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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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客人の訪問という珍しい出来事は既に過去のこと。

 三人の傭兵は四日前に、子供と保護者は昨日この森を去った。

 ゆえに、本来の静けさを取り戻す。

 無限の天空は黒色に塗り潰され、入れ替わるように昇った月が静かに輝く。

 褐色の荒野。

 そこを駆ける三つの突風。

 さぁ、狩りの時間だ。

 夜行性の獣のように。

 獲物を狙う狩人のように。

 招かれざる新たな客が、真っ暗なその森に足を踏み入れる。


「ふいー、着いた着いた。この一週間、ずっと走ってたような気がするな」


 闇に溶け込む青紫色の長い髪。愚痴ってはいるが汗一つかいておらず、女は魔物の皮で作られた軽鎧をささっと払い、砂埃を吹き飛ばす。


「今回は問題なく到着ぅ」


 子供のような背丈だが、年齢だけを見れば成人に近い。ぼさぼさな青髪の下は無表情を貫くも、実際のところは心底喜んでいる。


「二人とも、気合入れて。ここからが本番だよ。私も封印を解く」


 今回は二人組ではない。戦力の補強として三人目が随伴しており、最後尾の女は加速と共に二人を抜き去る。最短の仕草で自身の目隠しを取り外した理由は、これからの戦いに備えるためだ。


「もう百回くらい訊いてるけどさー、センシエ姉さんのそれって意味あんの?」


 その背中を眺めながら、軽口ついでに問いかける。

 白色の革鎧は背中までは守っておらず、言い換えるなら無防備だ。それでも頼もしい理由はその力量が彼女らを上回っているからだ。


「あるっつってんでしょ。このまま振り向こうか?」

「ひえー、マジ許して! うー、一緒に来てくれたのはありがたいけど、巻き込まれる恐怖もつきまとうのがなぁ……」

「私達の命が頂戴されるぅ」


 この三人の瞳は普通ではない。

 眼球において色づいている部分は虹彩と呼ばれるが、その内側に赤線で円が描かれている。

 魔眼だ。魔女だけが持ちうる奇妙な瞳。それを宿した者の中には、この三人のように稀有な能力を発現する。


「センシエ姉さんの救済技法は最強過ぎて、憧れすら抱けないわ」

「あんたの思念公園も便利でいいじゃない。ミンクのは……、まぁ……」

「みんなそう言うぅ。ま、いいんですがぁ」


 彼女らの任務は、とある人間の抹殺だ。

 緊張感の無さは余裕の表れか。

 楽観的なだけなのか。

 どちらにせよ、シャリシャリと森の中を前進し続ける。

 ルーフェン。

 ミンク。

 そして、白髪の魔女、センシエ。

 三人は到着した。

 ここは迷いの森。標的である紅真紅はここに潜んでいる。


「例の四人組とまた出くわしたらさー、救済技法で金髪キザ男を殺してくんない?」

「わかってる。残りの三人は撲殺したいんだっけ?」

「そーそー。特にあのチビ! 腕折って、足も折って、顔と腹を死なない程度に殴り潰してやる」


 ルーフェンは長い髪を躍らせながら不敵に笑う。


「ここは敵さんのど真ん中ぁ。そんな暇はなさそうだけどぉ」

「うっせー。そんくらい楽しんでも構わないだろ。前回の恨み、晴らさないでどうすんだ。くぅ、思い出すだけでもイライラしてくる」


 あの遭遇戦は丁度一週間前のことだ。

 ミファレト荒野にて鉢合わせてしまった二組の人間。

 一方はイダンリネア王国の傭兵達。

 もう片方がルーフェンとミンク。

 彼女らの奇襲は失敗に終わり、四人には逃げられてしまった。

 想定以上の強敵と遭遇したことを受け、この二人は故郷へ一旦帰還する。

 作戦の続行は危険だと判断したからだが、依頼人はそれを受けて三人目を同行させる。

 それがセンシエ。白い髪の毛を後頭部で束ね、尻尾のようにぴょんぴょんと躍らせている。髪色同様の白いハーネス鎧は見た目以上に頑丈なのだが、それが傷つくことは滅多にない。

