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天才が、そこにはいた。
「やっぱりすごいね」
「さすが」
「頭の出来が違うわ」
そう同級生たちがもてはやす。
「天才」
「俺もその頭欲しい」
そんな軽い興奮に満ちた言葉が、
教室に飛び交う。
そしてその中心で照れくさそうに、
笑う生徒がいた。
「ありがと」
その生徒の名は、おんりー。
机の上に並べられた答案用紙には、
赤い丸がずらりと並んでいた。
バツ印は、ひとつもなかった。
「ほらー、お前ら座れー」
先生が声をかけて、
その興奮は次第におさまる。
おんりーは1人、
席で、その答案用紙を眺めていた。
おんりーは、 常に頭の中で、
最適解を探す機械を作動させている。
———今、この会話においてどう答えるのが最適解か。
———今、この相手に対してどんな会話を振るのが最適解か。
そして同時に、
自分の行動を分析する機械も作動している。
———今の返答は相手にとってベストだっただろうか。
———今の行動は誰かの迷惑になっていないだろうか。
加えて、おんりーは、
自分に「完璧」を求める。
求め過ぎる。
その性格を、何よりも嫌っていた。
頭の中では常にぐるぐると思考が巡っている。 誰かと会話するたびに、多くの労力を消費する。 それが、
当たり前。
「天才」
ともてはやされるおんりーの日常。
先生が解説をする間、
おんりーは必死にメモを取っていた。
まだ、伸ばせる。
まだ、完璧じゃない。
今回の考査だって、
運で当ててしまった問題もいくつかあった。
すると、周囲からひそひそと、
声が聞こえてきた。
((なんでメモしてんの?
((満点だったんでしょ?
((見せつけ?
((うわーw引く
((ちょ、聞こえるってw
脳内の機械が作動し始めた。
今の俺の「最適解」は、
メモを取らず満点を誇ることだった、のか。
間違えた。
周りからの目線が痛い。
間違えた。
間違えた。
間違えた。
顔が熱くなる。
失敗した。
メモを取る手が、止まった。
そこから、
その手が動くことはなかった。
授業が終わり、
1人の女子が近づいてきた。
「あ、あの、おんりーくん」
「どうしたの?」
この女子は、気が弱い。
柔らかな微笑みで対応しよう。
脳内で行動パターンが組み立てられる。
「今回のテストも、その、、すごかったね!」 「やっぱり天才だよ」
ここでの最適解は、
ありがとう、と受け流すこと。
表面上の褒めであることぐらいは、
容易に想像できた。
だが、授業中の陰口のこともあり、
つい口が動き出してしまった。
「いや、俺は天才なんかじゃないよ。 というかそもそも今回の考査、運で解いちゃったやつあるし。 頑張っただけだから。別に天才とかじゃない。」
そう、言い切った後に気付いた。
目の前に苦笑いをする女子がいる。
「あ、そう、だよね!ごめん」
あ。
間違えた。
言ってしまった。
なぜ今、俺は最適解を選ばなかった?
どうしよう。
どうしたら。
結局、 俺は、
他人の気持ちを思いやれない人間なのか。
どう足掻いても変わらないのか。
だめだ。
俺は、変われない。
天才なんかじゃない。
また、余計なことを言ってしまった。
自分への失望で、胸がいっぱいになる。
そうして自己嫌悪の渦に沈んでいった。
昼休み。
こんな自分が教室にいることに嫌悪感を覚えて、 逃げるように屋上に行った。
空気は、爽やか。
風も、気持ち良い。
だが、心の中は酷く澱んでいた。
どこか、黒いモヤが晴れなかった。
おんりーは、膝の上に置かれた弁当箱を開けていなかった。
開ける理由も、閉じている理由も、
説明できない。
ただ、静かに、 風に吹かれていた。
すると突然、おんりーに影が落ちた。
「食わねぇの?」
見上げると、そこにはmenが立っていた。
「あ」
「よっ」
リズムよく言葉が交わされる。
いつもの調子で、踏み込みすぎない距離感。
「後で食べようかなって」
「ふーん」
それ以上、追求はしてこなかった。
その、「ふーん」がなぜか胸に引っかかる。
今、何を話すべきだ?
menはなぜ、ここに来た?
