「玉子焼きの味付けって、そんなにシンプルでいいもんなんだ」「なにを入れたら、あんな味になるんだか。おまえ、料理をしたことがないだろ?」
「そりゃ、まぁ……作ってもらってばかりだと悪いから、頑張ってみたんだけど」
大きい躰を縮こませて、しょんぼりした太郎。昔飼っていた犬が、こんな表情をしていたっけ。
そんな太郎の顔に、思わず口角があがってしまう。まったく、手のかかる困ったヤツだな。
「わからなければ、聞けばいいだろ」
「でも……」
口を尖らせてチラリと冷蔵庫を見やる視線で、瞬時に理解してしまった。
「ああ、桃瀬に対抗したのか。そりゃ無理なことを」
「無理だってわかっていたさ! それでも挑むのが、男ってもんだろ!」
悔しそうな顔して、プイッとそっぽを向く頭を、ぐちゃぐちゃと乱暴に撫でてやる。
「桃瀬と俺が出逢ったときには既に、アイツは家事全般をこなせていたからな、お姉さん仕込みでさ。普通の男なら、誰も太刀打ちはできないって」
「だけどっ……」
「嬉しかった。無駄だとわかっていながら、一生懸命に頑張ってくれたこと」
告げた瞬間、じわじわと頬に熱が集まるのが、すぐにわかってしまった。
「タケシ先生――?」
それを隠すようにコンロの前に立って、卵焼き用のフライパンを火にかける。油を引き隅々まで行き渡らせると、溶いた卵を入れてクルクルと手早く巻いていった。
「ほら、おまえもやってみろ。簡単だから……」
太郎に菜箸を押し付けるように手渡し、フライパンの前に立たせ、後ろから手を伸ばして、ところどころ補助してやりながら、卵を巻くことを覚えさせてやった。
「すげっ、ちゃんと卵焼きの形になってる」
「ああ、良かったな」
(――もっと、なにか言ってやりたいのに。それが言葉として出てこないなんて)
後ろから抱きしめた、太郎の体温をじわりと感じて、妙にどぎまぎしてる自分を自覚したら、急に恥ずかしくなってしまい、逃げるように体をぱっと離した。
「とにかく、ここからひとりでやってみろ!」
顔を見られないように、さっさとキッチンから出る。
(なんだこれ……動悸・息切れが、いつまで経っても治まらない)
「どうしたの、タケシ先生?」
「あ、いや。先にシャワー浴びてくる」
まくし立てるように答えて、キッチンから身を翻した。とりあえず頭を冷やそう。考えるのはそれからだ。
上気した頬をなんとか隠しながら、急いで浴室に向かった。
「太郎のヤツ、なんであんなに嬉しそうな顔をするんだ……」
頭から冷水を浴びながら、脳裏に太郎の顔が、ぼんやりと浮かんでしまう。たかが卵焼きが上手く巻けたくらいで、あんなに目を細めて笑うことないのに。
「あ、そうか――」
太郎の笑顔がいいって言っていた、若い看護師たちの話を思い出した。
普段大人っぽい雰囲気なのに、子どものように無邪気に笑う。そのギャップにやられるのかもしれない。笑うと目がなくなるくらい、それはそれは嬉しそうに笑うから。
「そんなことくらいじゃ、俺は落ちないけどね……」
シャワーの切り替えスイッチを押して温水にし、いつものように体を洗った。
「太郎のヤツ、出来ない料理なんてしやがって。そんなことしたって、簡単に俺がなびかないのがわかるだろうよ」
ヤツの押しの強さは、舌を巻くレベル。手を変え品を変え、次から次へと俺の想像を超えたことを、見事にやらかしてくる。
「その一生懸命さに応えてやらないと、太郎の命はどんどん短くなってしまうんだよな」
ここ数日、不意打ちのキス以外、手を出されてはいない。俺に好かれようと必死になって、いろいろと頑張っている姿――。
「……真実の愛ってのに溺れてみるのも、案外悪くはないか」
医者として周防武個人として、太郎には死んでほしくない――結局、アイツはいいヤツだから。
「いきなり俺から寄り添ってきたら間違いなく、すっごく驚くだろうな」
飴とムチで表現するなら、ムチばかり振るっていた。
「――極上の甘い飴を、アイツにやるとするか……」
甘いものは苦手だけど、太郎のためなら致し方ない。
自分の決心を引き締めるように、シャワーをきゅっと止めた。鏡に映る自分は、口元に笑みを浮かべている。
太郎を生かすために頑張ろうと思った。