 その理由は二つ。

 ルーフェンとミンクでさえ霞むほどの高い身体能力と、最強に相応しい魔眼を有するからだ。

 救済技法。普段は目隠しを用いらなければならないほどに危険視されるこれは、彼女らの里における切り札と言っても過言ではない。


「センシエちゃんがいるから余裕ぅ。もし敵さんが一人で出てくるようなバカだったらぁ、それこそ一瞬で終わりだしぃ」

「一人で~? そんなことありえるのか?」

「黒婆様曰くぅ、この森に入った瞬間に奴は気づくらしぃ? 意気揚々と迎え撃とうと現れてくれればぁ、その瞬間にお命頂戴ぃ」


 迷いの森は彼女のテリトリーだ。侵入者を惑わすような結界が張られており、方向感覚を失った挙句に森の外へ追いやられる。


「ぞろぞろとお仲間連れてくんじゃねーの?」

「そうだとしても問題ない。紅真紅だけは即座に殺す。そのための私。そのための救済技法。死角はない。連発出来ないだけ」


 ルーフェンの疑問は当然だ。

 それでもなお、センシエは足を止めない。

 絶対の自信。

 不敗の貫禄。

 仮に魔眼がなかろうと、その実力は卓越している。素手であろうと後ろの二人を一瞬で肉塊に出来るほどだ。

 つまりは、人間という規格を完全に超越しており、だからこそ警戒されているであろうこの暗殺に選出された。


「あ、でもさー、その魔眼ってババアだけは殺せないんだっけ? 何で? 親みたいなもんだから?」


 背負った斧の重みを感じさせない足取りで、ルーフェンがわずかに加速する。


「な、何回も教えてあげたでしょ……。ミンク、あなたどういう教育してるのよ」

「ルーフェン姉さんに代わって謝罪しますぅ、ごめんなさいぃ」

「あっれ? すっごいバカにされてない? 私」

「そうね」

「ばーかぁ」

「おい!」


 この作戦は標的を殺すことだ。魔女という同胞をその手にかけなければならないのだが、この三人は気にも留めていない。それどころか普段通りに明るく振る舞えるのだから、人間を殺し慣れている証拠だ。初対面であろうと、容易に見抜くことが出来る。

 そう。この茶番を彼女は暗闇の中でじっと眺めていた。


「いらっしゃい。どこかの魔女さん」


 不気味な暗闇の中を走る、冷たい声。

 この瞬間、三人は直感的に理解した。

 こいつこそが標的だ、と。

 だが、姿が見えない。すぐ近くにいることはわかるのだが、正確な位置までは不明だ。


「たった三人で、と笑えばいいのかしら。それとも、三人も投入してくれたことを誇るべき?」


 警戒する魔女達へ、女がツラツラと言葉を続ける。


「来たぜ来たぜー。ぶっ殺してやる!」

「油断大敵ぃ。かなり近いぃ」


 ルーフェンは斧を、ミンクは短剣を構え、スッと腰を下ろす。敵地に足を踏み入れたのだから、こうなることは想定していた。決して慌てず、慎重に獲物を探す。


「ふーん、あなた達、三人とも能力持ちなのね。しかも、へ~……、抜け目がない。視覚の共有、戦闘系統の看破、そして……」


 この瞬間、センシエ達は硬直する。

 だが、終わらない。待ちわびた獲物がかかったのだから、この地の長はもてなしを続ける。


「見るだけで相手を殺せる魔眼……か。すごいすごい、間違いなく最強。制限さえなければ……だけど」


 見抜かれた。この状況には三人もわずかに怯んでしまうも、冷静さを欠くような態度は見せない。

 自分達に特殊なカードがあるように、相手も未知の手札を切って当然だ。人間との戦いに慣れているからこその境地であり、高鳴った鼓動を深呼吸で落ち着かせる。


「年齢は、二十七、二十四、十八。バラバラね」


 終わらない。女は独り言のように話し続けるも、この発言が三人に恐怖心を抱かせる。

 たかが年齢を当てられただけだ。戦闘の優劣には何も関係ない。

 しかし、その意味合いはそれ以上だと、ルーフェンの冷や汗が物語る。


(こいつ……! こいつの魔眼は複数の……)


