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初めに:
この作品には一切の政治的・戦争賛美等の意図は含まれておりません。
1904年、秋。
「…あー…寒い……」
所は中国大陸、203高地近く。11月といえば、日本はまだ紅葉の時期だというのに、中国大陸の旅順は東京とは比べ物にならないほどに冷え込んでいた。両手を口元に当てて息を吹きかけるが、一向に温まる気配が無い。吐いた息は白く結露して空気中へと舞い上がっていき、それを数秒目で追ってからすぐに視線を足元へと置いた。
「日帝君」
唐突に呼びかけられた。顔を上げれば、そこには帝国陸軍の軍服を身に纏った青年の姿。確か同じ隊の人間だったはずだ。名前は、と思いだそうとした途端に、目の前に軍服に縫い付けられている名札が目に入った。
名札を見てからもう一度視線を上げたとき、日本兵はにこりと笑いながら缶詰を差し出した。
「ほら、これ。配給されてたけど、日帝君は取りに来てなかったでしょ」
「わざわざ俺の分まで取っていてくれたのか。ありがとう、恩に着る」
「別に良いって。いつも戦場で君の銃の技術には助けられてるんだ。これくらいはさせておくれよ」
「…感謝する」
ぺこりと頭を下げると、青年は苦笑しながら手を振って去っていった。手の中には冷たい金属で出来た缶詰。いわゆる戦闘糧食。中には干し飯と味噌玉が入っているのだろう。本部にお湯はあるのだろうか、と思って立ち上がった。
俺の名前は大日本帝国陸軍。…から分裂した一兵士。つまり、日帝様のクローン的な存在というわけだ。
オリジナルの大日本帝国陸軍様は今東京にいらっしゃる。もしもの事があった際、日本国の化身である祖国様をお守りするために常に傍に控えていらっしゃるのだ。が、俺はクローンなので死んだところでノーダメージ。なので普通に最前線に駆り出されるし、位で言えば元帥に近い陸軍様と違って俺は階級もそれなりに低い。いわゆる捨て駒なのだが、俺自身は別にそのことに対して不満を覚えた事はなかった。
ざくざくと雪を踏みしめ、陸軍のテントへの帰路を辿る。先程までは何をしていたのかというと、基地を離れて前線の見張りをしていた。
1904年2月から始まった、我が大日本帝国とロシア帝国との戦争。別名、日露戦争。今はその戦争の真っ只中だった。
「…う〜、寒い…」
缶詰を両手で握りしめ、肩をすくませながら歩く。丈の長い外套を着ていても寒いものは寒いのだ。中国本土には初めて渡航したのだが、まさかここまで寒いとは思っていなかった。日帝様はこの寒さを経験したことがあるのだろうか、と考えを巡らせたところで、わからない、という結論に至ってすぐに考える時間を放棄した。とりあえずは勝てば良いのだ。そう、勝てば。
今のところは大日本帝国軍が優勢だ。海軍本部から203高地を取れ、という指令も、上手く行けば恐らく12月中には達成出来る。ほぅ、と溜息を付いた。何とか無事に日本に帰れそうだと思うと、故郷がいきなり懐かしくなってきた。陸軍のクローンがいればもちろん海軍のクローンも居る。そいつと喧嘩をしつつも酒を酌み交わすのが途轍もなく楽しいので、早く帰って海軍と飲み明かしたい。そう考えていた、その時だった。
突如として銃声が響き渡った。青天の霹靂だった。
「っ、今の銃声はどこからだ!!」
俺は思わず声を張り上げた。缶詰は外套のポケットに押し込み、来た道を引き返して前線の方面へと走っていく。そこではすでに銃撃戦が始まっていた。
「チッ、どっちから仕掛けてきた!!」
「ロシア帝国軍です!いきなり閃光弾を投げてきて、そこから銃撃が…!!」
「北の蛮族め、姑息な真似をする!!」
俺は舌打ちをしながら銃を手に取った。スコープが破損してしまった狙撃銃。しかし俺は一切躊躇う事もなく照準を合わせ、一発。敵兵が倒れるのが遠くに見える。約100m先の敵兵を、俺はスコープ無しで撃ち抜いた。
「日帝さんっ、すごい…!!」
「うるさい、この程度は軍人ならば当たり前だ。人のことを見ている暇があるのならお前も銃を持って撃て」
味方の兵士に一切目を向けないまま、俺は銃の照準器だけをただひたすらに睨んでいた。スコープを使うためだけに新しい銃に持ち変える時間すら惜しい。その一瞬の時間で、ロシア兵をおそらく2人は殺せるだろうから。
一人、また一人。血の色が雪にじんわりと染みていくのが、視線の先に見える。それでも銃弾の雨は止まない。白い息が空気中に溶けていくのを、脳内に居る、どこか冷静な自分が観察していた。
銃から丁度弾が無くなったため、一旦影に隠れてリロードしていた時の、ほんの一瞬の出来事。
目の前で仲間が次々と撃ち抜かれて死んでいくのを、俺は目の当たりにした。
「……は?」
思わず手に持っていた銃弾をぼろりと雪の上に落とした。瞬きする間に味方の日本兵が一人ずつ死んでいく。目を開けたまま頭を撃ち抜かれて仰向けに倒れている者。腹を撃たれ、銃を構えたままの姿勢で前のめりに雪に突っ伏して死んでいる者。それらに共通しているのは、自身の血で真っ白な雪原を染め上げているという事だった。今の今まで優勢だった筈の戦況がいきなりひっくり返されたのだ、という事に気づいたときには、自身のすぐ前方に人の影が落ちていた。明らかに日本軍の官給の靴ではないものが視界に映る。見た瞬間、心臓がぎゅうと掴まれるような感覚に襲われる。けれど時は無情にも待ってくれない。
「…Ты очень невезучий человек.」
その声が響いた後、腹を鈍い衝撃が貫いた。ぼたぼたと雪原に血が垂れる。目と鼻の先に突きつけられた銃口からは煙が上がっていた。ぐらりと視界が歪み、左半身を強い衝撃が襲う。黒に染まっていく視界の中、ロシア帝国軍が自分たちの陣地へと走っていく映像がスローモーションに流れていく。自分の隣で撃っていた味方は無事だろうか、とか、こんな風に無様にロシア兵の前に斃れるだなんてとても祖国様に顔向け出来ないな、などと、日本人ならば考えるべきことを考える暇も無いかった。まるで電線がブツリと切れたような感覚と共に、ぱちんと俺の意識は落ちた。