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泡沫深祈
*花波が暮らすのは、切り立った断崖に抱かれる小さな漁村だった。*潮風はいつも肌を刺し、波音は昼も夜も絶えず押し寄せる。
村人たちは皆、七神を畏れ、祈りを捧げながら日々をつないでいた。
漁に出る男は「大漁を」、
子を抱く母は「病からの守りを」、
年老いた者は「安らかな死を」。
そして、それらの祈りを深淵へと届けるのは、ただ一人。
“泡沫の祈祷巫女”と呼ばれる少女、花波だった。
彼女はまだ十六。
けれども生まれながらにして祈祷の才を持ち、祈りの声は泡となって水面に浮かび、やがて深海へ沈む。
その泡が七神へ届く様を、村人たちは何度も目にしてきた。
だからこそ、彼らは花波を畏れ、同時に利用する。
「花波様、どうか……夫の船が沈まぬように」
「花波様、子に宿った熱をお鎮めください」 「花波様……どうか、あの人の心を私の方へ」
願いは祈りの形をとりながらも、内側には欲望や嫉妬が渦巻いていた。
それを花波は拒めない。祈らねばならない。
祈りを受けて神に声を届けることこそが、彼女に課せられた宿命だった。
祈れば確かに、何かが起こる。
漁師の船は嵐を逃れ、熱にうなされた子の体は静まり、ある者の恋は叶った。
だが、その代償は必ず花波に降りかかる。
祈るたびに記憶の断片は霞み、夜ごとに身体が痺れ、心臓の奥には黒い痛みが芽生えていく。
七神が応えた証。それを知りながらも、村人たちは彼女の苦しみに目を背けた。
「巫女なのだから当然だ」と、冷たく呟くだけだった。
花波はその言葉に笑顔を返す。
だが、胸の奥は次第に濁り、罪悪感と自己嫌悪で満たされていった。
自分の祈りは、本当に“神への奉仕”なのだろうか。 それとも、人の欲を満たすだけの穢れた声なのだろうか。
夜、ひとり海辺に立ち尽くす。
冷たい潮風が髪を揺らし、波間から立ちのぼる白泡が月明かりに光った。
花波は両手を胸に組み、押し殺すように呟いた。
「どうして……わたしの祈りは、いつも欲にまみれているの……? 誰かを救いたいだけなのに……どうして、こんなにも醜いの……」
答えは返らない。
ただ、暗い海が彼女の声を呑み込み、深淵へと沈めていくだけだった。
けれど、その瞬間。
海の底で、七柱の神々が微かに目を開いた。
冷たい瞳の光が揺らぎ、泡の行方を追うように波が不気味にざわめく。
花波は知らない。
その声が、ただの「祈り」ではなく、七神を呼び覚ます“贄の歌”となりつつあることを――。