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1.不穏
逃げ場はどこにも無い。みんな、蝶に刺されて死んでいった。「アルゴちゃん……」
せめて、せめて君だけは苦しまないように。君だけは、天国に逝けるように。
私はマッチに火をつけ、花畑に火を落とした。
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1965年。獣人が多く暮らす国、ヴェリアを血吸蝶が襲った。ヴェリアは現在、蝶によって命を奪われた多くの死体が転がっている、まさに地獄だ。
ヴェリアに住む人は北の国エボリュに避難をした。ヴェリアと交友関係のあるエボリュには、血吸蝶から逃げてきた人が溢れかえっている。
国は血吸蝶を対処する方法や国を守る方法、民の不満、様々な問題を抱えながら必死に戦っていた。
「………ァニちゃん……」
誰かが呼んでいる。
「ティファニちゃーん!…あ、おはよ」
目を開けると、アルゴちゃんが私の顔を覗き込んでいた。
「おはよ、アルゴちゃん。何か用?」
「ううん、何でもないよ。ただちょっと心配だったの 」
「そう……」
重い沈黙が流れる、仕方ない事だ。 もう何人もの人が死んだ。優しくしてくれたベイカーさんも、たくさん褒めてくれたカーターくんも、いろんな事を教えてくれたキリカさんも……。
私に残っているものはアルゴちゃんだけ。
一旦落ち着くために深呼吸をする。 外が騒がしい、何かあったのだろうか。
「外で何かあったのかな?」
「行ってみようか」
外の広場に出ると、何かを囲うように人が集まっていた。アルゴちゃんと迷子にならないよう、手を繋いで中心の方へ行く。
囲いの中心には門番兵らしき人と、びしょ濡れの男の人が話をしていた。
「大丈夫か、蝶に刺されたりは…」
「んもー、しつこいな」
言い争いをしているのだろうか。不穏な空気が流れる中、男の人が声を荒げた。
「あーもう!…ロナウド、カルト・ロナウドはどこだ!」
カルト・ロナウド。一瞬、耳を疑った。
「ねぇ、ティファニちゃん」
カルト・ロナウドは、ずっと昔に死んだ私の父親の名前だ。
2.調査
「…寒い」
血吸蝶の調査をしに、遠い海辺までやって来た。冷たい潮風が俺の体温を奪っていく。
「まさか海藻に足を取られて海に倒れるとは思いもしなかった。運動不足、いや…普通に足元を注意していなかったせいか」
低体温症に気をつけながら駅まで歩いて行く。国のお偉いさんは随分ケチな野郎らしい。奴らの命令で俺は血吸蝶の飛び交う危険な外の調査に行ってやっていると言うのに、馬の一匹も貸してくれない。
脳内で愚痴りながら歩いていると、青い花畑が見えた。
「あぁ、こんなとこにも咲いているのか」
美しく小さな花、青火草。
名前の通り、火をつけると青く燃える花。確か、昔の友人のカルトが好きだった花だ。
カルト・ロナウド。彼は一つのものに執着する俺と違って、様々な生き物を愛した研究家だ。カルトは海の向こうの生き物を研究しに遠出すると言い、それから会っていない。
もしかしたら、とっくの昔に家に帰り、今は娘と一緒に血吸蝶に怯えているかもしれない。だとしたら滑稽だ、ぜひその姿を拝んでやりたい。
彼にもう一度会えるのなら、是非研究を手伝って欲しい。俺は命令されるのが苦手なので、早く国の奴らから開放されて引きこもり生活に戻りたいのだ。
花畑を通り過ぎ、早足で駅に向かう。さっさと帰って暖を取りたい。
駅につき数分後、電車が止まった。乗車し辺りを軽く見渡すが誰も乗っていない。当たり前だ、外は死体と蝶しかいない。
電車に揺られながら外の景色を見つめる。国に帰ったら調査書を書く前に、カルト・ロナウドを探そう。
アルゴちゃんの手を離し、私の父の名を呼ぶ男に近づく。
「あ、あの…」