脳内で思考を巡らせていると、
menが沈黙を破った。
「お前、今回の考査もすごかったなぁ」
一瞬、思考が止まる。
「ん、まぁ」
最適な返答。
波風を立てない答え方。
「さすがは俺の親友。努力の鬼、だな」
そういってmenはニカっと笑った。
心臓が、一瞬跳ねた。
menが俺に向けてくれた言葉は、
『努力』
みんなが俺に向ける言葉は、
『天才』
結果だけを切り取って、もてはやす。
いつも向けられるのは、表面上の興奮だった。
そして同時に、無慈悲に期待する。
「天才なら、できるでしょ」
「今回”も” すごいんでしょ?」
その重圧に、いつも押しつぶされそうになる。
だが、 menから向けられた言葉は、
違った。
「お前、すげぇよまじで」
「俺にはできんわ」
menはいつも、軽い。
何かあると、
すぐに歯車を回し始める俺とは違い、 軽い。
でも、不思議と、
嫌な軽さではない。
ふっと、心も一緒に軽くなる、
そんな言葉をかけられるmenを尊敬する。
「あ、ありがと」
「おんりー褒められ慣れてないのバレバレ」
「顔真っ赤w」
「…..うるさい//」
「ほら食べようぜ」
「……うん」
ぱかっと弁当箱を開ける。
爽やかな風と一緒に、 いい匂いがする。
弁当の中身は、毎日同じ。
白いご飯に、卵焼き。
冷凍食品の唐揚げ。
トマトとレタス。
色合いも、味も、想像がつく。
それなのに、今日は少しだけ、
いつもより鮮やかに見えた。
一つずつ、口に運ぶ。
トマトの爽やかな酸味が広がった。
今の俺には、 鮮やか過ぎるほどに。
「その弁当、毎日一緒だよな」
menがもぐもぐと口を動かしながら言う。
「まあ、変える必要ないし、 作るのめんどくさいしね」
「あ、自分で作ってんだっけ?」
「まあね」
俺は高校に入ってから一人暮らしを始めた。
家には、 誰もいない。
「偉すぎな?」
「そんなことない」
「おんりーちゃんは謙虚ねぇ〜」
茶化すような声。
でも、嫌じゃない。
屋上には、2人分の影と、
風の音だけがあった。
会話が途切れても、
不思議と気まずさはない。
沈黙が、怖くない。
それだけで、少し救われる。
「なぁ」
menが弁当箱を閉じた。
「今日さ」
脳内で、また歯車が回り始める。
何を言われる?
今日、何かしたっけ?
謝る?
最適解、最適解は———
「授業中さ、 めっちゃ静かだったよな、お前」
…….え?
突然変なことを言われて、
脳が一瞬止まる。
「いつもなんか一生懸命書いてんのに」
おんりーは、箸を止めた。
「…..見てたんだ」
「そりゃみるだろ、隣だし」
当たり前だ、という口調。
「なんかあった?」
どう、答えるのがベストだ?
