高天原商店街、アマノイワド。
八意思兼良命が経営するPCショップは、今日も盛況だった。
盛況と言っても、賑やかなだけで、売り上げには一切変動がなかったが。
夏休みに入った典晶達は、アマノイワドを訪れていた。
理由はただ一つ。勉強の為だ。
あの後、無事にいつもの生活を始めた典晶達だったが、宝魂石を集める前に一つの難題にぶち当たった。
それは、イナリの学力である。
「この間まで、狐の姿だったのだ。当然だろう」
曰く、ペンを持ったことすらないようだ。確かに、狐の姿のイナリが、どうやってペンを持って学ぶというのだろう。
イナリが転校してきて、二週間後、学校は待ちに待った夏休みに突入した。一学期は、帰国子女ということでなんとか誤魔化せたが、二学期からは学力が皆無である事は誤魔化せないだろう。
「だったら、良い家庭教師がいるわよ」
事もなげに歌蝶は言った。そして、紹介されてきた場所が、ここ、おなじみのアマノイワドだ。
「…………ねえ、ここ、本当の私達の住んでいた場所なの?」
美穂子が不思議そうに高天原商店街を眺める。
「私達が入ってきた場所、あそこって、普段は路地なんてないわよね?」
「まあ、色々あるんだよ」
以前、美穂子が訪れたときは、凶霊にやられて気を失っていた。結局、美穂子は眠ったまま家に帰ったため、ここでの記憶はなかった。
「日本人である美穂子にはお馴染みの、日本の神が住まう場所だ」
「神様って、こんなに生活感溢れる商店街に住んでるんだ……。想像と違う」
「分かるよ、そのがっかり感」
がっくりと肩を落とした美穂子に、典晶は頷く。
今はすっかり慣れてしまったが、初めて来たときは理想と現実のギャップが激しすぎて、感覚が麻痺した程だ。
「ここはまだマシだぜ。神様は、想像以上にぶっ飛んでる。色んな意味で」
「ふ~ん。まあ、歌蝶さんや宇迦さんを知ってるから、その辺は大体覚悟できてるわよ。お父さんもお母さんも、過度な期待はするなって言っていたし」
「うちの両親も同じ事を言っていた」
伊藤家も石橋家も、典晶の両親の時に協力してくれた。当然、ここには何度も足を運んだのだろう。
「アマノイワド……。ここに家庭教師がいるの?」
アマノイワドの前に立った美穂子が、イナリを見る。
イナリは渋面を浮かべ、「うむ」と頷く。どうやら、イナリは勉強が苦手のようだ。歌蝶に言われた際、露骨に嫌な表情を浮かべたが、歌蝶の背筋も凍る鋭い一瞥を受け、二つ返事で勉強することを誓っていた。
「なにかしら、便利な物があれば良いけどな」
典晶は、勉強道具が入っているリュックを背負い直した。
イナリの勉強のついでに、典晶も勉強をしようと思っていた。それは、文也も美穂子も同じで、彼等も勉強道具を持参していた。
「大方、簡単に頭の良くなる機械でも、八意が持っているのだろう」
「機械? 物? え? 勉強をしに来たんでしょう?」
言いながら、美穂子は戸を開けた。
「ひろ! 何ここ!」
想像していた通りのリアクションだった。
外見からは信じられない程の広さが、この純和風の平屋の中に広がっている。
美穂子は一旦外に出ると、店の外観を見て、再び中を覗き感嘆の声を上げた。
「どうなってるの? 魔法? 流石神様! でも、ここって電化製品を売ってるの?」
「PCショップらしいよ」
入り口で足を止める美穂子を促しながら、典晶達は奧にいる八意の元へと向かった。
「なんじゃ! 今日は千客万来じゃな!」
こちらを見た八意が、声を上げる。
「やあ、典晶君。久しぶり。その後はどうだい?」
那由多がいた。
那由多と八意は、レジと商品棚の間のスペースにテーブルを出し、そこで何やら書き物をしていた。
「はい。とりあえず、学校生活を送っています。今日は、ちょっとイナリの勉強を見て欲しくて……」
「ダメじゃ! ダメダメダメ!」
八意は大声を上げて、首を横に振る。帽子に付いている瞳も、八意の表情に会わせて目を閉じる。
「何故、どいつもコイツも儂の所に勉強をしに来るのじゃ!」
「お前、頭だけは良いだろう。次ぎ、どうやって解くんだよ」
見ると、那由多は数学の問題に悪戦苦闘中だった。
「さっきと同じ要領じゃ。ここをこうして」
文句を言いながらも、八意は那由多に小難しい数式を教えていく。
「もしかして、那由多さんも勉強を?」
文也が意外そうに声を上げた。それは、典晶も同感だった。彼ならば、様々な悪魔や神を使い、知識を得ることなど容易いだろう。
那由多はペンを走らせながら、首を鳴らした。
「こうやって勉強をするのが、普通で良いじゃないか。俺たちは普通の人間なんだからさ……」
那由多は顔を上げた。
「そうは思わない? 典晶君、文也君」
「そうですね」
彼は普通の人間として、日常に向かい合っているのだ。特別な力を持っているからこそ、何気ない日常を、誰よりも大切にしているのかも知れない。
「そう思うのだったら、地元の図書館にでも行け! それか、地獄じゃ。あそこなら時間の流れが違うから、いくらでも好きなだけ勉強が出来るぞ」
「地獄はダメだ。テスト前は籠もる事もあるけど、亡者やグールどもが五月蠅くってさ。ベリアルもおしゃべりで邪魔をしてくるし。良いじゃないか。ここはお茶もお菓子も良いタイミングで出てくるんだからさ」
「出てくるんじゃなくて、儂が出しているんだ」
八意は溜息交じりでこちらを見上げる。
「と言うわけじゃ。こやつだけで手一杯じゃ」
「それは困るな。イナリの勉強を見て欲しいんだ」
「イナリの? そち、勉強が出来ないのか?」
「いろはにほへと、も読めない」
「あいうえお、な」
「小学一年生レベルか……」
八意が不快溜息をつく。
「人の姿になって、まだ一月と経っていないんだ。当然だろう」
「イナリ、自慢するところじゃないって……」
典晶は溜息交じりに言いながら、八意を動かす最後の言葉を口にした。
「母さんが、八意がいい家庭教師になるからって……。これ、母さんから。お中元みたい」
典晶は、歌蝶から預かった包装された箱を渡す。
「歌蝶姉様が? 爆発などしないだろうな?」
「やりかねないけど、しないと思う……たぶん」
あの歌蝶のことだ。普通の物を八意に渡すとも思えない。それに、お中元にしては、やけに軽いし、典晶に頼むとき、もの凄く楽しそうな顔をしていた。
八意は箱を矯めつ眇めつすると、奧へ引っ込んだ。
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