「なんだい、今君には用はないんだ」
「…カルト・ロナウドは、私の父の名前です」
男は前髪に隠れた目でこちらを見つめた。
「…そういえば娘がいたな」
しばらく彼は黙った。
「まぁいい!君の家へ案内してくれるかな?君の父親と話がしたいんだ」
私が返答しようとすると、横から別の男が割って入ってきた。
「パーカー、調査書の提出が遅れているようだが…こんな場所で何をしている?」
男は低い声で言う。よく見ると、身なりが整っていて、位の高い事が分かった。
私は数歩後退りする。
「あぁ、そういえばそうでしたね。…すまないね、君の父親の話は後にしよう。用が済んだらそっちに行くよ」
彼は手を軽く振り、2人でどこかへ歩いて行った。
それにしても、まだ父の名前を知っている人が知人以外にいる事に、私は嬉しさと同時になにか別の感情が沸いた。だが、それが何かわからなかった。
「ティファニちゃん!」
後ろから声をかけられた。父のことで頭がいっぱいで、 アルゴちゃんのことをすっかり忘れていた。
「ティファニちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だよ。もう家に戻ろうか」
「…うん」
3.知人
アルゴちゃんの家へ彼を招く。彼と話をする間、アルゴちゃんには席を外してもらうことにした。
「遅れてすまなかったね、少々お偉いさんとの話が長引いてしまって…」
ヘラヘラと笑いながら彼は椅子に腰掛ける。私は彼の向かいの椅子に座った。
「まだ名乗っていなかったね、僕はライト・パーカー。君は確か、ティファニだったかな? 」
「はい…」
おそらく、父から私の名を聞いたことがあるのだろう。
「で、君の父親、カルト・ロナウドはどこかな?」
「……父は、7年前に亡くなりました」
彼はしばらく黙り込み、またしばらくして口を開いた。
「そうだったのか。すまないね、余計なことを聞いてしまって…」
「いえ、勝手に研究に出て行った父が悪いんです。家族を捨てて研究に行き、海に呑まれ、骨も残さず死にましたよ」
「父親の事が嫌いなのかい?」
「………」
「答えなくていい。…本題に入ろうか」
彼は指を組んで机に置いた。
「君の父親、カルトが残した研究書を調べさせて欲しい」
4.覚悟
父の研究書は、父の死を告げられてからすぐ、衝動的に捨てた。
母は父よりも先に病死した。たった1人残された私達の家は、今はもう何も残っていない。思い出も研究書も、何もかもなくなった。
「どうかしたかな?」
私が黙っているのを心配したのか、彼が声をかけてくれた。
「…父の研究書はいくらでも見てもらって構いませんけど、もうあの家には研究書なんて殆ど残っていませんし、何より外は血吸蝶が飛び交っていて危険ですよ?ここからヴェリアまで徒歩で行くなんて……!」
いつのまにか声を荒げてしまっていた事に、言い切ってから気づいた。
彼を困らせてしまったのでは、と顔を見ると、彼は嬉しそうにニヤついていた。
どうして彼がニヤついているのか分からず困惑していると、彼は少し首を傾げで、長い前髪の隙間から私を覗いた。
彼は美しい、翠の瞳だった。
「血吸蝶は確かに危険だ、簡単に僕らの命を奪い取る。だが、血を吸われなきゃ死に至ることはない。コートでも着ていれば安全だ、まぁ顔は守れないが、気をつけていれば大丈夫だろう」
彼はまだ嬉しそうにニヤついていた。
「それじゃ、残っているかもわからない調査書を探しに、危険な外に行くんですか?」
「そうだね」
父の調査書が、彼にとってどれだけ大切な物なのか、私にはわからなかった。きっと彼も、父と同じ研究者なのだろう。偏見だが、研究者には変な人が多い気がする。
「研究書の閲覧許可は貰ったし、僕はそろそろ帰ろうかな」
彼が席を立つ。まさか本当に残っているか分からない調査書を探しにいくのだろうか?
