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⧉▣ FILE_007: ハッピーターン ▣⧉
朝食の時間。
ワイミーズハウスの食堂には、スチームの立ち上る皿やカトラリーの音、誰かが椅子を引く音、子供たちのざわめきが溶け合っていた。
お盆を持って列に並び、食事を受け取った僕は、そっと視線を巡らせる。
Cは、窓際のテーブルにひとりで座っていた。
今日は誰とも喋らず、パンをちぎっている。
──迷った末、僕は歩き出した。
「……隣、いいかな?」
僕が問いかけると、Cはほんの一瞬、顔を上げて僕を睨むように見た。
けれど何も言わず、ふんっ、とだけ鼻を鳴らして視線をそらす。
無言の「許可」。
僕は微笑むとその隣に腰を下ろした。
「ありがとう……」
少しの間、会話はなかった。
その沈黙を破るように、僕はポケットから小さな個包装のお菓子を取り出す。
「C、これ──よかったら、デザートに」
僕が差し出したのは、ハッピーターン。
Cは怪訝そうにそれを見て、首を傾げた。
「……なにこれ。どこの国のお菓子?」
「日本だよ」
「日本……?」
「うん。昔、ワイミーさんがくれたんだ。お土産でね。面白い名前だなと思って食べてみたら美味しくてさ。それからよく食べてるんだ」
そのとき、向かいの椅子が音を立てて引かれた。
Bが無言で座り、お盆を置いた。
Cは、ハッピーターンをひとつ眺めながら、不意にBの方を見た。
Bは一瞬だけCの顔を見て──何を判断したのか、隠し持っていた瓶をガラスのままゴトリとお盆に置いた。
イチゴジャム。
しかも、家庭用の大瓶。
──ああ、まただ。
僕はその時点で嫌な予感しかしなかった。
てっきりパンに塗るのかと思えば、Bは迷いなく、手を突っ込んだ。
「……ちょ、待って」
Cが眉をしかめた次の瞬間、Bは指でイチゴジャムをぐいっとすくって、
ぺろっ……。
舐めた。
もう一度、ぐいっ。
ぺろぺろっ……ぺろっぺろっぺろ……。
「うっ……!」
ジャムの瓶を片手に、無言で何度も指を突っ込んでは舐め、突っ込んでは舐め。
舐めて舐めて舐めて──
顔はどこか恍惚としており、スプーンなどという文明の利器の存在は脳から消えていた。
「……最っっ悪!」
Cは盛大に顔をしかめて、身体ごと椅子をずらした。
「なんで素手なのよ!汚いわね!」
「スプーン使いなよ……」
僕も思わず呆れ気味に言ったが、Bは聞いていない。というか、すでに会話よりジャムの世界に没入していた。
周囲の子供たちもドン引き。
だけど本人は至って真剣だ。そこに「笑わせてやろう」などという意図が一切ないのが、逆に怖い。
「これ、いらない」
CはAから差し出されたハッピーターンを、まるで汚染物質のように摘み上げ──そのまま、ひらりと盆の上に投げた。
ターンされた。
ハッピーにターンされた。
Cはもう完全に怒りモード。
椅子を引き、ガタンと立ち上がる。
「……あんた達ほんと最低!──私、あっちで食べる!」
そう言い放つと、Cはトレイを持って音を立てながら席を離れた。誰もいない席を選んで、勢いよく腰を下ろすと、こちらを見ようともせずに食事を始める。
「…………」
僕は、目の前でイチゴジャムをペロペロ舐め続けているBの姿に、盛大なため息をついた。
「B……頼むよ……」
「何が?」
何がって……分からないのか。
「君がやらかすと、僕まで被害を被るんだよ」
Bはまったく気にする様子もない。むしろ「む?」という顔で、さらなるひとすくいを目論んでいる。
「──いいかい、B」
僕は小さく溜息をつきながら、声を低めて諭すように言った。
「君と僕は──同室だ」