 能力を持ち合わせている。そうとしか思えず、そうであるならば、より一層の警戒が必要だ。

 そんな中、片手剣を構え、誰よりも落ち着きを払うセンシエ。冷静に周囲を見渡すも、未だ標的の姿は見えない。それでも撤退を選ばない理由は、視界に捉えるだけで勝てるからだ。

 そういった行為を嘲笑うように、冷徹な声が木々の隙間で響く。


「全て見えている。なんならホクロの数でも数えましょうか? え? めんどう? 確かにそうね。もういいか」


 茶番は終わりだ。

 相手は自分を殺したがっている。

 ならば、迎え撃つためにもその姿を晒す。

 日が沈んだ森に響く、一組の足音。

 威風堂々と現れたその魔女は、誰の目から見ても真っ赤だった。


「おまえが、紅真紅! センシエ姉さん!」

「わかってる!」

「これで終わりぃ。あっけなさすぎぃ」


 ルーフェンの叫び声など関係なしに、センシエの魔眼が青く輝く。

 救済技法。視認するだけで相手の息の根を止めることが可能な魔眼。対象は一人に限定される上、再使用までに長いインターバルが必要だが、必殺であることには変わりなく、目的が暗殺である以上、その特性は最適と言えよう。

 ミンクが勝ち誇るように、赤髪の魔女はこれで終わりだ。

 闇に紛れることを止め、三人の前に姿を見せてしまった。

 紅色の、おそろしく長い髪も。

 凛とした素顔も。

 赤茶色の衣服も。

 しゅっと伸びる手足も。

 全て晒した。

 センシエがギンと目を見開き、その姿を視認する。たったそれだけの行為で彼女らの使命は完了だ。


「ところで、あなたの魔源の総量ってすごいのね。もしかして、超越者だったりするの?」


 女は倒れない。苦しむ素振りすら見せない。そればかりか腰に手を添え、悠然と問いかけてみせる。


「な……、まさか、こいつ⁉」

「ど、どうなってんだ⁉」


 白髪を揺らしながら、センシエが一歩後退する。今なお魔眼は発動させているのだが、正面の獲物は存命だ。

 ルーフェンも驚きを隠せない。

 この魔眼に失敗はありえず、ましてや見えていないわけでもない。

 月明りの下、その女は確かにそこに立っている。


「ねえ、答えて。あなたって超越者? どれくらい強いの? 私、そういう人間を探してて、生まれつきの超越者ならなお合格なんだけど」


 紅真紅ことハクアが見下すように問いかける。

 救済技法がいかに強力であろうと、問題ない。既に性能と弱点は見抜けており、この状況は当然の帰結だ。


「センシエちゃん……、もしかしてぇ、こいつって魔眼で殺せない相手ぇ?」

「う、く……」


 たじろぐ二人だが、その反応は仕方ない。

 絶対の自信には裏付けがあった。

 決して覆されないはずの根拠が、センシエにはあった。


「おそらくは、あなたもその魔眼も無敵だったのでしょうね。少なくとも、あなた達の小さな村では……。だけど、残念。雑魚がいくら集まったところで私には敵わない。あの人にはもっと届かない。とは言え、白髪のあなた、その魔源はお世辞なしにすごいと思う。魔法、何回使えるの? ねえ、教えて?」