ここでの模範解答は、
《別に》か《何でもない》だと思う。
相手に負担をかけない。
空気を壊さない。
そう分かっているのに、
「ちょっと疲れただけ」
口が、勝手に動いた。
言ってしまった、と思うより先に、
menが「あー」と、短く声を出した。
「そっか」
それだけ。
掘り下げない。
励まさない。
評価もしない。
「お前さ」
menが空を見上げる。
「ちゃんと、疲れてんだな」
「なんか安心したわ」
「みんな天才天才って言うけど、
お前なりに、頑張ってるだけなんだよな」
menは独り言みたいに続けた。
風で、髪が揺れる。
「何それ」
「ちょっと親友を励ましたくなっただけ」
「……何それ」
思わず、口の端が上がった。
「今、笑った?」
「……気のせい」
「いや、笑ったね」
「うるさい」
ふはっとmenが笑った。
それにつられて俺も笑う。
風の音に笑い声が重なった。
その奥で、おんりーは気付いた。
——menは
「俺が頑張った前提」で話をしている。
天才だから、じゃない。
できるから、じゃない。
「一生懸命やってる」前提。
それが、こんなにも救われるなんて。
昼休み終了を告げるチャイムが、遠くで鳴った。
「戻るか」
「そだね」
menが立ち上がる。
「午後もがんばろうぜ」
「…うん」
弁当箱を閉じて、立ち上がる。
空は、相変わらず青い。
心の中の黒いモヤは、
まだ完全には消えていない。
脳内の機械も、
相変わらず起動している。
それでも。
「なぁ、おんりー」
階段を降りる前に、menが振り返った。
「無理な時は、頼れよ」
軽い口調。
命令でも、忠告でもない。
「俺は、いる」
その一言だけを残して、
menは教室に戻って行った。
「何、それ…」
無理な時、か。
その言葉を胸にしまって、
おんりーもゆっくりと後を追った。
午後の授業は、頭に入ってこなかった。
黒板の文字は、見えている。
先生の声も、聞こえている。
ノートも、相変わらず、
合理的に埋められていく。
それなのに。
——今、これは本当に必要な情報か。
——他人からは、どう見られているだろうか。
——この思考そのものが、『無駄』ではないか。
脳内の機械は止まらない。
昼休みの後、少し軽くなったはずの歯車は、
また音を立てて回り始めていた。
menの言葉が、時々よみがえる。
『ちゃんと、疲れてんだな』
その一言が、なぜか引っかかる。
疲れている、と言う状態を、
俺はこれまでに一度も許可したことがなかった。
疲れるのは、努力が足りないから。
しんどくなるのは、行動が最適じゃないから。
そうやって自分を修正し続けてきた。
疲れて、いいのか?
考えようとした瞬間、
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
怖かった。
もし、
「疲れている自分」を認めてしまったら、
今まで積み上げてきたものが、
全部崩れる気がした。
天才じゃない。
完璧じゃない。
努力してるだけの、凡人。
許してしまったら、
———俺には何が残る?
チャイムが鳴った。
周囲が一斉に立ち上がり、
教室が騒がしくなる。
名前を呼ぶ声。
笑い声。
椅子を引く音。
黒板を消す音。
その中に存在していながら、
おんりーは、どこか透明だった。
「おんりー、明日の小テストさ——」
声をかけられた、気がする。
耳がしっかりと聞いていなかったようだった。
「あ、うん」
内容は、よく覚えていない。
最適解の返事は、
多分反射的にしたのだろう。
たぶん。
教室を出る頃には、
頭がじんわりと重く、熱を帯びていた。
廊下の窓から見える空は、
昼よりも少し、色が濃かった。
——今日は、家に帰ったら何をする?