Bはまだ指先に絡まったジャムを舐め取っていた。僕の話を聞いてるのか、聞いていないのか、分からないが続ける。
「ここではね、“AとB”ってひとまとめに見られるんだよ。つまり、君が何かやらかせば──それは、僕もやらかしたと思われる」
ようやくBの目がこちらに向けられた。ぴくりとも表情を変えず、ただ首を傾げる。
「同室って、そういう意味じゃないと思うけど」
「──そういう意味なんだよ」
僕は譲らなかった。
「周囲の目から見れば、君と僕は“一心同体”。“変なジャム男と同室のAもどうせ変なやつ”──ってことになる。Cのさっきの反応が、まさにそれだったろ」
Bはイチゴジャムの瓶を手にしながら、少しだけ笑った。
「じゃあ、A。素手でジャム食べるのをやめたら……CはAのこと、好きになるのか?」
「それとこれとは話が別だ」
「ふふん」
Bはまた、イチゴジャムに指を突っ込んだ。
──この男には、常識という単語がまったく響かないのかもしれない。
僕は黙って、遠くの席でブツブツ言いながらスープを啜るCの背中を見つめた。背筋がピンと伸びていて、怒りでスプーンがやや速くなっている。あれはたぶん、もう一生口きかないぞっていう姿勢だ……。
向かいの席では──今日もBが平和に、イチゴジャムの瓶を空にしようとしていた。
「……なあ、お願いだよ、B」
僕は声を潜め、そっと言った。
「──これ以上、余計なことはやめてくれ」
そう告げると、Bはゆっくりとジャム瓶から顔を上げた。唇の端に、まだ赤い粘度の高い甘さが残っている。
「余計なこと?」
首をかしげたその仕草は、どこまでも惚けている。
けれど僕は、知っている。その“無垢さ”に、何度も足を掬われてきた。
「……そのイチゴジャムの食べ方もそうだけど」
「そうだけど?」
すぐに返ってくる間の抜けた声に、僕は眉をひそめる。
「──“Lの噂”を広めてるの、君だよね?」
Bの瞼が、ぴくりと微細に動いた。
けれど表情は変わらない。沈黙のまま、僕を見つめている。
「……証拠でもあるのか?」
「ないよ。でも、他に考えられない」
その時、Bの目がほんの少しだけ細くなった。
「……“Lの話題”を出すのは危険すぎる」
僕は言う。
「どんなに些細な噂でも──それで誰かが命を落とすかもしれない。そういう世界に、僕らは今いるんだ」
「……Lが、噂程度で動くと?」
「動かないとは言い切れないだろ?」
僕ははっきりと続ける。
「“Lがここに戻ってくるわけがないんだ”」
「…………」
「だから、もうやめてくれ。君が面白半分で広めた“噂”のせいで、誰かが間違った場所へ辿り着いたら──それは、Lにとっても、君にとっても、取り返しがつかないことになる」
Bは黙って、視線を落とした。
ジャム瓶を指でくるくると回しながら、その中の赤い甘さをじっと見つめている。やがて、ぽつりと呟いた。
「──アルファベットを貰った時点で取り返しなんて、つくと思ってたのか?」
「……」
喉がつまったように、言葉が出なかった。
“名前”を与えられたあの日から、僕たちはずっと──誰かの“代わり”として在ることを、義務づけられていた。その瞬間に、自分を生きるという選択肢は、きっと、どこにもなくなっていた。
Bはそれを、淡々と受け入れているように見えた。
「さっき──AとBは一心同体だ、って言った」
「……あ、ああ」
「じゃあ、AがLになるなら──BもLになるのか?」
背筋をなぞるような言葉だった。
問いではなく、“踏み絵”のような鋭さを持っていた。
Bの目には、嘲りも、笑いもなかった。ただ、まっすぐに、核心だけを見つめていた。
「AがLになるってことは──Aの背中に、Bの名前が乗るってことだ」