 魔源とは、魔法を発動させる際のエネルギーだ。つまりは、魔法を扱う戦闘系統の人間にとっては、その総量は戦闘力に直結する。

 多いか。

 少ないか。

 それは才能や努力次第だが、ハクアが褒めたくなるほどには、センシエのそれは桁外れだ。


「ルーフェン!」

「わ、わかってる! ババア! こいつはこれだ!」


 やむを得ずの作戦変更。センシエは魔眼の発動を停止させると同時に年長者として指示を出し、ルーフェンはミンクの方へ向き直す。

 そして、右手でピースサインのように三本の指を立てれば、彼女らの最低限の仕事は完了だ。


「あらかじめサインを考えて、その子を介してこの状況を眺めている誰かに伝えた、と。私の戦闘系統を……。で? それで満足なの? もう終わり?」


 それでもなお、ハクアは余裕だ。彼女らの魔眼を見極めた時点で、こうなることは想定の範囲内、驚きもしなければ慌てもしない。

 むしろ、そう仕向けた。敵勢力を見極めるためなら、この程度の情報提供は痛くも痒くもない。

 ふぅ、とつまらなそうに息を吐き、前髪をかき分ける。退屈ゆえに出てしまった仕草だが、その隙を彼女が見逃すはずもなかった。


「お命頂戴ぃ」


 右腕が死角を作り、そこから獣のようにミンクが現れる。獲物の首を刈り取るための短剣が、最短距離で軌跡を描いた以上、今度こそ、この戦いは終わりだ。


「んなっ……」

「邪魔」


 二つの声と二つの異音が夜の森を駆け巡る。

 斬首は成されず、代わりに短剣の刃が音をたてて砕かれた。

 防がれたのではない。

 折られたわけでもない。

 彼女の首の方が、強度の面で上回った。それだけのことだ。

 その直後、ハクアの右腕が振りぬかれ、それを合図にミンクの頭部が消滅する。

 ただ殴っただけ。

 それでも必殺の一撃となって、魔女の命をあっさりと粉砕する。


「ミ、ミンク! え……? どこ行きやがった!」

「ここ」

「なに⁉ ぐほっ……」


 ルーフェンの魔眼は確かに二人を捉えていた。

 殺された従妹と、殺した紅真紅。

 しかし、気づけばそこに敵の姿はなく、ならば答え合わせが必要なのだが、その代償には自身の命を差し出す必要があった。

 背後から心臓を貫かれ、その証拠に真っ赤な手が胸から突き出ている。

 内臓をさらに破壊しながらそれが抜かれると、長身の魔女は倒れるよりも先に息絶える。

 一瞬だ。瞬きの間に、二人の魔女はこと切れる。


「さて、後はあなただけ。質問に答えて欲しいのだけど……。ふーん、まぁ、いいわ」


 汚れた右腕の血液を払い、その魔女はゆっくりと振り向く。

 視線の先には白髪の魔女が剣を構えて立っており、逃げる素振りを見せない代わりにゆっくりと口を開く。


「プロテクト」


 その詠唱を合図に、センシエの全身が青く輝く。


「ブレスベール。私はその子達とは違う」


 緑色のやさしい光が暗闇を照らす。


「コーブオブスパーク」


 白銀の剣に宿る雷撃。その騒音は静かな森には不釣り合いだ。


「グレイスウォール」


 彼女の目の前に一瞬だけ壁が現れるも、それは音もなく消え去る。


「カスケード。仇は取らせてもらうわ」

「ふふ、それは楽しみ。その実力、きちんと披露してね」


 赤い炎のような光線が足元から発生し、魔女の周りをグルグルと回転しながら上昇する。


「オーバースペック!」


 これが最後の強化魔法だ。詠唱の完了と同時に、センシエはオレンジ色のオーラをまとう。その気迫はすさまじく、嵐のように木々とハクアの衣服を揺らす。


「待たせたわね! 絶対にコロ……」


 実力以上の速さで駆け出し、間合いを詰めれば終了。

 そう。これで終わりだ。

 雷をまとった刃が振り下ろされるよりも先に、ハクアの腕がその何倍もの速度で縦横無尽に疾走する。

 その結果、センシエの両腕はそこから消失し、片手剣の甲高い落下音だけが空しく響き渡くも、その程度の損傷で済むはずもない。


「ば、化け……物……」

「失礼ね。私なんか、あの女の足元にも及ばない。あ、もう死んでるか」


 右腕、左腕、腹部、そこに詰まっていた十を超える内臓。それらを全てえぐり取られた以上、絶命という結末は必然だ。


(あ、色々聞きそびれた。ま、いいか。こんなのしか寄越せない連中、脅威にすらなりえないもの。ふー、平和という時間が、人間を弱くしちゃったのかしら。昔の人達はもっとすごかったのに……)


 それでもなお、倒すことは出来なかった。

 封印という最終手段が限界だった。

 その代償は大きく、ハクアは今なお悔いている。


(こいつらの武器が手に入ったと思って、今回の騒動は前向きに捉える、か)


