紫雨は駐車場にキャデラックを駐車場に滑り込ませると、きれいに洗車されている白いハイブリッドカーを睨んだ。
「あいつ、俺を置いていきやがって……」
いつもは紫雨を起こしたうえで朝食の支度と靴下の準備までしてくれる林が、今日は起こしもせずに姿を消していた。
林の家に行くときはアラームをオフにしているため、危うく寝過ごすところだった。
紫雨はキーを抜きロックすると、エピのビジネス鞄を肩に引っ掛けながら展示場に向かった。
事務所のドアを開けると、営業マンたちが顔を上げる。
「おはようございまーす」
「はよーっす」
それぞれぼそぼそと口の中だけで挨拶をする。
マネージャーである自分の影響を受けての挨拶の仕方だったが、紫雨は理不尽にもそれにイラつき、スタッフを睨んだ。
「あら。ご機嫌ナナメ」
飯川の囁きに他の営業が笑う。
紫雨の起伏の激しさには、スタッフたちも慣れている。
「――おはようございます」
その中で唯一、お手本のようなきちんとした挨拶をした林を見下ろす。
「お前……」
「あ、もうこんな時間だね」
その声を聞いて初めて秋山がもう出社していることに気づき、紫雨はビクリと肩を震わせた。
「紫雨君。全員揃ったみたいだから、朝礼」
「――あ、はい…!」
慌てて自席に回り、鞄を置くと、軽く咳払いをした。
「それでは朝礼を始めます」
代り映えのない朝礼が始まる。
それぞれの部署の今日の予定が発表された後、展示場への来場予定を発表し、その際のお茶出し係を確認した。
「あ、最後にいいかな」
いつもは朝礼の際にはまだ来ていないか、来ても自席で仕事をして、朝礼に混ざらない秋山が、今日は林の隣にぴったりと寄り添うように立ちながら手を上げた。
「あ、はい。支部長」
言うと、彼はスタッフに視線を一巡させてから、口を開いた。
「施錠と解錠についてなんですけど。一応セゾンエスペースの定時は9時~18時となっています。大体みなさん8時過ぎくらいに出社すると思いますが、もし、7時前に出社する場合は前日までに私に一方願います。また、夜は打ち合わせなどで遅くなることは往々にしてあると思いますが、22時を超えた場合も同じく私に一報ください。連絡はメールで結構ですので」
「…………」
他のスタッフが頷く中、紫雨は秋山を見下ろした。
(なんで今、そんなことを言うんだ…?)
朝、姿が見えなかった林。
いつもより出社が速い秋山。
“7時前に出社する場合は―――?“
紫雨は隣に立っている林を横目で見た。
(こいつ、もしかして7時前に出社してたのか?)
目が赤い。
そりゃそうだ。昨夜、林を解放した時には3時を回っていた。
(そんな早起きして出社しなければいけない仕事が、こいつにあったのか?)
視線を落とす。
自分のデスクには、今週、勝負をかける客のプレゼン資料やら、設計から上がってきた打ち合わせ客の平面図やら、解体業者からの見積書のファックスやらが乗っている。
一方林のデスクは、ノートパソコンと手帳以外に何も乗っていない。
(ねぇだろ。お前に。仕事なんか)
解せない謎に紫雨は苛立ちを隠せないまま、朝礼を締めた。
◆◆◆◆◆
朝礼が終わり、秋山が何やら支度をして出ていくと、紫雨は林の椅子を蹴った。
「―――え」
そのまま自分の方向を向かせると、デスクに肘をついてこちらを睨んだ。
「お前ってさ」
「はい」
「秋山さんみたいな男がタイプなのか?」
ブッと派手な音を立てて向かい側に座る飯川がコーヒーを吹き出した。
隣に座る室井が顔をしかめながらティッシュを渡す。
「………な、な、な……」
突拍子もない話に、どこから否定をしていいかわからず、林は口をアグアグと動かした。
「こっちは質問してんだけど?」
紫雨が尚も睨む。
「―――あ、秋山支部長を、特別な目で見たことはありませんが……」
言うと、紫雨は無言で鞄を取り出し、どんとデスクに置いた。
「出かけるぞ」
「え?」
「土地探し。付き合え」
紫雨は有無を言わさずに立ち上がると、鞄を肩に引っ掛けながら営業の席の間を通り抜けた。
「いってらっしゃーい」
飯川が同情とも冷やかしともわからない顔でこちらを見上げた。
林は大きくため息をつき、紫雨の後に続いた。
車に乗り込むと、紫雨は、大音量で聞いていた洋楽ロックの音量を下げた。
「土地探しって、不動産回りですか?」
紫雨は答えずに鞄を後部座席に投げ首を回した。
「―――」
何やら怒っているらしい恋人の横顔を覗き込む。
(――なんでだ?俺が早くに家を出たから?でもそんなの今までもあったのに…)
彼はなおも苛立たし気に自分と助手席の間の肘掛けを下げると、そこにどっかと腕を乗せた。
乱暴にバックで白線から車を出すと、平日で空いているハウジングプラザの駐車場に弧を描いて国道に出た。
(――あ、もしかして)
流れる天賀谷市の街並みを見ながら、林はやっと思い至った。
(俺が朝っぱらから秋山さんと2人でいたことが気に入らなかったのかな)
だからこそのあの発言か。
半ば呆れて前方を睨んでいる紫雨を見る。
(俺、いくら何でも、自分の親世代の男性にときめいたりしないんですけど)
言葉にするか迷う。
(っていうか、本来、男自体好きじゃないし)
あ、これダメだ。こんなこと言ったら地雷も地雷―――。
金色の目がこちらを睨み落とす。
(こ、殺されかねない……)
その瞳の奥に確かな殺意を感じ、林は思わず目を逸らした。
どうやら自分に嫉妬してくれているらしい恋人の愛情に安堵しつつ、部下として上司に相談すべきことを言い出せない壁を感じ、林は小さくため息をついた。
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