「あ、あの!本当に、外に行くんですか?」
「そうだけど、何か不満かい?」
不満、確かにその通りだ。父のくだらない調査書のために死ぬかもしれない外に行くなんて。
「…私も、その調査書を一緒に探しに行ってもいいですか?」
「外は危険だと君が言ったんだろう?それに、調査書なんて、君には何の価値もないじゃないか」
私は彼の前髪から微かに見える翠の目を見て言った。
「確かに価値はないです。けど、私は父を知りたい、私の知らない父を…」
彼はしばらく私を見つめた後、また口角をあげた。
「いいだろう。けど、死んでも僕は知らないからな?」
彼はそう言い残し、家を出た。
ドアを数回ノックし、部屋に入る。
「あ、もう話は終わった?」
「うん。……あのね、アルゴちゃん。私、外に出て、一度ヴェリアの家へ帰ろうと思うんだ」
アルゴちゃんは目を丸くした。それはそうだろう、外は危険なのだから。
「でも、1人じゃないから。さっき来てた人と一緒に行くことになったんだ」
アルゴちゃんは心配そうな目で私を見つめる。
「大丈夫なの?私心配だよ…」
「大丈夫だよ、絶対戻ってくるから」
私はアルゴちゃんを抱きしめた。
大丈夫、絶対戻ってくるよ。だから君は安心してね。
5.帰省
早朝。コートを着て、長いブーツを履いて、待ち合わせの場所、外と国を仕切る外壁の出入り口へ向かう。
「…あ、おはようティファニ」
彼は門番との会話を中断して私に挨拶をする。
「おはようございます、パーカーさん…」
「あー、スカートで大丈夫?ズボンとかの方が動きやすいんじゃない?」
「大丈夫です。それに、スカートの方が慣れているので」
彼は「そう」と言ったが、少し不満があるように見えた。
門が開く。久しぶりにでる外壁の外は、思っていたより落ち着いていた。 これから徒歩でヴェリアまで行く。凄く遠いわけじゃない、けど、決して近くはない距離。
私は気を入れ直し、パーカーさんの後を追った。
血吸蝶が飛び交う外をしばらく歩いていると、青い花畑が見えた。
「……青火草」
私の声に反応し、パーカーさんも花畑を見る。
「君も知っているのかい?あの花を」
「はい。私の友達が好きな花で、よく話してくれるんです」
パーカーさんは少し興味を示してから、また前を向いて歩き出した。
この人は今、研究書の事しか頭にないのだろうか。私も人のことは言えないのだけれど。
ヴェリアの家に着いたら、研究書が残っていたら、私の知らない父の事を知れるかもしれない。好奇心や不安が混ざり複雑な気持ちになっていると、ヴェリアの外壁が薄っすらと見えてきた。
「…ティファニ、先に言っておくが、ヴェリアにはたくさんの死体がそこら中に倒れている。その中には君の知人もいるかもしれない。パニックになられて帰りが遅くなるとこっちが迷惑なんだ、覚悟しておいてくれよ? 」
たくさんの死体。その言葉だけで、今まで見た知人の死体を思い出して吐きそうだった。
でも、この人に迷惑をかけてはいけない。私は深呼吸をし、心を落ち着かせヴェリアの門を潜った。
久しぶりに帰ってきたヴェリアは、私の想像を遥かに超える地獄だった。
蝶が群がる死体、強烈な腐敗臭、既に白骨化した人間。私は慌てて手で口を覆った。
助けを求めるようにパーカーさんの顔を覗く。彼は表情を一切変えず、死体の横を歩いて奥へと進んで行った。
私は足元に気をつけながら彼の後を追う。
「君の家ってこっちだっけ?あまり覚えていないんだ」
彼は辺りを見渡しながら言う。
「あ、えっと…案内しますよ」
私は彼の前を歩き、家まで案内した。家に着くまでの短い道のりに、一体何人の死体が倒れていただろうか。
私は早く死体のない場所に行きたくて早歩きで家へ向かう。
「ここです」
私は一度振り返り彼を確認する。死体の道を歩いたとは思えないほど余裕な顔をしていた。
6.探索
久しぶりに我が家の扉を開けた。
家は当然手入れをされていないので、家具や床は埃っぽく、壁を登る小さな蜘蛛が数匹いた。だが、外とは違ってここには腐敗臭はない、それだけで十分だ。
パーカーさんと共に、父が使っていた部屋がある二階へ向かう。
「ここが父の部屋です。一階より汚れていると思いますよ」
「問題ない、中へ入ろう」
父の部屋の扉を開け、中に入る。
そこには埃の溜まった大きな本棚、木製の作業机、クローゼット、ベッド…。父が使っていた家具がそのまま放置されていた。