 少々強引な結論だが、無駄働きよりは健全と言えよう。

 斧。

 短剣。

 剣。

 それらの生産はここでは不可能だ。イダンリネア王国から奪うわけにもいかず、戦利品を大事に扱う他ない。


「ハクア様、お疲れさまでした」

「ええ。死体の片づけと武器の回収、よろしく」


 孤高の魔女を中心に、ぞろぞろと仲間達が集まりだす。

 戦ったのはハクアだけだが、実際には多数の魔女が部外者を監視していた。


「うっわ、えっぐー」

「血と肉の匂いがすごい……」

「おぉ、こいつの剣、ミスリル製だよー」

「すっげー。お宝じゃーん」

.

 魔女が姦しく騒ぎ出す。まるで勝利を祝うようなやり取りだが、そうであることに変わりない。


「ハクア様。森の外に他の魔女は確認出来ません。どうやらこいつらだけのようです」


 遅れて一人、子供のような女がすっと現れる。

 この子だけ魔眼ではない。その瞳に赤い線の円はなく、それでもその実力を買われ、こうして働いている。


「そう。ネイもご苦労様。あなたの視力は頼りになるわ。それに比べて、お姉さんはホクロの数を数えてくれなかった」


 黒色の髪を左耳の後ろで束ね、垂らす少女の名はネイ。革鎧と短剣で武装している理由は、侵入者三人以外にも敵がいる可能性を考慮してのことだ。


「え、それぶり返すんですか? こいつらの衣服を透視しても、さすがにそれは難しいんですけど。拷問なんですけど」


 悪口を察知し、ローブ姿の魔女がすっとネイの隣に現れる。

 サタリーナ。この少女の姉であり、黒い髪はおかっぱのように横一線で整えられている。茶色のローブをベルトで締めており、その着こなしは大人のそれだ。


「あなたって誰よりも忠義を尽くしてくれるのに、時々咬みついてくるのよね。まぁ、構わないけど」

「ハクア様が無理難題を吹っかけてくるからです。忘れてませんからね、王国で魔物に襲われたこと」

「まだそれ言う……。生きて帰ってこれたんだから構わないでしょ」


 サタリーナとネイ。二人は仲睦ましい姉妹だ。

 姉の魔眼、妹の視力、そして高い身体能力を買われ、イダンリネア王国へ潜入任務にあたるも、オーディエンという化け物と遭遇するはめになった。

 二か月近くも前のことになるが、今なお根に持っている理由はそれほどの恐怖体験だったからだ。


「そういえば、この女の魔眼、どうやって打ち破ったんですか? 見るだけで人を殺せるって、よっぽどですよ?」

「あぁ、そのこと」


 サタリーナの疑問はもっともだ。

 救済技法の殺傷能力は回避不可能のはずだ。見るだけで済んでしまうのだから、狙われた側は死以外ありえない。


「制限、つまりは弱点があるって言ったでしょ」

「はい。それって何なんですか?」


 そのことを知る者は、ハクアとそれを見抜いた他の魔女だけだ。


「一度に一人しか殺せないこと。連発出来ないこと。そして……、こいつより魔源が少ない相手にしか通用しない。だから、よ」

「なるほど。腑に落ちました、片づけ手伝ってきます」

「あ、私もー」


 本来ならば、そんなルールは足枷にすらならない。センシエの魔源は他を寄せ付けないほどに膨大だからだ。少なくとも、彼女らの生まれ故郷に該当者は一人しかいなかった。

 そして、ここにもう一人現れた。それだけのことだ。


(結局、誰が私を狙っていた? あーあ、聞く前に殺しちゃった。まぁ、仕方ないか。弱すぎたもの)