「……」
「本当にそれでいいのか?」
「……」
──AがLになれば、Bも“Lの一部”になる。
Aの正しさに、Bの狂気が混ざる。
それはもはや“L”ではない。
AとBの“連名の罪”になる。
「……A」
「……」
「AがLになるってことは── “BがLにならなかった理由”まで、背負うことになる」
「……」
「Aが本当にLをやるつもりなら」
「……」
「“Beyondの名を背負って、Lを超えなくてはならない”。あの人を超えなきゃ、“Apexを名乗る資格”なんてないだろう」
確実に焚きつけてくる声音。
それはBの執着そのものだった。
ただ椅子に座ればいいわけじゃない。
ただ“選ばれた”だけじゃ意味がない。
──AがLを名乗れば、それは“BがLをやらなかった理由”ごと背負うことになる。
Aは息を整え、目を伏せることなく答えた。
「──僕は、Lを超えたいなんて思ってない。勝ちたいとも、張り合いたいとも思ってない」
「……」
「だって、最初から──“Aの方が上だから”」
Bの目が、ぴくりと見開いた。
「Aが“APEX”のAである限り、Lよりも上の存在として、生き続ける」
その言葉には、誇りと覚悟があった。
Bのように狂気に身を焼かれて追い越そうとするのでも、Cのように憧れに飲まれて奪おうとするのでもない。
Aは、“始まりのA”としてそこに在る。
そして、“Lを背負う”という選択肢すら──その背中ごと、引き受けようとしていた。
「……B。もし、君がLになったとしても──その先には、“必ずAがいる”」
「……」
「君が本当に勝ちたい相手は、Lかもしれない。でも──それだけじゃ足りない」
Aは一歩も引かず、続けた。
「君の“本当の敵”は、Lと、僕──“A”だよ」
「……」
「Lを倒しても、Aは残る。君がLを名乗っても、Aは“その上”にいる。君がどんな手を選んでも、どんな狂気に身を委ねても──Aは、君の行く先に立ち続ける」
『APEX』。
最初にして、頂点のA。
Lという概念が生まれるよりも前から、ここにいた存在──
「だから、勘違いしないでほしい。君がLになれなかった理由を、Aが背負うわけじゃない。──君がLを目指す限り、Aはその前に立ちはだかる」
その言葉で、ようやくBが顔を上げた。
真紅の瞳が、まっすぐAを捉える。
そこにあったのは、初めて向けられる“対等な視線”だった。
しばらく、何も言葉は落ちなかった。
──先に、息を吐いたのはA。
ふっと、肩の力が抜ける。
張り詰めていた緊張が、音もなくほどけていく。
「……まあ、そういうことだから」
Aは、苦笑とも皮肉ともつかない声で続けた。
「BはBのやり方で、Lを超えればいい。どうせ止めても聞かないんだろうし。──ただし、壁にぶつかった時に文句はなしだよ」
そう言って、トレイの端に置いてあった小さな袋を指で弾いた。
ハッピーターン。
さっきまでCに渡そうとして、拒まれたそれを、今度はBの方へ滑らせる。
「はい。デザート」
Bはそれを受け取らず、ただ視線だけを落とした。
けれど、拒みもしなかった。
Aはその様子を見て、ほんの少しだけ笑う。
「……ねぇ、B」
声は低く、穏やかで、さっきまでの張りつめた空気が嘘みたいだった。
「どう足掻いたって、Lの呪縛からは逃げられない。“勝つ”とか“超える”とか、そういうの抜きで……ハッピーに生きようよ」
ハッピーターン、なんて名前のお菓子を挟みながら言うには、あまりにも皮肉で、でも妙に本音だった。
Lの話は、ひとまず伏せた。
勝敗も、罪も、未来も。
ただこの瞬間だけ、ゲームは一時停止する。
──次のターンが始まるまで。