予習。
復習。
足りない部分の洗い出し。
答えはすぐに出る。
いつも通りだ。
なのに、足が重い。
家に帰れば、誰もいない。
静かな部屋。
自分の思考だけが、反響する空間。
「……帰るか」
小さくつぶやいて、
おんりーは校門を出た。
夕方の風が少し冷たく、
街路樹の隙間から、抜けてくる。
menの
「俺は、いる」
という言葉が、
頭の奥に、
かすかに温度を保って、 残っていた。
——無理な時、か。
その基準が、まだ分からない。
無理かどうかを判断するのも、
結局は最適解を探す、 「作業」だ。
だが、おんりーは気付いていなかった。
足取りが、 朝よりもほんの少し、
遅くなっていることに。
あいつは、無理してる。
俺には、分かる。
ただ、あいつは、
それに気付いていない。
気付かないまま、
静かに限界に近付いている。
多分、
本人は「まだ大丈夫」って思ってる。
いや 「まだ」というか、
『いつも通りだ』などと、
思い込んでいるんだろう。
それが、あいつの癖だ。
あいつはいつも、最適解を探してる。
小さい頃から、ずっと。
「最適解は…」
そう呟く背中を、 何度も見てきた。
尊敬してる。
本気で、すげぇやつだと思う。
でも。 周りの人間は、
あいつを檻に閉じ込めた。
「天才」という、
1番壊れにくくて、
息ができなくて、
逃げられない檻に。
俺は、その檻を壊せない。
「もうやめろ」とも、
「休め」とも、言えない。
言えば、 あいつは多分、
ちょっと不機嫌そうな顔で、「大丈夫」って。
きっと言う。
それが、
1番危ないって分かってるのに。
鍵を開ける音が、
やけにうるさく響いた。
「ただいま」
返事がないことぐらい、 理解している。
靴を揃える。
向き、場所。
完璧に揃える。
無機質な部屋に、
明かりが灯った。
整然と並ぶ参考書。
分厚い本が並ぶ本棚。
閉じたままのカーテン。
制服のネクタイを外し、
ハンガーにシャツを掛ける。
いつも通り。
何の変哲もない。
カバンを机の横に運び、
数学の参考書を開く。
右手で、シャーペンを握る。
金属の部分がとても、冷たい。
ひんやりとした感触が、 伝わってくる。
文字を、
数列を、
並べていく。
f(x)=x^2+4x-12
=(x+2)^2-16
なぜだか、腕が重い。
次の式は、浮かんでいるのに。
ただ式だけが宙を舞って、 戻ってきた。
呼吸が、少し浅い。
吸っているのに、 酸素が入ってこない。
menの言葉を反芻する。
『無理な時』
今は、「無理な時」なのかな。
いいのかな、休んで。
明日、やればいいか。
初めて、「明日でいい」なんて、
妥協してしまった。
俺は、努力し続けなければ、
期待に応えられない。
この行動は、
本当に「最適解」か?
menの言葉を思い出す。
『無理な時』
結局俺は、重たい腕をそのまま下ろし、
ベッドに倒れ込んだ。
天井を見つめる。
真っ白で、 無機質。
思考が、洗練される。
ふと、何かが、
頬を伝った。
それが何なのか、
すぐには分からなかった。
瞬きをした拍子に、
視界の端が、少しだけ滲む。
あれ。
天井の輪郭が、
ぼやけている。
おんりーは、指先で、
目の下をなぞった。
濡れている。
?
意味がわからない、と言う表情のまま、
もう一度、瞬きをする。
するとまた、 同じところを、
静かに何かが落ちていった。
音もなく、 ただ、頬をなぞって、
シーツに染みていく。
——なんで?
脳内の機械が、
いつものように解答を探し始める。
悲しい出来事は、あったか。
辛い言葉を、言われたか。
失敗したか。
今日の出来事を、 順番に思い出す。
テスト。
昼休み。
men。
帰り道。
どれも、
致命的な「原因」には当てはまらない。
理由が、見つからない。
おかしい。
なのに、 息を吸うと、
喉の奥が、震える。
次の瞬間、 胸の奥が、
ぎゅっと縮まる。
「……っ」
声にならない音が、
喉からこぼれ落ちた。
止めようとした。
意味のない反応だ。
泣く理由が、ない。
そう脳内の機械は計算したのに、
次々と、 涙が溢れてくる。
視界が、 完全に歪む。
呼吸が、 乱れる。
吸おうとすると、詰まる。
吐こうとすると、震える。
何が苦しいのか、
自分でもわからない。
胸が痛いわけでもない。
どこか、怪我しているわけでもない。
ただ、 何かが耐えきれなくなったみたいに、
おんりーは、静かに、
枕に顔を埋めた。
音を立てないように、
誰にも気付かれないように。
でも、肩が、
小さく跳ねる。
抑えようとしても、
勝手に動く。
涙は、止まらなかった。
理由を探す思考は、
次第に弱くなっていった。
答えが出ないまま、
考える力そのものが、
ゆっくりと削れていく。
———疲れた、のか?