 この時代のレベルの低さに辟易しながら、その魔女はつまらなそうに立ち去る。

 多数の魔女がはしゃいでおり、夜の森はまだまだ騒がしい。

 血なまぐさく、慌ただしいこの場所で、命が三つ散っていった。

 だからと言って、ハクアは胸を痛めない。そんな感情は遥か昔に捨て去っており、今は誰よりも冷徹でなければならない。

 暗闇の中、赤髪の魔女が黙々と歩く。千年前の後悔を打ち払うため、ただひたすらに前進し続ける。

 もっとも、長寿は彼女だけの特権ではない。

 真っ暗な室内に、背を曲げた老婆が一人。しわを伸ばすように不気味に笑い出す。

 長い黒髪には白髪が多く、着ている衣服は黒一色だ。


「お変わりなく……、ハクア様……。シシシ、お元気そうで何より」


 部下の魔眼を介して、途中までだがその光景を眺めることが出来た。

 上出来だ。優秀な駒を三人も失ったが、そもそもそうなることは織り込み故、涙など流さない。


「何年かすれば、あの子らも育ち切るでしょう。巨人族と王国を打ち破った暁には、あなた様の元へ出向きますゆえ……」


 心底嬉しそうに、笑みがこぼれてしまう。長年の願いが叶るのだから、やむを得ない。


「あなた様を殺し、私も死にましょう。共に、血の花を咲かせましょう」


 笑いが止まらない。

 止まるはずもない。

 およそ三百年間、その機会をうかがっていた。

 この時のために、生き続けてきた。

 この老婆は不老ではなく、ゆえに体は完全に衰弱している。

 歩くことさえままならない。それでも背を曲げたまま起き上がると、両手を広げて天井を見上げる。


「シシシ。あなた様の美しさ、もう一度私に見せてくだされ」


 しわしわな顔を歪ませながら、魔女は愉快そうに笑い続ける。

 魔女と魔女が殺し合う、悲劇の時代の幕開けだ。

 血が流れる。

 人間の。

 魔女の。

 魔物の。

 それを望もうと望まざるも関係ない。欲する者がいる以上、抗えぬ者は身を委ねるしかない。

 身構えるほど静かな夜、二つの音が鳴り響く。

 赤髪の魔女は歩く。

 黒髪の魔女は笑う。

 時代を越えて、彼女らは己の願いを望む。

 そのために殺し合うのか?

 そのために他者を利用するのか?

 その中心には一人の少年。巻き込まれ、戦わされ、それでも生き延びるためには抗い続ける。

 今はまだ、たった十二歳の子供だ。

 まだまだ未熟な、駆け出しの傭兵だ。

 諦めることを知らない、小さな頑固者だ。



 ◆



 走る。

 二人は生い茂る木々を避けながら、肩を並べて走り続ける。


「お昼ご飯どうしよっかー?」


 太陽光が差し込む森の中に、足音と彼女の声が響く。

 その問いかけ通り、少年もわずかに空腹を感じていた。目的地はまだまだ遠く、焦る必要はどこにもないのだから、これ幸いと返答する。


「ウッドファンガーで手早く済ますとかどうですか?」


 二人は余力をもって駆けている。それでもその速度は人並み外れており、だからこそ現時点でこの森にたどり着けている。


「おっけー。次見かけたらぶっ飛ばそっか」


 長身の女は嬉しそうだ。献立が決まったからか、食事が待ち遠しいのか、どちらにせよ、彼女らしい反応と言えよう。


「あっちに二体分の反応があります。行ってみましょう」


 周囲は見渡す限り、樹木と土と落ち葉だけ。それでもこの傭兵が左前方を指さした理由は、視認せずとも魔物の位置がわかるからだ。

 少年の名はウイル・ヴィエン。まだ十三歳の子供だが、魔物との殺し合いを既に一年以上も続けている。

 年齢の割に背は低いものの、すらっとした体つきからは想像出来ないほどに脚力は発達している。小麦色の庶民着と黒いハーフパンツは安物ながらもお気に入りゆえ、破けた際は同じ物を買い直す。

 小柄な背負い鞄はすっかり色褪せており、本来は美しい赤色だった。

 腰には短剣が一本。数え切れるほどの魔物を葬り去ってきたことから、その刃は刃こぼれだらけだ。買い換えたいと常々思ってはいるものの、金欠ゆえにそれは難しい。

 灰色の短髪で風を切りながら、今は愚直に前進する。


「こっちのキノコは久しぶりな気がするねー。いつ以来だっけ?」


 進路を変更した仲間の元へ、長身の女は一瞬で追いつく。

 エルディア・リンゼー。茶髪と赤いロングスカートをたなびかせ、突風のように走る姿はまさしく傭兵のそれだ。鋼鉄製の胸部アーマーと背中の両手剣は決して軽い荷物ではないのだが、彼女にとっては全く負担にならない。


