コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「ははは、ざまあ!!」
笑わずにはいられなかった。
タクシーの後部座席についているアシストグリップに掴まりながら、花崎は声を我慢することなく笑った。
「―――お客様、どちらまで?」
運転手が怪訝そうに聞いてくる。
「円阿弥(えんなみ)まで!」
花崎は上機嫌で言った。
――これで俺の勝ちだ。
家につき施錠さえしてしまえば、あの男にも警察にも、家に侵入してくる権利はない。
なんとか切り抜けて見せる。
警察が令状を持ってくるまでの間、死体を完璧に隠せるか?
それとも逃げ出すことができるか?
―――できるか、じゃない。やるんだ……!
花崎はグリップを握りしめた。
その時、
ウーウーウーウーウー
パトカーのサイレンが聞こえた。
青なのに交差点の手前で運転手が車を停車させる。
南側からパトライトを光らせたパトカーが走ってきた。
『緊急車両、緊急車両が通ります』
警察官の低いアナウンスが鳴り響く。
「ちょっと寄せますね」
運転手がタクシーを路肩に寄せる。
―――足止め食ってる場合じゃないのに。
花崎は目の前を通り過ぎていくパトカーを睨んだ。
「あ、救急車も行くみたいだ……」
後ろからけたたましいサイレンを上げて追い越していく救急車を見ながら運転手が呟く。
「大事故でもあったんですかね?」
話しかけてくる彼の向こう側からもう1台、パトカーが左折していく。
「―――さあ、どうですかね……」
一瞬嫌な予感が胸をよぎる。
自分の家がある方向だ。
もしあの男が―――。
ゲームを無視して、家を目指さずに警察に駆けこんでいたとしたら、
見慣れた自宅前の道路が警察車両で埋め尽くされているのを想像し、背中に鳥肌が立つ。
タクシーはゆっくり発進した。
「―――円阿弥も広くてね」
急に青ざめて黙り込んだ花崎に、運転手がバックミラー越しに話しかける。
「高速の南側の方ですか?」
「――――」
「お客さん?」
考えろ。
考えろ!
今、自分たちはアリスのゲームを無視するなんて選択肢はあるのか?
無視していいなら―――
尾山が生き返ったのが分かった以上、自分は自宅ではなく、このままどこかへ逃げるのが得策だ。
警察の包囲網がないうちに、どこまでも遠くへ逃げなければいけない。
だが―――
「あ、あそこだ。事故」
運転手が呟いた。
花崎は慌てて前方を見つめた。
何台ものパトカーと2台の救急車が止まっている。
乗用車3台が絡む事故だった。
1台が路肩から空き地への縁石を超えられずに横転している。
―――なんだ。本当に事故か……。
花崎は後部座席に身体を沈めた。
警察の手信号でゆっくりと車の列が進んでいく。
焦らないわけはないが、尾山がやっと探して乗り込んだタクシーだって、この道を通る。
それにいざとなれば―――。
あの男も、殺してしまえばいい。
今なら何でも躊躇なくできる気がした。
花崎はアシストグリップを握りしめた。
「与野西北小学校の北側なんだ」
花崎は少し身を乗り出しながら言った。
「ああ、じゃあ、児童遊園の方から抜けた方がいいですか?」
バックミラー越しに運転手が話しかけてくる。
「あれ?お客さん……」
その目が見開かれる。
「俳優の江波俊彦(えなみとしひこ)に似てるって言われません?」
「―――はは、たまに」
今、映画にドラマにバラエティに引っ張りだこの若手俳優、江波俊彦に似ていると言われるのは初めてではなかった。
職場でももてはやされたし、仕事上初めてのクライアントと会うときには、話題にも武器にもなった。
もし、アリスのゲームが終わった世界で、逃亡生活を余儀なくされたら、この特徴は仇になるが――。
児童遊園を通過し、右折する。
緩くカーブしながら細い住宅地を進む。
花崎の自宅は小学校より北側にあるが、南から回り込んだ方が早い。
「そこ左折して」
尻を前に滑らせながら顔をつき出す。
学校の北側の道路を走行する。
バックミラー越しに後方に車が見えた。
「――――!」
驚いて振り返るが、ピンク色の軽自動車を女性が運転していた。
安堵のため息をつきながら、再び視線を前方に戻す。
「その白い家の角で右折」
花崎の指示に運転手は従った。
曲がる瞬間、赤い光が見えた気がした。
「―――なんだぁ?」
運転手が言葉を失う。
花崎も口を開けた。
5軒先の自分の家を中心に、警察車両が4台、救急車が2台停まっている。
開け放った自宅のドアから、今まさに、担架で尾山の息子が運び出されようとしていた。
口に手動の酸素マスクを付けた救急隊員が何か必死に話しかけている。
―――まさか、生きているのか……?
