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「入るぞ」
低く落ち着いた声が響く。
推しだ――いや、レイだ!
「え、あ、どうぞ!」
慌てて姿勢を正す俺を無視して、レイは扉を開けて入ってきた。リリウムも俺の膝からおりて、レイの方に歩いていく。
レイは手に書類のようなものを持ち、視線がこちらに向けられる。
「……体調はどうだ?」
「えっと……大丈夫です!元気です!」
すっごい体調を気にするな。事故、の後だからか。俺は努めて何も問題ないように振る舞うつもりだったが、レイは俺の返事に少し眉をひそめた。
「やはり顔色が悪いな。無理をしていないか?」
「い、いえ、本当に元気ですから!」
俺の必死のフォローに、レイは深くため息をついた。そして、書類をテーブルの上に置くと、俺の隣に腰を下ろす。
「ならいいが……」
近い。近すぎる。推しが隣に座るなんて、こんなの心臓が持たない。ほんっと、心臓がまずいって……。
俺は冷静さを保とうと必死で目を逸らすが、逆にその存在感が全身に突き刺さる。
「……お前はいつも謙虚すぎる……もう少し甘えてもいいんだ」
顔が近づき、声が耳元に響く。俺の思考は一瞬で停止する。
待て待て待て、距離が近い。顔が近い!
こんなの推しが攻めモードに入ってるみたいじゃないか!?あ、まって、妻って……!そうだよ、妻だもんな⁈
「え、えっと、それはその……」
必死に言葉を紡ごうとするが、目の前のレイの表情が普段の冷徹なものとは違い、柔らかな温かみを持っているのに気づき、余計に混乱する。
そして、次の瞬間――
「心配なんだ」
そう囁くように言った彼の顔が、さらに近づいてきた。俺は反射的に後ずさろうとしたが、ベッドの端に座っているせいで逃げ場がない。そして、気づけばレイの手が俺の顎に触れていた。
「な、なななな何して――」
言葉を遮るように、レイの唇が俺の額に触れる。
……え?ちょっと待って?何今の?今、俺、キスされた……?
いやいやいや、額だけど!ええええええええええええ⁈
「お前が無理をしないように、俺が気をつけなければならないな」
額に触れていた感触がまだ残っているうちに、レイはまるで何事もなかったかのように体を引いた。そしてそのまま俺の頭に手を置き、ふわりと髪を撫でる。
「え、えっと、その……なんで、キス……?」
俺が慌てふためいていると、レイはくすりと笑い、俺の後ろ頭にそっと手を回した。
額にまたキスをされる。そして、それが鼻先に落ちた。
ちょ、あ?!これこのまま……マウストゥマウス?!なんて思ったが、降りてはこなかった。
「……あ……これで終わり?」
思わず、呟いてほっとしたのも束の間、レイが真剣な目で俺をじっと見つめる。
「お前が望んだのは、こちらか」
その瞬間、何の前触れもなく、レイの唇が俺の唇に触れる。
それはほんの一瞬だが、時間が止まる音がした。
「?!?!?!?!?!?!?!」
あばばばばばばばばば‼
お、ま、えええええええ‼
キス!された!さっきもだけど!唇にいいいいい!!
ま、お、まっ……!
触れた感覚がまだ唇に残っている。これ、現実?夢?……いや、推しがキスしてきた時点で夢以上の現実だろ!
俺の頭の中はもう右往左往と小さな俺が慌てふためいていた。駄目だ、ショートしそうだ。
「ああああああ、ありがとうございます!お気遣い感謝します!」
わけのわからないテンションで声を上げた俺に、レイは少しだけ口元を緩めた。
そして立ち上がり、テーブルに置いた書類を手に取ると、何事もなかったかのように扉の方へ向かう。
「何かあれば呼べ。お前が倒れるのは困る」
そう言って部屋を出ようとしたとき、扉の前で立ち止まり、レイが少し振り返る。
「次は……もっと長くするからな」
と言って部屋を出ていく。
は?え?
…………。
無理無理無理無理無理‼‼
「……無理……推しにこんなことされるとか、心臓が持たない……」
顔を手で押さえながら、俺はベッドに倒れこんだ。推しが近いどころか、触れてきて、キスまでされるとか、こんなの現実であっていいのか!?
……いや、現実じゃないか。ここは異世界だ。いや、現実……?わ、わからん!
てか、男同士でもまっずいくらいに土器がムネムネする……。
あ、これ、俺……ボーイズなラブ世界での受け……?キャパ無理ぃ……。
「まてよ、長くって……まさか毎日とかじゃ……」
まだドキドキが収まらないまま、俺は混乱の中で独り言を呟くと、リリウムが「にゃあ」とひとつ鳴いた。
「休めって言われたけど……逆に頭が回りすぎて休めない……!」
額に手を当てながらベッドに沈み込む。
推し――いや、レイ=エヴァンスに唇まで触れられるなんて、こんな状況、心臓が持たない。
さっきのキスの感触がまだ残っている気がして、落ち着こうにも心拍数が異常値だ。
この様子だと、だいぶん……レイとカイルは愛し合っている気がする。まあ、結婚してるよね!妻だもの!主人公ってどうなったんだろうか……。
そのとき、再び扉がノックされた。
「奥様、失礼いたします」
先ほど下がったエミリーの声だ。何とか平静を装いながら「どうぞ」と返事をする。
エミリーはお盆に乗せたティーカップと小さな菓子皿を持って入ってきた。柔らかな笑顔を浮かべながら、彼女はベッドサイドにあるテーブルにそれを置くと、俺の方を向いた。
「奥様、旦那様からお体を温めるようにと指示を受けましたので、特製のハーブティーをご用意いたしました」
「ハーブティー……?」
香り豊かな蒸気がカップから立ち上っている。見るからに高級そうなハーブが入っているのが分かる。さすが貴族、俺の知ってる安物ティーバッグとはレベルが違う。
「お飲みになってみてくださいませ。リラックス効果もございますので」
勧められるままにカップを手に取る。香りだけで体がほぐれるような感覚に包まれながら、一口すすった。
「……美味しい……」
程よい甘さと爽やかな後味が口に広がる。俺が知っているハーブと同じかどうかは分からないが、優しい味がした。
「旦那様は、奥様がご無理をされないかと大変ご心配なさっております。お体が回復されるまで、どうかご自愛くださいませ」
エミリーの柔らかな声が耳に心地よく響く。
推しがそんなに俺を気遣ってくれてるなんて……いやいや、これは異世界の『妻』としての俺だからこそ、なんだろう。
「……わかった。ありがとう、エミリー」
そう返すと、エミリーは満足げに微笑んで退出した。部屋には再び静寂が訪れた。
若干の疲れが溜まっていて、俺はベッドに横になる。ゲームの中で異世界で、推しの妻で……なんだ、これ。
情報が追いつかない……。