「二か月ぶりくらいかもしれませんね。ここ最近はずっと北側を攻めてましたし。おかげで、何回も死にかけましたけど! 黒虎に噛まれた時は死を覚悟しましたけど!」

「なはは。良い勝負してたよねー」

「エリクシールを使う羽目になりましたから、大赤字……。微塵も喜べません。お、いたいた」


 笑い出したエルディアを他所に、ウイルは獲物を視認する。

 遠方に現れた、巨大キノコ。遠目からはわかりづらいが根っこのような触手が六本、自身を直立させながらトロトロと運んでいる。

 ウッドファンガー。この森に生息する獰猛な魔物であり、これに殺される人間は少なくない。


「なーいす。焼きキノコー!」

「塩焼きー。このままやっちゃいます」


 獲物に向かって、少年はさらに加速する。同時に短剣を抜き取り、右手で構えれば準備は完了だ。

 当然ながら、ウッドファンガーは人間の接近に気づく。小さな敵がわざわざ向こうから近寄ってきたのだから、探す手間が省けたと喜ぶだけだ。

 命のやり取りは一瞬で済まされる。

 両者がすれ違った瞬間、勝者は短剣を鞘にしまい、敗者は具材のようにバラバラと崩れる。

 まな板の上で輪切りにされた野菜のように、それはもはや食材でしかない。太く、白い柄は切り分けられ、ウイルはそれを満足そうに二個拾い上げる。

 赤茶色の傘は不要だ。食べられなくはないが、胴体の部分だけで事足りるのだから不味い箇所まで食す必要はない。


「いっそこれだけでも満腹」


 そのボリュームは、おかずとしては多すぎるほどだ。はんぺんのような白い具材は、少年の両手よりもずっと大きい。それが二個、すなわち一人一個。ウイルにはこれだけで十分だ。


