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――アレシュ様が死んでしまう!


兵士たちが倒れたアレシュ様に気づく。

バルコニーでの異変を察した兵士たちは、顔色を変えて騒ぎ出した。


「アレシュ様! どうなさいましたか!」

「いったいなにが……!」


私から危害を加えられたと、アレシュ様は思ったはずだ。


――そんなつもりはなかったのに。


なぜ、口づけだけで倒れたのか、私にもわからない。

私が生まれた時に殺そうとした兵士、剣で切付けたロザリエ。

アレシュ様は私を傷つけていない。


「どうしてっ……!」


今まで、ここまでの絶望を味わったことがない。

どんな辛い時もどこかに救いがあると信じてたのは、そうでなければ、生きていけなかったから。

だから、泣かずにいようと決めて生きてきた。

泣いてしまったら、自分が惨めで救われない存在だと認めてしまうような気がして――人前で、初めて涙がこぼれた。

私は自分を殺そうとしていない人でさえ、傷つけてしまうのだろうか。

泣いていた私に気づき、アレシュ様は手を伸ばし、涙に濡れた頬に触れた。


「私に触れてはいけません! 危険ですから……!」


アレシュ様が優しい緑の瞳で、私を見つめ、微笑んだ。


――どうして微笑むの?


私があなたを苦しめているのに。

ロザリエのように、私を嫌って罵倒し、お兄様みたいに冷たい態度をとってもおかしくなかった。

アレシュ様は私の手を握り直し、口を動かす。


「さわ……ぐな……。シュテファンを……呼べ……」


兵士たちはシュテファン様を呼ぶため、バルコニーから出ていった。

シュテファン様はバルコニーのそばで控えていたのか、すぐに現れた。


「兄上……!」


シュテファン様は倒れているアレシュ様のそばに駆け寄り、膝をつく。

バルコニーでなにかあったのだと、招待客たちは察したけれど、兵士たちはカーテンを一斉に閉めた。


「ゼレナ」


カーテンが閉まるのを見て、シュテファン様が大人びた声で、誰かの名を呼んだ。

人の目がなくなるのが早いか、シュテファン様の服からミドリガメが飛び出してきた。


「え? ミドリガメ……ですか?」

「ただの亀ではありません」


シュテファン様に慌てた様子はなく、その慣れた様子から、シュテファン様は十歳という年齢ながら、多くの病人や怪我人を見てきたのだとわかった。

ミドリガメがちょこんとアレシュ様の体の上に乗る。

そして、可愛らしい手をシュテファン様に触れさせた。


「ゼレナ。ありがとう。わかったよ」


どうやってミドリガメと意志疎通したのか、シュテファン様は目を閉じ、祈りを捧げる。

その瞬間、夜風より冷たい空気が流れ、その空気に水の気配を感じた。

霧のような細かい水の粒子を含んだ空気が、アレシュ様の体を包み癒す――握っていた手のぬくもりが戻ってくる。

シュテファン様が使った不思議な力。

それは朝の澄んだ空気に似ていた。


「シュテファン、助かった……。お前がいてくれてよかった」


アレシュ様は自分の感覚を確かめるように、手を動かし、体を起こす。


「兄上。いったい、なにがあったんですか? 体は平気ですか?」

「もう平気だ」

「平気じゃないです! 体内のダメージを回復させて、正常に戻しただけで、解毒できたわけじゃないんです!」


シュテファン様は拳を握りしめ、声を張り上げた。


「でも、毒の種類がわからないと、解毒できない……」

「毒ですか? これは私の呪いでないのですか?」


なぜ、毒がアレシュ様を蝕んだのか、わからなかった。

これは、私が神に与えられた呪いが、人にも広まっただけのはず。


「呪い? いいえ、これは毒です。水の神であるゼレナが、間違えるはずがありません」

「落ち着け。シュテファン。シルヴィエは実態を目にしていないし、わかっていない。毒なら、医療院で解毒させればいいだけのことだ」


この場で、すべてを理解しているのは、アレシュ様だけなのだと、全員が気づいた。

アレシュ様は倒れていたはずなのに、立ち上がると、私に笑った。


「泣き顔が一番辛い。泣かずに笑ってくれ」

「アレシュ様。自分の呪われた身を説明できないまま、結婚式を迎えたこと、本当に申し訳なく思ってます……」

「謝るのは俺のほうだ。俺は罰せられただけだ」

「罰ですか?」

「そうだ。不届きな真似をしたから、神に罰を受けた」


アレシュ様はさっきと同じように明るい笑みを浮かべ、唇を指でちょんっとつついた。

今になって、初めて男性と口づけしたことを思い出し、恥ずかしくなってしまった。

それで、シュテファン様はなにがあったか、理解したらしく、呆れた顔でアレシュ様を見ていた。


「なんだ……。そういうことですか。兄上。ゼレナをお連れください。解毒するまで、癒しの力を与えます」

「ああ。それから、シュテファン。もしかしたら、医療院では解毒できないかもしれない」

「普通の毒とは違いますから、その可能性は高いです」

「カミルに命じ、大司教を追って、呼び戻せ。そして、毒の成分を分析させる。結婚式に参列していたはずだから、そう遠くまでは行ってない」


アレシュ様は苦しいはずなのに、表情に出さない。

これが、ドルトルージェ王国の第一王子としての振る舞い。

堂々としていて、弱さを見せなかった。

この人は、王になるべき方なのだ。


――お父様やお兄様とは違う。王子でなくても、アレシュ様は王となる方。


「毒の分析が完了したら、医療院の薬草師から、解毒薬を調合させる。それまで、水の神の力を借りるぞ」

「はいっ! 兄上!」


時間が勝負とばかりに、シュテファン様はすぐにバルコニーから飛び出していった。

私に対して、警戒を解かない兵士たちにアレシュ様は言った。


「お前たちも広間に戻れ。招待客がおかしく思う」

「ですが、アレシュ様……」

「倒れられた毒は帝国のものでは……」


アレシュ様は兵士たちに笑って見せた。


「毒などなかった。たとえ、それが毒だったとしても、風の神の加護を受けた俺が簡単に死ぬわけないだろう? ここは俺に任せて戻れ」


納得するしかない言い方に、兵士たちは渋々、窓を閉めた。

シュテファン様、兵士たち――アレシュ様はみんなから好かれ、信頼している。

でも、私を心配する人は、誰もいなかった。

騒ぎになっても駆けつけず、私は一人のまま、取り残されていた。


「さて、シルヴィエ。今後の相談をしようか」


――処刑される。


アレシュ様に危害を加えたのだから、そう言われても不思議ではなかった。

私の不安を消すように、体を軽々と抱き上げると、アレシュ様は優しく笑った。


「改めて結婚を申し込む。俺の妻になってくれるか?」


私の呪われた身を知り、呪いを受けても逃げなかった唯一の人。

涙は悲しい時だけ、こぼれるのではないと、生まれて初めて知った。

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