「お邪魔します……」
「あら、あなた、来てくれたのね! どうも、春野ケイの母です」
あれから、葬式が終わったあとの数日後。
ある程度立派な、二階建ての一軒家の中に入って、自己紹介された。
彼の母という人物は、春野恵美という方で「めぐみさんって呼んでね」って、言われた。
「さて、あの子は自分が死んだらあなたに自分の日記を読ませてほしいって言っててね」
通夜の後にも、この人に同じ事を言われた。
「……だから、絶対きてね」
「えっ……?」
戸惑いに表情が揺れ、彼のように綺麗な、一人の母を見送ったあの日。
悩んだ。
でも、絶対。その言葉で仕方なく。
呼ばれて、来たくもないのに来てしまったこの家。
先に、居間に案内されることもなく、二階に連れてかれ、彼の部屋と思しき一室に、迎えられた。
「持ち帰って読んでもいいけど、是非、あの子のこの部屋で読んであげて」
その言葉を残して、めぐみさんは私を一人にした。
部屋の中は綺麗に整頓されていて、めぐみさんはそのままにしてある、そう言っていたけど、とてもそうは見えなかった。
綺麗に本棚を並べられ、彼が好きだと言っていた最新ゲーム機も、隅にお行儀よく片付けられていて。
そして、部屋の真ん中。目の前にある机の上に、リングノート状になった茶色い表紙の日記帳。
これを読んでね、と言わんばかりに置いてあって、静かに、でも床がギシギシなりながら、近くに歩み寄った。
『春野恵 未来日記』
その表紙には、知らない人の名前が書かれていて、でも彼の字だと分かる、あの汚い字だった。
一ページ目。
『俺は今十二歳。中学に上がった頃。突然未来を見るような変な能力? を手に入れた。事実を確実にするためここに書いてみる。』
二ページ目。
『やはり未来を見通す能力ではあるようだ。しかしある程度の先の未来しか見れない。もう少し確かめようと思う。』
三ページ目。
『この能力にはある程度分岐した複数の未来を見れるみたいだ。鏡をみて自分の瞳孔を見つめるとその選択した未来が見れた。もう少し確かめよう。』
四ページ目。
『この日記を未来日記としよう。ある程度の未来を書き写し、比較してみるとする。』
五ページ目からはその未来を見たと思われる詳細な事柄が書かれていた。
形式的に代わり映えしないので、少し、飛ばし飛ばしに読んでいくが、二十ページ目で気付く。書き方が、変わっていた。
二十ページ目。
『鏡とにらめっこして未来を見てたら、鼻血が出てた。あと今頭痛い。オーバーヒートみたいのもあるのかもしれない。気をつけるべし。』
……鼻血。
もしかして……、あの時のは……。
四十ページ目。
『なぜか、未来を見ていると自分が死ぬ事になっていた。なぜだ、他の未来を見ても、理由が変わるだけで必ず死ぬ。なぜ、これは代償か? しばらく未来を見るのは控えよう。』
四十一ページ目。
『変わらない。一ヶ月程置いて見ても俺は必ず死ぬ。どういうことだ。まだ死にたくない。まだ死ぬまで三年はある。なんとか考えよう。』
四十五ページ目。
『だめだ…、ある程度行動に移せば過程は変わるが必ず死ぬ事になっている。まだ、恋愛もしてないのに、人生を楽しみきってないのに死ねない。』
それからずっと、試行錯誤の事しか書かれておらず、ようやく違う事が書かれていたのは、八十ページを超えてからだった。
『あるひとつの未来に、ぶすっとした表情が第一印象の女の先輩に出会う未来があった。その未来はどの未来よりも楽しくて、どきどきして、理想の恋愛をしている自分だった。どうせ死ぬなら幸せに死ねる未来にするか。いや、そうしよう。今からこの未来になる行動をする。』
(………………)
八十二ページ目。
『どうにかこの未来の路線にたてたが、驚く事にこの先輩も未来を見通す能力があるらしい。複数の分岐ルートで先輩の過去を聞く時があって、それで色んな苦労をしたと聞いた。どの未来も俺が死ぬ時になって、彼女は明るく、心を開いてくれるようになった。でも最後の最後で凄い泣きつかれて、死なないで、死なないでと言われた。俺はこの選択をしたのは正しかったのだろうか?』
八十三ページ目。
『よし、決めた。ここからは先輩を幸せにできる方向に舵を切ろう。その方が使命感みたいでかっこいいし、生き甲斐がある。そうしよう。』
九十ページ目。
『先輩に会えた。相変わらず、イメージ通りのぶすーって顔してるけど、めちゃめちゃ可愛い。彼女を最後まで幸せにしてあげたいけど、ただ手助けするくらいしかできないなんて、無念だなぁ。』
九十五ページ目。