パーカーさんと父の研究書を探す。探すと言っても、この部屋には研究書どころか本も紙も殆ど残っていなかった。
パーカーさんは一階を探してくると言い、階段を降りて行った。私は変わらず父の部屋で研究書を探す。 本棚はもちろん。ベッドの下、クローゼットの中、机の引き出し。
どこにも父の研究書はなかった。
父の部屋は諦め、一階へ行こうと階段を降りようとした時、パーカーさんに呼ばれた。
「ティファニ、ちょっと来てくれないか!」
彼の元へ向かう。
「どうしたんですか?」
「これを見てくれ」
彼がカーペットを捲ると、そこには扉があった。
「君、これが何か分かるかい?」
彼は扉を開ける。
「いえ、こんな物があるなんて初めて知りました。地下室…ですかね?」
「おそらくね」
地下へと続く階段。何年も住んでいた家に、まだ知らない場所があるなんて思いもしなかった。きっと両親が隠していたのだろう。それか両親も知らなかったか。
「行ってみようか。あ、怖かったら来なくていいからね」
彼は私を気遣って来なくていいと言ったのか、それとも挑発、言葉通り来なくてもいいという意味なのかもしれない。
「…行きます」
私は挑発と捉え下へと降りた。
地下室に到着する。そこには壁一面の本棚と、本棚に隙間なく詰められた大量の本があった。
「これは…全部カルトの物かい?」
「わかりません、この部屋に来るの初めてなので…」
彼は興味津々の顔つきで本棚に近づき本を手に取る。
「…素晴らしいね、おそらく全てカルトの物だよ。生物や植物の研究書が山ほどある。僕の求めていた本もあるかもしれない」
全て父の研究書。私は信じられず、本の詰まった部屋を見渡す。
私の知らない父の事を知れるかもしれない、小さな希望を信じて一冊の本を手に取る。その本には植物について記録されていた。
黄色でラッパのような形をしたフリージア、赤い実のなるアオキ、アルゴちゃんの好きな青く燃える青火草など、様々な植物が父の筆跡で残されていた。
「お、あった…」
しばらく本を読んでいると、パーカーさんが独り言のように呟いた。私は彼の元へ行く。
「それが探していた研究書ですか?」
「あぁ、この本は主に蝶について記録されていてね、その中に記録された血吸蝶について僕は知りたかったんだ」
血吸蝶については私も興味があったので、彼の持つ本を覗き込もうと顔を近づけようとした時、彼は急に本を閉じた。
「…読まないんですか?」
「読むよ、帰ってからね 」
私は血吸蝶のページを読めなくて少し不満だったが、気にしないことにした。
「僕はもう欲しい物を見つけたし、そろそろ帰りたいんだけど…君は何かあったかい?」
「いえ、特に何も…強いて言うなら、この植物の本を持って帰ろうかなと思っています」
「そう、じゃあ帰ろうか。そろそろ陽が沈む」
地下室の階段を上り、私達は帰宅準備を始めた。
7.混沌
帰宅準備を終え外に出る。おそらく、もうこの家に戻ってくることはないだろう。
もうすぐ日が沈む時間だ。空を見上げると、一面赤く染まっていた。
「はやく帰ろう、蝶が増えてきた」
パーカーさんは焦っているのか、少し早歩きになっていた。死体を避けながら、私も早歩きで彼を追う。どうして来た時よりも蝶が増えているのだろう。
「あの、パーカーさん…来た時よりも蝶の数増えてませんか?」
「あぁ、この時間は血吸蝶が活発に動き始めるんだ。それにしても今日は多すぎる…一体何が起きているんだ」
彼は辺りを見渡しながら答えた。早歩きのせいなのか、焦っているのか、私は心拍数が少しずつ上がっているのを感じた。私達は無事にエボリュに帰れるのだろうか。
心を落ち着かせようと空を見上げた。さっきよりも空が赤くなっている。赤というより、赤黒いと言う方が正しいのだろうか。 空にノイズが入っているように動いて見える。どうして空にノイズが?
私は立ち止まり、目を凝らして見る。
「…パーカーさん、これって」
パーカーさんが歩みを止め振り返り、空を見上げる。
「血吸蝶ですか?………全て」
沈黙が流れる。お互い信じられず、空を見上げたまま動かない。
「……走るぞ」
私の視線が彼に移る。
「走るぞティファニ、殺される前に」
彼の言葉を合図に私達は全速力で走った。青火草の花畑を踏みつけて、本を落とさないようにエボリュまで走った。
