくなっていた。