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事務所兼作業場として借りている一室。
スタッフは皆帰り、若井も『これから収録があるから』と出ていってしまった。
残されたのは僕と元貴、二人だけ。
本当なら帰っても良かった。
特に残る理由なんてない。
でも――どうしても一人になりたくなくて、元貴が作業する横で、無駄に時間を潰していた。
「……はぁっ。」
思わず大きなため息をこぼすと、カタカタと鳴っていたキーボードの音が止む。
顔を上げた元貴が、じっと僕を見た。
「涼ちゃん、どうしたの?」
慌てて首を振る。
「なんでもないよ!」
邪魔したくなかった。
ただでさえ元貴は最近忙しいのだから。
けれど、その誤魔化しは通じない。
「なんでもない訳ないでしょ。いつもは終わったらすぐ帰るのに、まだ残ってるしさ。何かあったんでしょ?いいから言ってみ?」
やっぱり元貴は何でもお見通しだ。
“隠しても無駄”って言いたげな目で、真っ直ぐに僕を見つめてくる。
その視線から逃げられなくなって、口を開いた。
「…昨日さ、僕、演技の仕事してきたじゃない?」
そう。昨日は某教育番組に呼んでもらって、美容師さん役で子供たちと一緒にお芝居をした。
でも――子供たちの方がずっと上手で、僕は全然ダメで。
帰ってからも、自分の下手さばかりが頭を回って、結局ほとんど眠れなかった。
そのモヤモヤを抱えたまま、気づけばここに残ってしまっていたのだ。
「そんなの、初めてだから仕方ないよ。それに、涼ちゃんは涼ちゃんなりに一生懸命やったんでしょ?」
ぽつりぽつりと途切れながらも、昨日から胸につかえていた思いを吐き出す僕。
元貴は最後まで口を挟まずに聞いてくれて、落ち着いた声でそう言ってくれた。
「うん。…でも、元貴は歌も演技も…ダンスだって…なんでも出来るじゃない?だから…凄いなって思ってさ…。」
元貴の言いたい事は分かってる。
元貴には元貴のペースがあるし、僕には僕のペースがある。
それでも…僕も少しは元貴に追いつきたいと思ってしまう。
『どうして?』と聞かれてもその理由を話す事は出来ないから、それを言う事は決してないけど。
「ぼくと…涼ちゃんは違う人だし、それに涼ちゃんにはぼくにはない素敵なところが沢山あるじゃん。」
元貴はそう言いながら、ほんの少し困ったように眉を下げる。
それは呆れているというより、どう言葉を選べばいいのか迷っているような、複雑な表情だった。
でも僕には、その細かなニュアンスを拾う余裕がなかった。
“ぼくにはないところ”って、いったいどこなんだろう。
上手く出来なかったことばかりが頭の中をぐるぐるして、元貴の言葉はなかなか胸に届かない。
元貴になくて僕にあるものなんて…
そんなのある訳ないじゃない…
そんな僕の表情を見ていた元貴が、ふいに口を開いた。
「じゃあさ……」
そう言って、にやりと笑う。
「演技の練習しようよ!また演技のお仕事来るかもしれないしさ!」
そう言って、スマホを取り出し何やら文字を打ち始めた。
何してるんだろう?と首を傾げているも、ズボンのポケットに入れていたスマホがブブッと震えた。
取り出して画面を見ると、そこには元貴からのメッセージが届いていた。
「…なっ、なにこれ?!」
慌ててタップすると、目に飛び込んできたのは顔から火が出そうなセリフ。
あまりにもベタな、恋愛ドラマそのものの台詞だった。
「ほら。もしかしたら、恋愛ドラマのオファーが来るかもしれないじゃん?」
茶目っ気たっぷりに笑う元貴。
からかってるのか、それとも本気で僕を励まそうとしているのか――判別できなくて、余計に胸がざわついた。
(演技の練習をするのはいいけど、なんでよりによってこのセリフなの…)
僕はスマホの画面を見つめたまま、完全に固まってしまう。
すると、隣でクスクス笑いながら、元貴が身を乗り出してきた。
「……涼ちゃん、声に出してみなよ。ほら、“練習”なんだからさ」
冗談半分のくせに、目だけは真剣で逃げ場を作ってくれない。
それでも僕は、どうしても言いたくなくて……いや、言えなくて。
苦し紛れに口をついて出た。
「…このセリフって…男女で言うもの、でしょ。元貴は男の子だから…なんか、その…難しいよ。」
本当は、演技の練習に性別なんて関係ない。
そんなことわかっているのに、口からこぼれたのは、ずっと胸の奥に隠してきた思いと同じ言葉だった。
下を向いていたから、元貴がどんな顔をしているのかは見えない。
すぐに何か返ってくると思っていたのに、静かな沈黙だけが落ちていく。
耐えきれなくなって前髪の隙間からそっと覗いたとき――目が合った。
「あはっ、そ…そうだよねー。ごめん!悪ふざけしすぎちゃった!」
弾かれたように笑顔を貼り付け、くるりと背を向ける元貴。
けれどその一瞬、確かに傷ついた顔をしていた。
そして今も、その背中が――泣いているみたいで。
気づけば僕の口から、スマホの画面に映っていた言葉が零れていた。
「あ、あのっ……僕……ずっと、元貴のことが好きだったんだ……!」
自分でも信じられないくらい震えた声。
胸の奥に押し込めてきた思いが、堰を切ったみたいに飛び出してしまった。
元貴の肩がぴくりと揺れる。
振り返るかどうか迷っているみたいに、しばらく動かない。
やがて、ゆっくりとこちらを向いたその顔は――どこか無理やりの笑顔だった。
「…演技、上手いじゃん。ほんとにそう聞こえたよ。…..アドリブまで入れちゃってさ。」
わざと軽く言うみたいに、元貴は口角を上げる。
まるで今の告白なんて“練習のセリフ”の一部だとでも言うように。
その仕草に胸がぎゅっと掴まれる。
誤魔化されたと頭ではわかっていても、耳に残る声はあまりに真剣で――心臓がまだ落ち着かない。
「あ…ははっ。ごめん、“君の事が前から好きだったんだ”だよね…..なんか、気合い…入っちゃったみたい。」
「…ははっ。気合いってなによっ。」
どちらもぎこちない笑顔で笑い合う。
言葉にできない想いを抱えたまま、ただ互いの顔を見て笑うしかできない僕たち。
沈黙が続く中、元貴がソファーに置いてあったカバンを肩に掛けた。
「……そろそろ帰ろっか。」
その声に、僕は小さくうなずく。
肩を並べて歩き出す帰り道――ぎこちなくも、確かに心が触れ合った瞬間を胸に抱えながら。
切なさと少しの温かさが入り混じった空気の中、二人の影が並んで揺れた。