体力が持つ限り走り続けると、やがてエボリュの外壁が見えた。
門に辿り着く、パーカーさんが門を何度か叩いた。
「ライト・パーカーだ、早くこの門を開けろ、血吸蝶の大群が来ている…!」
血吸蝶、その単語を聞くと、門番がすぐに門を開けてくれた。私達は急いで中に入る。
「あんたも早く屋内に隠れたほうがいい、いくら外壁が高いからと言って安心していたら死ぬぞ。蝶はこの外壁を超えてくる…」
パーカーさんが門番の人に、脅しているかのように言う。
「ティファニ、君はもう帰ってろ。僕は国の連中に報告しなければならない」
彼にそう言われて、私は小走りでアルゴちゃんの家へ向かう。向かう途中、パーカーさんが報告したのか、血吸蝶の大群の噂が兵から市民へ、町中の人に伝わっていた。
皆急いで屋内に入る。混沌に包まれた中、私は先程よりも早く走りアルゴちゃんの元へ向かった。
アルゴちゃんの家に着き、急いでドアを開け中に入る。慌てた様子で帰ってきた私に、アルゴちゃんが駆け寄ってきた。
「大丈夫?ティファニちゃん…」
「大丈夫だよ、走って帰ってきたから疲れちゃった」
アルゴちゃんは一瞬安堵の表情に変わったが、すぐに不安で顔を歪めた。
「今、血吸蝶がたくさん来ているんでしょ?私達、大丈夫なのかな…」
「心配だよね、でも家の中にいたら大丈夫だから、そんなに心配しなくていいよ」
私はアルゴちゃんを安心させるように優しく声をかけたが、それでも彼女の不安は消えない様子だった。仕方がない事だ。
血吸蝶の群れが通り過ぎるまで、私がアルゴちゃんを守らなきゃ。
8.崩壊
しばらくして窓を覗くと、血吸蝶が数匹町を飛んでいた。まだ外にいる人が急いで屋内に入る。パーカーさんは大丈夫だろうか。
血吸蝶の数が増えていくたび、私達の不安も強くなる。お願いだから、もう誰も死なないでほしい。 血吸蝶の大群が通り過ぎ、家を出たら町中死体まみれ、なんて事になっていたらどうしよう。
きっとこの街も近いうちに滅んでしまう、ヴェリアのように。
気がつけば日が沈み、空は暗く星が輝いていた。
私は疲れて眠ってしまっていたらしく、ソファで寝ていた。起きたら毛布が掛かっていたので、おそらくアルゴちゃんが掛けてくれたのだろう。
「優しいな……」
私はソファから身を起こし、アルゴちゃんの部屋へ行く。扉を静かに開け、アルゴちゃんの様子を確認した。彼女はベッドで眠っていた。
ドゴォンッ
私が再び眠ろうと自分の部屋へ向かった時だった。外から爆発音が聞こえ、数秒後に女性の甲高い悲鳴が聞こえた。
先ほどまで眠っていたアルゴちゃんが、自分の部屋から勢いよく出てきた。
「ティファニちゃん!何、さっきの音…何が起きてるの」
「わ、わからない…爆発?」
私達は窓に駆け寄り外の様子を確認する。
赤く燃える近所の家、爆発に巻き込まれ血をな倒れている人、驚いて外に出てきた人の周りを飛び交う血吸蝶。
「なに…これ……」
アルゴちゃんが小さく呟く。私はうまく状況を把握出来ておらず、言葉が出なかった。私が黙って窓の外を眺めていると、外で男が怒鳴りながら何かを投げていた。
「も、もううんざりだっ!国の奴らは何をしている、外壁をもっと高くしていれば蝶はこの町に入ってこれなかったはずだ!蝶を殺せる毒でも作っていれば、俺達が苦しむ事はなかったんだ!それなのに、奴らは安全な屋内でずっと引きこもって、一体何をしているんだっ!!」
男の怒鳴り声と同時に、また爆発音がした。よく見てみると、男の手には小さな爆弾らしき物が抱えられている。男を止めようと数人の兵士が駆け寄る。
「何をやっているんだ!今すぐ爆弾を捨てろ!」
「うるさい…うるさいうるさいっ!俺の家族は蝶に殺された、あんな小さな虫に!殺されたんだぞっ!俺の家族が死んでる間、お前らは何してた?何もしてねぇよなぁ!」
家が燃えていく。この町は現在進行形で滅んでいるのかもしれない。
「アルゴちゃん、逃げよ」
私はアルゴちゃんの手を引っ張り、必要な物を全て持ち家を出る。あの家にずっといたら、私達まで灰になる。
「え、でもっ、逃げるってどこに…」
「わからない、でも、逃げないと」
私はアルゴちゃんの腕を引き、逃げ場を探すために走った。
9.憂虞
走り続け外壁の外に繋がる門の前に来た。どうやら今は門番が不在らしく、私達は門を開け外へと出た。
さっきぶりの外は、外壁の内側に比べたらずっと安全に感じた。 暗い空に赤褐色の羽が舞う。普段なら美しく輝いているはずの星が全く見えない。