浮かびかけた問いは、
すぐに消える。
違う。
それを認めるには、
まだ早い。
だから、おんりーは、
ただ目を閉じた。
思考を、放棄した。
気付いた頃には、
涙で濡れたままの頬が、 とても冷たかった。
そして、そのまま。
意識を、 静かに手放した。
目覚ましの音が、
遠くで鳴った。
顔が、冷たい。
——鳴っているはずだ。
そのはずなのに、
それが起きる合図だと、
脳は認識していない。
仰向けのまま、
天井を見ていた。
昨日と同じ、
真っ白な天井。
なのに、やけに重たく見える。
体を起こそうと、 お腹に力を入れるが、
スッと力が抜ける。
動かない。
正確に言えば、
「動け」という命令だけが、
宙に浮いた状態。
腕に力を入れて、
ベッドを押す。
視野が、変わらない。
どこにも、反応がない。
おかしい。
寝不足でもない。
昨日は、ちゃんと寝た。
なのに、 布団がやけに重い。
体を何かに、押さえつけられているようだ。
呼吸を整えようと、
肺に意識を向ける。
……浅い。
吸っているのに、 途中で途切れる。
もう一度、吸おうとしたが、
諦めた。
理由は不明だが、
起き上がれない。
一旦、そう判断した。
するとまた、
視界が滲んだ。
なんなんだ。
意味がない。
非合理的だ。
そう、脳は分析した。
なのに、 止まらない。
枕に吸い込まれていく。
呼吸が乱れ、 喉の奥が、
ひく、と音を立てる。
声が出そうで、出ない。
胸の奥が、 締め付けられる。
分からないままなのに、
体が先に、反応している。
——遅刻するな。
その言葉が、頭に浮かぶ。
学校。
授業。
ノート。
最適解。
行かなきゃいけない。
行けない理由が、ない。
なのに、
体が持ち上がらない。
体が、 「ここにいろ」と訴えかける。
それに「抗わなければならない」、
という命令が下された。
無理矢理、体をねじる。
ベッドから脱しようと、
必死に身をよじらせる。
その瞬間、 お腹に、
冷たい感触が走った。
頬にも、ひんやりとした、
無機質な、 床の質感を感じる。
体が、ジンジンと熱を帯び始める。
痛い。
……転げ落ちたのか。
状況を理解するやいなや、
そのまま腕で、
思いっきり床を押す。
一度、立ち上がったかと思えば、
そのまま、 力が抜けた。
世界が、 ふっと遠のく。
天井が、 ゆっくり、 暗転した。
「ん?おんりーは?」
先生の声に、
少し、 怒りが混じっている。
「men、お前何か知らねぇの?」
クラスメイトが口々に、
俺の名前を呼ぶ。
「いや、知らねぇな…」
今までに、おんりーは、
一度も無断欠席なんてしたことがない。
どうしたんだ?
何か、あったんじゃ…
嫌な妄想をしてしまった。
いや、でも。
不安が一気に積み重なる。
2時間目の途中で、
嫌な予感は、確信に変わっていた。
チャイムが鳴っても、
隣の席は、空のままだった。
先生は少し苛立った様子で、
「おんりーは?」と聞いた。
誰も答えない。
無断欠席?
あいつが?
あり得ない。
昼休みになっても、
連絡は来ない。
スマホを確認する。
「大丈夫か?」
送ったメールは、
確認されることなく、 ただ返信を待っていた。
「なぁ」
隣の席のやつが、話しかけてきた。
「おんりー、来てねぇな」
「知ってる」
自分の声が、 思ったより低かった。
「昨日さ、なんか元気なくなかった?」
その一言で、 頭の中のピースが、
噛み合い始めた。
屋上。
弁当。
“ちょっと疲れただけ”
——無理な時は、頼れよ。
俺は言った。
言っただけだ。
それで、終わったと思ってた。
でも、 あいつは、
「頼る」って行為そのものを、
選択肢に入れていない。
いつの間にか、立ち上がっていた。
「ど、どうした?」
「先生に言っといて 」
「は?」
「おおはらは、サボりですって」
「……は、?」
校門をくぐり抜け、
街路樹の影を、走り抜ける。
胸の奥が、ざわつく。
言葉にできないけど、 もう分かってた。
あいつは、
いつも「大丈夫」って言う。
家の前に、立った。
息が荒い。
カーテンは閉じたまま。
電気も、付いていない。
空気が、重い。
嫌な汗が、背中を伝う。
「おんりー!!」
精一杯、喉から声を出すが、
返事はない。
思い切って玄関のドアを開けてみる。
っえ……?
開いている。
あのおんりーが?
余計な考えは振り払って、
リビングに入る。
相変わらず、無駄がない。
考えられた動線。
最低限の家具。
整理整頓されたプリント。
まるで生活感のないリビングには、
誰もいない。
息が、きれる。
ここまで走ってきた反動が、
体に響いた。
でも。 探さないと。
寝室のドアを開けた瞬間、
時間が、 止まった。
床に倒れたままの体。
伸び切った腕。
乱れた呼吸。
「……おんりー!」
駆け寄って、肩に触れる。
冷たい。
「ばっ……何やってんだよ……」
声が、震えた。
ゆすっても、 反応が薄い。
生きてる。
それだけが確かだった。
檻の中で、
1人で考えて、
耐えた。
壊れる寸前まで。
「……バカ」
そう言って、
俺は初めて、
あいつを 「親友」じゃなく、
「守るべき存在」として、
抱き起こした。
誰かの、声がする。
誰の声かは、
脳が感知していない。
意識が、朦朧としている。
倒れた、のか?
全身に冷たい感触だけを感じる。
どたどたと、走る振動が、
伝わってきた。
「救急車っ……えーっと……」
誰かが、焦っている。
聴覚が、戻る。
視界が、鮮明になってくる。
目の前には、
顔を真っ赤にしたmenがいた。
「おまっ………馬鹿野郎…!!」
強く言われたのに、
その声は震えていた。
言葉に、詰まる。
「……ごめ、」
反射的に、口が動いた。
理由はわからない。
何に対しての謝罪かも。
ただ、怒らせた、
そう感じた。
「違ぇよ……!」
menが、俺の方を掴んだ。
力が、強い。
「謝んなよ」
「そう言う時に、謝るな」
意味が、わからない。
「men……?」
「黙れ」
視線を逸らしたまま、
menは続けた。
「目、覚さなかったらどうすんだよ」
「返事なかったら、どうすんだよ……」
初めて聞く、 弱々しい声。
「俺さ……」
「……マジで、怖かった」
その一言で、
胸の奥がぎゅっと、縮んだ。
怖かった?
menが?
俺の、せいで?
「別に……」
否定しようとして、
でも、 続かなかった。
「お前はさ」
menは、歯を食いしばる。
「いつも1人で決めて」
「1人で大丈夫な顔して」
「……俺、要らねぇのかと思った」
その言葉で、
頭が、真っ白になる。
そんなこと、 考えたこともなかった。
「menは……」
口を開いた瞬間、
視界がぐらりと揺れた。
「喋んなくていい」
即座に遮られる。
「今は、起きてるだけでいい」
どこからか、
サイレンの音が近付いてくる。
現実感が、
ゆっくりと戻ってくる。
「なぁ……」
menが、ぽつりと言った。
「……俺、いるから」
「倒れる前に、来い」
それは、
命令でも、
お願いでもなく、
小さな 祈りみたいな声だった。
「退院、おめでと」
少し気まずそうに、
menが言う。
「……ありがと」
「その、いろいろ、ごめん」
なんで?
なんでmenが謝る?
「いや、それ言うのは俺でしょ」
理解できない、
という顔で menを見つめる。
機械は、こう告げる。
お前が、悪い。
お前が、未熟。
勝手に倒れた。
勝手に、周りを困らせた。
——謝るべきは、俺だ。
「……俺がさ」
言葉を探して、視線が落ちる。
「ちゃんと体調管理できてなかったし」
「迷惑、かけたし」
淡々と、 整理するみたいに言った。
すると、 menが一歩近付いた。
「それ」
聞いたことがない、 低い声だった。
「それだよ」
顔を上げると、
menが唇を噛んで、
苦しそうに眉間に皺を寄せていた。
「全部、自分のせいにすんの」
「……事実でしょ」
「ちげぇよ」
即答だった。
「お前、倒れたんだぞ」
「管理とかの話じゃねぇよ」
意味が、わからない。
倒れたのは、
俺が弱かったからで、
考えが甘かったからだ。
「だってさ」
言い返そうとした瞬間、
menの声が、 少しだけ震えた。
「俺、気付いてたんだよ」
一瞬、空気が止まる。
「無理してるの」
言葉が、胸に当たる。
「授業中、急にペン止まっただろ」
「弁当、開けずに持ってたよな」
「笑う時も、どこか違うところ見てた」
そんなの、 些細な誤差だ。
統計的に見れば、
あり得ない話じゃないだろ——
と、思考が走り出す。
「なぁ」
menが俺の手首を掴んだ。
強くない。
逃げられるくらいの力。
でも、離さなかった。
離せなかった。
「全部さ」
「『まだ大丈夫』って顔してた」
その瞬間、
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
理由はわからない。
痛いわけでも、
苦しいわけでもない。
「俺さ」
menは目を逸らしたまま続ける。
「お前が倒れてた時、一瞬、思った」
喉が、鳴る。
「間に合わなかったら、って」
言葉にならない何かが、
胸の奥で膨らんでいく。
「だから、謝るんだよ」
「気付いてたのに」
「ちゃんと、止めなかった」
視界が、少しだけ滲んだ。
「men……」
嗚咽と共に、 弱々しい声が出た。
「俺さ」
言葉が詰まる。
やっとの思いで、
喉から搾り出した。
「泣く理由が」
「分かんないんだけど」
気付いたら、
ぽた、と雫が落ちていた。
「昨日も」
「今日も」
「起きたら」
「勝手に出てきて」
「意味、わからなくて」
涙は、流れ続けた。
感情のログが、
見つからない。
原因不明。
異常値。
なのに、
menは何も言わなかった。
ただ、ぐしゃぐしゃになるまで、
頭を抱え込んできた。
「分かんなくていい」
耳元で、そう言われる。
「分かんねぇ時は、考えなくていい」
「お前はさ」
「檻に入るには、真面目すぎんだよ」
小さく、鼻を啜る音。
それが、どっちのものかは、
わからなかった。
「……何それ」
menは、
何も言わなかった。
おんりーの頭を抱えたまま、
そこにいた。
機械はまだ動いている。
最適解を、探し続けている。
でも、その音の隙間に、
「考えなくていい」
という余白が、
ほんのわずかに残った。
檻はまだ、壊れていない。
けれど、
鍵は確かに、
この部屋の中に落ちていた。
『檻の中の君へ』Fine.
読んでくださり、ありがとうございます。
少しは、すっきりした…..かな。
コメント
2件
え、あ、関係ないかもですけど プレッシャーかけたりしてたらすいません… でも、私もやっぱ凄い人は努力してるんだなって思います! 説得力ないですけど、なにもしていないのに なんでもできる人って絶対いないと思うんです! 事情はわからないけど、しっかり休んで、 無理せず頑張ってください!