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プロローグ
彼と最初で最後のキスを交わしたのは降り積もる雪の音が耳に届くほど静かな夜だった。
「はじめてなの」
震える私の言葉に彼は無言で頷いて、シングルベッドの上に隣り合って座る。ぎこちなく唇を合わせる。照れくささを誤魔化すように意味もなく笑い合ったりしながら、でも止めることはしない。
慣れない手つきで、まるで壊れ物を扱うように丁寧に私の肌に触れる。
それだけでもう、愛おしさがこみ上げてくる。
ずっと好きだった。彼だけを好きでいた。
報われることのない恋だとしても、この宝物のような思い出があれば生きていける気がした。
閑散とした駅の構内で電光掲示板を見上げると運休の赤い文字が滲んで見える。
地元で開催された二十歳の集に参加するために帰省していた彼は突然の運休に東京へ帰る手立てを失った。
仕方なくふたりで車に戻ってくると、雪の重みで車のワイパーがぎしぎしと音を立てている。
「こんなことならクラス会、途中で抜ければよかったよ」
地元を離れた友人も多いことから担任の先生を招待したクラス会。久しぶりの再会にみんなで盛り上がり、今頃は二次会の最中だろう。東京へ向かう特急列車の最終便に間に合うように私の車に乗って会場を出てきたのに、まさか運休しているなんて。
「しっかし、困ったなぁ……」
大学進学を機に、家族そろって東京へ引っ越してしまったから元の家はもう他人の住まいになってしまっている。この辺りは温泉旅館が多いけれど、この時期は予約すら困難だ。案の定、スマホで宿を検索していた彼は小さく嘆息する。
「どこも空いてないかぁ」
県庁所在地のある市まで行けば泊まれるビジネスホテルはあるだろう。でも、雪の降りしきる中、五十分以上運転するのはだいぶ勇気がいる。もし、事故でも起こしたら彼の未来を奪ってしまうことになる。それだけは避けたい。
「うちに、くる?」
悩んだ末の提案だった。困っている彼を助けたいという思いの中に邪な気持ちがイチミリもないわけではない。私はもの心ついたころから彼のことが好きだった。家の隣にあった三代続く医院の次男で、運動も勉強もよくできて優しくて。困っている人を助けたいからと幼いころから医師の道を志していて。そんな彼を私は心の底から尊敬していた。
「……いいのか?」
「うん、アパート狭いけど」
高校卒業後、市役所の職員となった私は社会人二年目。二十歳の誕生日を機に、念願のひと人暮らしを始めていた。両親は寂しがっているけれど。
「ごめんな」
申し訳なさそうに彼は言う。
「ううんぜんぜん。大和がよければ、どうぞ」
彼がうなずくのを待って私は車を発進させる。途中でコンビニに寄ると彼は大きなレジ袋二個を持って戻ってくる。
「いっぱい買ったね」
「な、買いすぎだよな。替えの下着と歯ブラシだろ、あと酒とつまみと明日の朝飯。それと亜子の好きなシュークリーム」
「ダブルクリーム?」
「もちろん」
「やった!」
いつか話したことを覚えていてくれてうれしい。喜ぶ私を見て彼は白い歯を見せて得意げにニカッと笑う。見慣れた幼馴染の顔に戻ってホッとした。地元組とは明らかに違ういわゆる“都会の大学生”の雰囲気に少し気後れしていたから。
「着いたよ、降りて」
駐車場に車を止めエンジンを切る。くるぶしまで雪に埋まりながら慎重に歩いて玄関のドアを開けた。
「どうぞ」
「おじゃまします」
大和は大きな袋を置き、革靴のひもを緩める。高級そうな革靴は雪で濡れている。
「これ使って。革靴、濡れたままにすると痛んじゃうから」
靴のメンテナンス用にストックしている布の端切れ。大和は驚きながら受け取る。
「あ、ありがと」
「貧乏くさくてごめんね」
「いや、そうじゃなくて。大人だなって思ってさ。社会人てやっぱスゲーな」
褒められて、どう反応すればいいのか迷う。とりあえず「ありがと」とお礼を言っておく。私はエナメルのメリージェーンの雪を払うと布で乾拭きする。
玄関を入ってすぐ階段があるタイプのアパートの二階。1LDK共益費込みの六万円。最低限の家具家電を配置しただけのシンプルな部屋。入るとすぐ、電気をつけてヒーターとコタツの電源を入れる。
「お、コタツあるんだ」
嬉しそうに大和は足を突っ込む。小さいころ、私の家の掘りごたつが気に入ってもぐり込んでいたのを思い出す。大和の家は洋風のインテリアだったから珍しかったのだろう。
「なあ、亜子。明日は仕事?」
「ううん、お休みだよ」
地元の役場ということもあり、二十歳の集いに参加する職員はみな翌日も休みにしてくれている。