この世は蝶によって消えてしまうのでは無いかと思ってしまうほどの絶望に襲われる。まともに休まずほとんどパニック状態で走り続けているせいで、足が悲鳴をあげていた。
「……ちゃん、ティファニちゃん!」
アルゴちゃんの声で我に帰る。振り返ると、彼女はとても不安そうな目で私を見つめていた。
「ど、どうしたのアルゴちゃん」
「ずっと声かけてたけど、ティファニちゃん気づかないから…怖くて」
「そう…ごめんね、疲れたよね、少し休もっか」
私達は背の低い草が生い茂っている場所に座り込む。走っている時はパニックになっていて感じなかった疲労や足の痛みに襲われる。
ふとエボリュの方を見た。外壁で中の様子は見えないが、微かに煙が上がっているのが見えた。おそらく家が燃えているのだろう、ヴェリアと同じで木造の建築も少なく無い。アルゴちゃんの家も燃えてしまっただろうか。もし燃えていたら、私達が帰る場所はどこにも無いことになる。
私は不安で泣きそうになった。俯き気分を落ち着かせる。これからどうすればいいのだろう、今は何時?そういえばここはどこだっけ。考えるたび希望が無くなって、余計に泣きたくなった。
「大丈夫?」
私は顔を上げ、アルゴちゃんを見る。先程に比べて少し落ち着いていた彼女を見て、私も落ち着く。
「大丈夫だよ……これからどうしよっか」
エボリュに戻ったところで何も残っていない。蝶に殺された死体や、火事で焼けた死体があるかもしれない。そんなもの、アルゴちゃんに見せたく無い。
ヴェリアも同じだ。どちらかと言えばヴェリアの方が状況は最悪だろう。腐敗が進んだ死体に、蝶が群がっている死体。ひたすら気持ち悪くなるだけなので、私は考えるのをやめた。
「本当に、どうしよっか……」
「ティファニちゃん……」
アルゴちゃんの頭を撫でる。ふわふわしている彼女の髪に触れるのは、すごく久しぶりな気がする。
「今日はもう寝ちゃおう?蝶はみんなエボリュの方にいるから、ここは安全だよ」
「うん、ティファニちゃんも休んでね」
「わかってるよ」
私達はそのまま眠りについた。
10.夢見
夢を見た。アルゴちゃんと、タイルと言う女性と一緒に行った海の夢。
遠い遠い海まで、タイルさんのバイクに乗って3人で行った。久しぶりに見た海は、青く輝いていて美しかった。
私が初めて海に行ったのは父親が死んだ数週間後。父親の死が信じられず海まで1人で探しに行った。その日は天気が悪く、雨が降っていた。 強い波と薄暗い空を見て、父はもう死んだのだと実感した。その日、私は海が嫌いになった。
アルゴちゃん達と行った海は、あの時とは違って美しかった。
「君もおいでよ。ティファニちゃん、だったかな?」
「あぁ、タイルさん。私は見てるだけで十分ですよ、濡れたくないですし」
2人が戯れているのを離れたとこで眺める。しばらくして、私は2人の見えないところに行った。
あの日のように、波打ち際を歩く。濡れないように足元を見て歩いていると、蝶の死骸が流れてきた。
初めて見る赤褐色の羽をもつ蝶。
「海に蝶なんて珍しいな」
波にされるがままの蝶を見つめる。アルゴちゃんは、この蝶を知っているだろうか。
「ティファニー、アルゴちゃんが貝殻見せたいって呼んでるよー!」
タイルさんの声に反応して顔を上げる。適当に返事をし、夢は終わった。
重い瞼を開け、体を起こす。 空は昨夜とは大違いで、青く澄み渡っていた。
蝶に警戒して辺りを見渡す。
「………え」
アルゴちゃんがどこにもいない。
慌てて立ち上がり、辺りを探し回る。どれだけ探しても彼女の姿は無く、青火草の花畑とエボリュの外壁が見えるくらいだった。
呼吸が荒くなり、心拍数が高くなる。
「どこに行ったの……?」
一旦落ち着くためにしゃがみ込み考える。アルゴちゃんは一体どこに行ったのか。エボリュに戻ったのだろうか、でもあそこに戻った所で家は焼けているし、死体が数体あるだろう。それなのに戻る意味はあるのか?もしかしたらヴェリアの方に行ったのかもしれない。もしアルゴちゃんがヴェリアに戻っているのなら危険だ、あそこには蝶が大量にいる。
「はぁ………」
震えるため息を吐きながら冷静さを取り戻す。可能性があるとしたらヴェリアだろうか、もしエボリュに行っていたとしても、ヴェリアに比べたらずっと安全だ。