「私は今朝買ったおにぎりも食べちゃうゼ」

「あ、はい。ここで食べます? もうちょっと南下して、川まで行っちゃいます?」

「んー、もうひとっ走りしよっか。どうせすぐだろうしね」

「そうですね」


 現在地から南の河川まで、歩けば丸一日は見込む必要がある。

 しかし、彼らにとっては目と鼻の先だ。立ちはだかる木々を避けながらの疾走となるが、それでもあっという間にたどり着ける。

 戦利品を鞄にしまい、ウイルはエルディアと共に走り出す。

 金払いの良い依頼を受領したのが今朝のこと。

 ギルド会館で落ちあい、一日の予定を決め、出発する。

 二人にとっての当たり前なサイクルであり、今日もそういう意味では変わらない日々と言えよう。


「ほい、到着ー。準備するねー」

「ふぅ……、さすがに疲れました」


 眼前に現れた、キラキラと輝く小河。川幅は広くないが、この地を行き来する者にとっては憩いの場と言えよう。

 先ほどの戦利品を手渡し、ウイルは一先ず腰を下ろす。手伝いたい気持ちはあるのだが、エルディアのペースで走ってしまうと、どうしても疲弊してしまう。


「まぁ、調理と言っても、串刺して塩をまぶして、火で炙る。以上!」


 輪切りのキノコが、彼女の手であっという間に昼食へ早変わりする。

 急ぐつもりはなかろうと、質素な献立ゆえ、食事の時間はあっという間に終了だ。

 もっとも、談笑は食後も続き、静かな森はそよ風と共に賑わう。


「今日中にシイダン村に着けそうですね」

「余裕っしょー。ウイル君もだいぶ体力ついたしね」

「伊達に一年も傭兵してませんし」

「そっか、もう一年かー。んじゃ、そろそろ巨人倒しに行ってみよっか」

「そういう思いつきで、僕が何回死にかけたやら……。この前の黒虎の件、一生忘れませんからね」

「ガブウッていかれてたよねー」

「ぶっとい牙がぐさっと……。こんな細い腕にあれがですよ。思い出すだけで気分が……」


 二人の笑顔は自然体だ。他愛ない日常でさえ楽しめるのだから、傭兵に必要な素質を持ち合わせていると言えよう。


「そういえば、この前の大会残念だったねー。私も二回戦で負けちゃったけどさ」

「僕なんか初戦敗退……、完全に見世物でしたよ。貴族様に楽しんでもらえて何より、と開き直ってます」

「えー、良い勝負してたじゃーん」

「ど、どこがですか……。そりゃ、少しだけは粘れましたけど、結果だけを見れば完敗です。右腕折られて、左腕も筋肉が断裂して……、あぁ、不甲斐ない。そんな僕と比べて、エルさんはまさか一勝しちゃうとは。過去に類のないことらしいですよ」

「勝ち上がったら相手がまさかの元上官。ボコボコにやられちゃったゼ」

「あんなエルさん、久しぶりに見ましたよ。いつぞやの巨人以来ですかね?」

「巨人~? あぁ、片腕の」

「そいつそいつ。懐かしいですね」

「だねー。あ、懐かしいで思い出した。お父さんがたまには顔出せって。ご飯食べさせてやるって言ってるよー」

「そ、そうですか……。その内、伺わせて頂きます……」


 乗り気になれない理由は彼女の父親にあるのだが、そのことをエルディア本人に伝えることは出来ず、ウイルは適当にはぐらかす。


「あ、今朝サキトンさんを見かけたんだけど、変な帽子被ってたからこっそり笑っちゃったゼ」

「へー、どんなのです?」

「真っ黒なとんがり帽子」

「あぁ、あれ、すっごいやつですよ。動体視力と反射神経が向上するみたいです。値段がつかないくらいの一級品」

「ほえ~、どこで売ってるの?」

「特異個体を倒してゲットしたらしいです。だから、世界に一個……かどうかはわかりませんが、少なくとも王国にはあれしか存在しないはず」

「あの三人はすごいねー。私達もがんばらないとだ」

「そういう意味では、等級四を目指すのもありなんですかね」

「お、やっちゃう?」

「そんなお金ありません。大会に参加したから、今の僕達はすかんぴんです」

「そうだったー。金を稼がねば!」

「そのための遠出です。うまい依頼には裏がありそうで怖いですけど……」


 傭兵の日常は金策だ。自由を求め、ギルド会館の門を叩くも、待ち受ける現実は金を稼ぐための毎日だ。


「どこかにお金落ちてないかなー」

「落ちてません。んじゃ、そろそろ出発しますか」

「あいよー。ここからだと、ひたすら西かな」

「そうなりますね。あ、シイダン耕地についたら、久しぶりに甌穴群見に行ってもいいですか?」

「おっけー。ところで、何だっけそれ?」

「シイダン川の上流で見られる、河底が丸くえぐれる自然現象です」

(おうけつぐん……。見たことあるような気がするけど、うん、思い出せん)


 諦めることを知らない少年。

 戦うことに貪欲な女性。

 二人は傭兵として、この世界を駆けまわる。

 ウルフィエナ。

 神々が作り出した楽園。

 もしくは、蜃気楼か。

 なんにせよ、少年は突き進む。

 もはや後戻りは出来ない。

 その線を越えてしまったのだから、退屈な日常には二度と戻れない。

 在りし日の思い出と共に。

 二人だけのこの世界で。

 生まれ、戦い、たどり着く。

 諦めない強さが、いつの日か巡り合わせる。

 託された希望

 託された絶望。

 どちらが勝るのか、それは神ですらわからない。

 舞台の上にはまだ一人。

 もう一人、劇を締めくくる存在が必要だ。

 それは未だそこから動けない。悠久の時を待ち続けており、されど焦る素振りすら見せない。なぜならもう間もなくだからだ。

 戦場で踊れ。

 この世界はそのように作られている。

 人間が人間らしく、仮初の平和を享受するためには殺し殺されるしかない。

 そのための魔物。

 そのための世界。

 中心からわずかに外れたその大陸で、少年は走り始めた。

 出会いと別れを繰り返し、そしてさらに三年後、新たな邂逅を果たす。


「君の名前は?」

「……パオラ・ソーイング」


 本当の奇跡は、ここから始まる。

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