「じゃあ、二次会すっか!」
大和はコンビニの袋からスナック菓子やつまみの総菜やお酒の缶を出して並べる。冷蔵品やシュークリームは受け取って私が冷蔵庫へしまう。
「亜子はどれ飲む? 一応、甘いのも買っておいた」
女子が好みそうなかわいいデザイン缶。実のところ甘いお酒はそれほど得意ではない。
「とりあえずビールで」
大和は、「おう」といって黒い星の缶ビールを開けてくれる。車だったからクラス会でもソフトドリンクだけだった。乾杯して一口飲む。
「うまっ~」
大和の視線を感じて私は手を止めた。
「ん、なぁに?」
「いや。亜子が酒飲んでるの、……なんか違和感」
「私だってお酒くらい飲むよ。大和だって飲むでしょ? 毎晩女の子と飲み会したりしてるんじゃない?」
「まあね。誘われることは多いかな……」
そこは否定して欲しかった。医大生は他の大学の女子からも人気でよく誘われると聞いたことがある。大和ならすぐ人気者になってしまうだろう。彼女だってすぐにできる。いや、もういるのかもしれないけれど。
「だからって遊んでばかりいるわけじゃないぞ」
「分かってるよ。大和は大先生みたいなお医者さんになるのが夢なんだよね」
有馬医院は戦後に大和の曾祖父に当たる人が開院し、長年地域住民の健康と安心を守り続けてくれた。祖父にあたる大先生は昼夜問わず患者さんを受け入れて、地域医療に貢献した人。
高齢の大先生を手伝うために父親の若先生が東京から奥さんと長男を連れて戻って来てそれから大和が生まれた。幼い大和はよく大先生の診察室に入り浸って、医者のまねごとをしたりして、患者さんたちからもとても愛されていた。
でも五年前、大先生が亡くなり大和の高校卒業のタイミングで一家は東京へ引っ越すことになる。事実上の閉院に地元の人たちは困惑した。市内には総合病院があるも通院には車が必須になる。奥さんが東京の人だったから、田舎での暮らしが性に合わなかったんだろう。若先生に泣きついたんだろう酷い嫁だな。そんな無責任な噂に私は悔しさを滲ませる。大和のお母さんは持病の悪化で治療が必要になり、より専門的な治療が可能な東京へ戻ることにしたのに。
「亜子はどうなの?」
「どうってなにが?」
質問の意図が分からずに聞き返した。すると、大和は気まずそうに視線を逸らす。
「いやさ、久しぶりにこっち戻って来て子供いるヤツとかいて驚いたし、亜子もなんだか雰囲気変わってて彼氏とかいるのかなーって思ってさ」
「彼氏はいないよ」
大和以上に魅力のある人でなければ好きになれないだろう。少なくとも今の役所の中にはいない。もしかすると私は一生独身かもしれない。
「大和こそどうなの?」
「いないよ」と秒で返ってきて思わず笑ってしまう。それと同時に安心する。まだ誰のものにもなっていない。
「よかった」
ポロリと本音が出てしまい慌てる。お酒のせいにするにはまだそれほど飲んでいない。缶ビールを煽って大和の表情を盗み見た。すると驚きと困惑のちょうど中間のような顔をしてこっちを見ている。
「違うよ、先を越されなくてよかったってことだから。私より先に大和が彼女作ったら悔しいじゃない。負けたって感じで……」
必死に言葉を連ねるほど、墓穴を掘っていく気がする。ただひと言、あなたが好きだと。誰にもとられたくないと言えればいいのに。身分違いの恋を自覚しているから、十何年も言葉にできないでいる。
「恋愛は勝ち負けじゃないだろ」
あきれた顔で大和は言う。
「それはそうだけど」
「けど俺も、亜子が俺より先に誰かと付き合ったらイヤかも……」
いいながら頷く。まるで自分の言葉を肯定するように。そしてこんな提案をする。
「俺とキスする?」
それは告白でも何でもない、ともすればただの気まぐれにしか思えないその誘いに、私は戸惑いつつも断る選択をしなかった。他の誰かに先を越されるくらいなら、自分が大和の初めてになりたかったから。
コメント
1件
水羽凛さんのプロローグ、めちゃくちゃ良かった〜!!😭💕 雪の夜の静けさの中での再会、幼なじみの少し距離のある感じと、でも変わらない優しさ…「ダブルクリーム?」「もちろん!」でニカッて笑う大和、もう最高すぎる!✨ 「俺とキスする?」の誘い、曖昧だけど温かくて胸がぎゅってなったよ…亜子の「先を越されなくてよかった」って本音が切なくて、続きが気になりすぎる!⋆♡
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#医者
GUMI。
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