私はヴェリアに向かう体制を整え、アルゴちゃんを探しに向かった。
11.消失
数日ぶりにヴェリアに戻ってきた。
パーカーさんとヴェリアに行った日から1週間も経っていないのに、なんだか久しぶりに戻ってきたような気がした。
重い足で前に進む。相変わらず死体には血吸蝶が群がっており、腐敗臭が町中に広がっていた。
こんな所にアルゴちゃんがいるなんて想像できない。想像したくない。
死体を避けながらアルゴちゃんが住んでいた家へ向かう。彼女が家にいて欲しい気持ちと、ヴェリアの方にいて欲しい気持ちが混ざり合う。
考え事をしながら歩いていると、あっという間に彼女の家に到着した。
数回ノックをし、扉を引く。
玄関からは彼女の姿は見当たらない。恐る恐る中へ入る。彼女の家に来るのはこれで6回目くらいだろうか。不安を紛らわそうと無駄な思考をする。
「アルゴちゃーん、いるー?」
一階を見て回ったが、アルゴちゃんは見つからなかった。2階を探そうと階段の方へ向かった時、一匹の血吸蝶が2階へ羽ばたいて行くのが見えた。おそらく開けっぱなしになっていた窓から入ったのだろう。蝶のいる二階には行きたくなかったが、アルゴちゃんを見つけるために、私は階段を登った。
「アルゴちゃーん」
返事は返ってこない。二階は部屋数が少なく、一階よりも探しやすかった。手前の部屋から一つ一つ見て回る。最後に彼女の部屋が残った。少し緊張しながら、彼女の部屋の扉を開けた。
「アルゴちゃん?」
初めて彼女の部屋に入った時、私は”青い”と思った。なぜなら彼女の部屋は、青いものが部屋中に飾られていたのだ。
青い海の写真、青い花の写真、青い瓶、青い絵。彼女は本当に青が好きなのだと思った。
だが今は赤い。 血吸蝶が本棚の下に群がっていた。
外で死体に群がっている蝶の数に比べたら数が少ないが、それでも数十匹はいるはずだ。
蝶を追い払うために大きい音を立てる。蝶は音に驚き開いていた窓から出て行った。
私は蝶が出て行ったのを確認し窓を閉めた。先程まで蝶が集まっていた場所に視線を移す。
少し汚れたブランケットが、何かに被せてあった。中が気になりブランケットを退ける。
そこには アルゴちゃん がいた。
「……アルゴちゃん?」
彼女に駆け寄る。声をかけても反応しない、寝ているかと思って体を揺らしてみたが目を覚さない。
「アルゴちゃんっ!」
息をしていなかった。
蝶にさされてしまったのだろうか?でも、彼女はいつも少し大きめのコートを着ていて肌の露出が少ないので、さされる箇所が限られている。私は蝶にさされた跡がないか確認する。すると、彼女が足から出血している事に気づいた。傷はそこまで大きくないのに止血できていないのは、おそらく血吸蝶の毒のせいだろう。
慌てて彼女の足の止血を試みる。止血の仕方なんて知らないが、とにかく必死に傷口を抑えた。血が止まったところでアルゴちゃんが生き返るわけではない。ただ、彼女の死を受け入れられず現実逃避したいがために必死になっているだけなのだ。
「なんでまだ止まらないの……?止まって、止まってよ…お願い」
しばらく傷口を抑えたが、血が止まる様子はなかった。
アルゴちゃんから手を離し、手のひらを見る。鮮やかな赤が、指先までべっとりと付いていた。
改めて実感する。アルゴ・クラストは死んだのだと。
不安などで強張っていた体から力が抜ける。青く可愛らしかった彼女の部屋には、いつのまにか血の匂いが広がっていた。
12.愛惜
どれだけ時間が経ったか分からない。数分かもしれないし、数時間かもしれない。
徐々に彼女の体温が下がっていく。いつのまにか血は止まっていて、私の手に付いた血も乾燥し固まったいた。
このまま彼女をここに放置していれば、外に転がっている死体のように段々と腐っていくのだろうか。
酷い我儘だが、彼女にはそんなふうになって欲しくない。
立ち上がり、アルゴちゃんの部屋を見渡す。
棚に置いてあった一冊の本を手に取り、適当にページをめくる。数箇所付箋が付いていたので、私は青い付箋が付いているページを開けた。
そのページには、彼女のお気に入りの花、青火草について書かれていた。
ざっと目を通し、また別のページをぺらぺらとめくる。私が触ったページに、朱色の彼女の血が付く。最後のページまで見終わり、本を元あった場所に戻した。
棚から机の方に近寄る。引き出しを開けると、そこにも青いコレクションが丁寧に詰まっていた。