「事件……ですかね?」
運転手のその声で我に返った。
「ああ。ここは通れないから戻ってくれるか?」
花崎の声に運転手が頷く。
「あ。でも――――」
運転手の視線を追い振り返ると、後に続いていたはずの軽自動車の姿は消え、代わりにパトランプを点けていない警察車両がぴったりと後ろに付けていた。
「――――!」
花崎は無言で後部座席を開け放った。
「……あ、お客さん!」
運転手が呼び止めようとする。
「いたぞ!花崎だ!!」
後ろの警察車両の男が叫ぶ。
その声に、家の付近にいた警察官たちも一斉にこちらに走り出す。
「―――くそ……!!!」
逃げられない―――!!
一人の警察官の手が、祐樹の袖を掴んだ。
もう一人の手が肩を掴んだ。
後から追い付いたもう一人が腰を掴み、花崎はその場に倒れ込んだ。
「――花崎祐樹だな?」
手錠を持ったスーツの男が近づいてくる。
しかし花崎は、その男の後ろを見ながらニヤリと笑った。
「―――アリス……!」
刑事の男の後ろに、喪服のアリスが立っていた。
『警察官は日々巡回してますし、近くに交番もありますからね。連絡を受けたらすぐにたどり着けるようになっているんです』
アリスは涼しい顔で言った。
「ゲームは……かけっこは、俺の勝ちだぞ……」
花崎は口の端を引きつらせながら笑った。
「勝ったんだから、何とかしろよ……!」
アリスの姿は半分透けていて、向こう側にブルーシートに玄関を覆われた自宅が見えた。
『すみません。言葉が足りませんでした』
アリスは微笑みながら押さえつけられている花崎に近づいた。
『かけっこはかけっこでも―――ケイドロでした』
「―――ケイドロ……?」
『ご存知ですか?警察と泥棒に分かれて、警察が泥棒を追いかけて捕まえるっていうゲームです』
アリスは微笑んだ。
『捕まった泥棒は檻に入れられて、仲間が助けてくれれば何度でも脱走ができます』
花崎は自分を押さえつけている警察官たちを、そして自分を見下ろしているおそらく刑事を見上げた。
「――――んなの………だろ……」
『はい?』
「そんなの、不公平だろ!!」
急に叫んだ花崎を、警察官たちがますます強く押さえつける。
「ケイドロは、泥棒が全員が檻に捉えられたら終わり。――でも警察は、負けない!そんなの勝負になんないだろうが!!」
アリスは微笑んだ。
『そんなの……当たり前じゃないですか』
「なんだと!?」
『正義は―――』
アリスが花崎の後ろを指さした。
後ろには、警察官を引きつれた尾山が立っていた。
アリスは花崎に目線を合わせるようにしゃがんだ。
『檻に入れられたあなたには、助けてくれる仲間はいますか?』
「――――!!」
花崎はアリスを睨んだ。
その瞬間、すぐそこにあったはずのアリスの姿は消え、刑事がこちらを睨んでいた。
「花崎孝作総監の息子さんだそうだな」
「――!!」
花崎はその男を睨んだ。
「残念だよ、本当に」
言いながら刑事が後ろ手に捻り上げられた手首に手錠をかける。
「午後2時38分。花崎聡子の死体遺棄、および尾山翔真の殺人未遂容疑で緊急逮捕」
――ガチャン。
花崎祐樹が育った住宅地に、冷たい音が響いた。