『そろそろ、タイムリミットだ。先輩は明るくなってきてくれて一番最善の方法を選んできた。でもまだ、なにかが足りない気がする。彼女の家に遊びに行くルートがある。これが一番良さそうだ。もっと見てみよう。』
九十六ページ目。
『そろそろ俺が死亡する時期に入る。突発的な病気になって死んだり、突然死したり、交通事故にあったり。救いはねーのかってぐらい必ず殺しにかかってくる。先輩の家に行って押し倒されるシーンがある。どうせなら、一線を超えたい、エッチな事とかキスだけでいい、めっちゃしてーと思ったけど、なぜかその運命のルートがない。そもそもなれないのかもしれないし、作れても今までのが崩壊する可能性がある。自分勝手な事だし、まあいいや。でも、童貞は卒業したかったなぁ』
ぷふっ。
なぜか、最後の最後で彼らしさが出ていて笑ってしまった。
そこまで真剣に考えといてそれかよ! カッコ悪いだろ! って彼の日記に叱りつけたくなる。
でも、そうか。やっぱり、キスぐらいしとけばよかったなぁ。
その後はきっと、入院して書けなかったのだろう。
めぐみさんがそのままにしてある、机の上に置いたままということから、あれからは書いてないのだなと、ちょっぴり思いを馳せて。
もう彼の痕跡は見れないのか、なんて残念に思ってしまい、最後にぱらららーとめくると、終わりの方に数ページ、文字が書いてあるのが見えた。
軽いあとがきかな? なんてその始まりのところを開くと、『センパイへ』と右上に書かれていて。
作文のタイトルみたいに書かれたそれを見た瞬間、両目からいきなり涙が溢れ出して。
ぶわっと、ダムが決壊して滝みたいに流れるみたいに、凄い勢いでぽたぽたと机を濡らしていって。
「な、なんで急に……」
私はなぜ、泣いてるんだ。彼の事が、彼の行動が気に入らなかったのに。
こんなの読んだら、またあなたの事が好きになっちゃうじゃない。
せめて、大事なこの日記だけは濡らさないようにと、目元をぐしぐしとすぐに擦るんだけど、全然止まる気配はない。
ひっくひっくと、自分のイヤな部分を、ゆっくり吐きだしながら。
どんどん、ゆっくりでも、確実に逃がしていく。
彼に、しっかり向き合わなければならない。
彼に、向き合う準備をしなければならない。
彼の、私の大事な日記を机の隅に置き、あの子のどんな言葉も受け取れるよう、しっかり自分をあやしていった。
「……すん、すんっ。ふう、……よし」
やっと、涙が収まって目元がヒリヒリするようになったから。よいしょ、と立ち上がっては、机の日記を手に取った。
ペラペラリ。パラッ。
『センパイへ』
なーに。
『センパイ、そう言えばオレの下の名前のケイってやつ、どんな漢字で書くの? て結構うざかったすよね?』
お前が言うな。
『実はあれ恥ずかしくて言えなくかったんですよね。母さんが恵美って書いてめぐみって読むんすけど、そこから恵をとってオレは春野恵、恵をケイと読むんです。女子みたいじゃん、可愛いーって言われそうでいやだったんですけどー、』
ふーん、それで?
『えーと、それで終わりです。すみません。』
終わりかよ! なんだよ、まったくもー。
次のページを捲って、ようやく、白紙になって。もう、終わりか。
そう、寂しさをまた、覚えてしまった時。
さらにページをめくると、
『追伸』
……ん?
『やっぱ、付け足し。センパイ、こんなグダグダで悪いんですけど、今のセンパイはどんなセンパイですか? オレが見てきた暗かったセンパイですか? オレが聞いた過去の優しいセンパイですか? きっと答えは決まってますよね。オレ、がんばりましたから。今のあなたなら大丈夫。これからを幸せに生きられる。やれる。やれる。やれるはずさ。オレが保証しますよ。あなたが死んだ先で不幸だったよー、ぴえーんなんて言うのならオレが叱りますから。そうなる前にオレが支えて、見届けますから。』
……ありがとう。春野恵くん。
『がんばれ!!!』
最後のひとページででっかく、そう走り書きされていて。
それを見ただけで、私はもう、大丈夫。
私は、孤独な『高木柊』ではない。醜い化け物の花に蝕まれる、要らない、つまらない、『高木柊』ではない。
そんな花を、食い千切ってでも生きようとする、幸せになって、誰かを幸せにする『高木柊』だ。
今の私なら大丈夫、大丈夫。
私は知っている、君の最期を。
私は知っている、君の全てを。
もう、大丈夫。
もし、これを見てるもう一人の『私(あなた)』がいるのなら伝えたい。
もう大丈夫だよ。
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