珍しいデザインの小さな紙製の箱を手に取る。これは、彼女の青いコレクションの中でも特にお気に入りの青いマッチだ。
まだ血吸蝶の存在なんて知らなかった頃、彼女が嬉しそうに私に見せてくれた事を思い出す。
『ねぇ見てティファニちゃん!これ、青いマッチ。可愛いでしょう?使ったら火も青いのかな、でももったいなくて使えないや…』
なんて言ってたかな。
しばらくマッチ箱を見つめ、スカートのポッケにマッチ箱をしまった。
引き出しを閉めて、アルゴちゃんを見る。やっぱり目覚める事はなく、静かに眠っていた。
「アルゴちゃん。最後にもう一度、花畑にでも行かない?本当は海に行きたいけど、ここからは遠すぎる」
話しかけた所で彼女が目を覚ます訳ではない。
「きっと大丈夫、私は最後まで貴方のそばにいるから」
赤く染まった手で彼女の頬に触れる。
心地良いくらいに、彼女は冷たかった。
肌の露出をなるべく減らし、血吸蝶がやってこないよう血は洗い流す。
彼女を抱え、エボリュを出る。そこそこ力はある方なので、小柄な少女1人抱えて歩くくらいどうってことない。
もし誰かに見つかったら、私は殺人犯扱いされるのだろうか。ぼんやりした頭で、また無駄なことを考え始めた。
13.火葬
歩くたびカサカサと音を立てる草に、だんだんと腹が立ってきた。
私は疲れてるの、静かにしてよ。
ゆっくり前に進む。やがて青火草の花畑が見えてきた。 目的地が見え、少し気が楽になる。
青い花畑にアルゴちゃんを横に寝かせ、腰を下ろす。体力を使い切ったせいか、座るのも疲れるので、私は寝転んだ。
空がだんだんと暗くなっていく。たまに血吸蝶がエボリュの方へ飛んでいくのが見えた。
隣を見るとアルゴちゃんが静かに寝ている。青い花に包まれた彼女はとても綺麗だった。
体を起こし背伸びをする。長いスカートのポケットから、アルゴちゃんの部屋にあったマッチ箱を取り出す。空がさらに暗くなり、空を飛ぶ蝶の数が増えてきた。
「大丈夫、きっとうまくいくよ」
逃げ場はどこにも無い。助けてくれる人も、助けるべき人もいなくなった。
「アルゴちゃん……」
せめて、せめて君だけは苦しまないように。君だけは、天国に逝けるように。
私はマッチに火をつけ、花畑に火を落とした。
火と花が触れ合った瞬間、花は青く燃え、炎は波紋のように広がっていった。
私はゆっくり腰を下ろす。長いスカートに火が移り、足が焼け始めた。
熱かった。
いつのまにか後ろに倒れ、全身が焼け始めた。
痛い。痛い、痛い、痛い。
もっといい最後はなかったのかと、今更後悔し始めた。このやり方じゃ、青火草が可哀想じゃないか。
後悔が一つ出てくると、続いて二つ、三つとまた出てくる。
もっとアルゴちゃんにしてあげられることがあったんじゃないのか。どうして見張りもせず寝てしまったのか。もっと早く気づいていれば助かったんじゃないか……。
後悔したって意味がない。もう遅いんだから。
やがて、花と共に意識が消えていった。
14.終末
市民の暴走によって町のほとんどが焼けた。血吸蝶に血を吸われ死んでいった者。火事によって死んでいった者。死体の数はヴェリアと変わらない。ここの破滅もすぐそこだった。
パーカーは外壁にの上に登る。一般人は入れないようになっているが、今は兵士が消化活動をしていて見張りがいない。
外壁の上からエボリュの町を見下ろす。赤い炎に包まれた町は、街灯がなくても十分すぎるくらい明るかった。焼ける音と風の音。たまに人の悲鳴が聞こえる。この町が消えたら、次はどこへ逃げようか。
ふと、ティファニの事を思い出した。あの子は無事だろうか。赤い炎の中に呑まれたか。それとも血吸蝶に殺されたか。きっと生きてはいない。この混沌の中、女の子1人が無事に生きているとは思えない。
町を眺めるのに飽き、外壁の外側を眺める事にした。
暗闇の奥に青い炎が見える。確かあそこは青火草が咲いていた場所だ。誰かが火をつけたのか。
「綺麗だ…」
青火草。青く燃えるのが特徴的な花。実際に燃えているところを見るのは、今日が初めてだった。
青い炎は、だんだんと周りの草に広がっていき、赤い炎に変わっていった。
外壁の外も中も炎に包まれ、逃げ場がなくなった。
一羽の蝶が手元に飛んできた。皮膚に針を刺し、血を吸い始める。やがて血を吸い終わった蝶が、町の中に飛んでいった。