「女装趣味?」
ホテルの浴衣に着替えた眞美は、ベッドに寝転がりながら頬杖をついた。
目の前には、ワンピースを着こなし、姿見鏡の前で右へ左へ揺れて見せる綾瀬がいる。
「そうなんですよ。可愛い服が大好きで!」
言いながらハイウエストのラインやスカートのヒダを愛おしそうになぞっている。
「本当はもっともっとこういう服着たいんですけど、どうせ持ってても見せる相手もいないし、出かけることもできないし。せいぜい写真撮ってインスタに上げるのが関の山で。あれ、スマホどこ入れたかな」
言いながらバッグの中身を出していく。
イオンドライヤー。
ヘアコテ。
ヘア美容液、ヘアフォーム。
ヘアコーム、ヘアブラシ、クレンジング剤。
洗顔料、美容液、乳液、クリーム、目元クリーム。
睫毛クリーム、日焼け止め、化粧下地、メンズ用ファンデーション、メンズ用リップ、メンズ用チーク……
どんどん出てくるグッズに、眞美の眼は点になった。
「なに、これ」
「何って。一泊するのに最低限のコスメアイテムですよ」
(これで最低限?)
やっと見つけたスマートフォンを、眞美に見せてくる。
「これ、全部俺です」
覗くと、そこにはいろんなキャラクター(主に女性)にコスプレした綾瀬がたくさん映っていた。
「結構ファンも多くてぇ、このサイトのコスプレ部門で準優勝になったこともあってぇ!」
アカウント名を見る。“AYA”?
「聞いたことある!コスプレイヤーAYA」
「え、マジですか?」
ワンピースを着たままの綾瀬が身体をくねらせる。
「でも、女の子じゃなかった?」
「身バレあり得るんで、一応女の子にしてるんですよー」
「————」
綾瀬はスマートフォンをまたバックに投げ捨てると、鏡の中の自分に戻っていった。
「いいなあ、こんな可愛い服買えて。いいなあ。こんな格好出来て!」
言いながら微笑んでいる。
さすがの母も、これは予想できなかったに違いない。
眞美は目の前の彼女を眩しそうに見上げた。
「勿体ないんですよ、栗山さんは」
散々鏡の前で回りつくした綾瀬が満足したのか振り返る。
「女に生まれてきたこと、それだけでものすごく幸運なことなんですよ!?」
「そうかな。そんなこと思わないけど」
心底思いながら目を閉じる。
「あなたって、性同一性障害とか、そんな感じ?」
「いや、違います。心は男なんで。でも、女の子の恰好が好きなんです」
「女の子―――ねえ」
自分よりも数倍ワンピースが似合っている男を見上げる。
「でもなかなか人に理解はしてもらえなくて」
言いながら綾瀬は、眞美が寝転がっているベッドにストンと腰を下ろした。
「だから、そんなに綺麗なのに彼女がいないわけだ」
言うと、バッと綾瀬が振り返る。
「綺麗?今、綺麗って言いました?嬉しいなあ!」
眞美は自分が発した言葉に後悔しながらため息をついた。
「まあ、女たちには理解されないかもなあ。その趣味は…」
言うと、綾瀬は少し悲しそうに俯いた。
「女性にだけじゃなくて、男性にも受け入れがたいみたいで」
言いながら膝の上に手を置いている。
「俺、ちょっと前まで、営業してたじゃないですか」
「あー。北町支店だっけ?」
「そうです。去年の冬、店のイベントでね、受付の女の子が、氷の女王になったんですよ。そのためにコスプレ衣装買って」
「へえ。流行ってたもんね」
「俺、どうしても着てみたくて」
さすがにドン引きして、数分前とは180度印象が変わった男を見上げる。
「ーー着たの?」
「みんな帰って誰もいなくなったショールームの片隅で」
「わーお」
ここまで行くと筋金入りだ。
「よくそんな性癖、隠し通してこれたわね」
「それが、そうもいかず……」
膝に置かれた手に力が入る。
「その、見られたんですよね。北町支店の係長に」
(北町支店の係長?ああ。矢作とか言う、あの黒光りして、妙にギラギラした気持ち悪いやつか)
「それで、それをネタにいじめられたりした?」
「いえ」
「強請られたとか?」
「いえ」
「じゃあ、な――――」
「襲われて―――!」
「—————はあ?」
思わず頬杖がずれた。
「襲われた、って何?そういう意味で?」
「そうです。そういう意味で」
綾瀬の白い拳が握られていく。
「氷のドレス捲り上げられて、その、パンツ下ろされて、それから―――」
「す、スト―――ップ!!!!」
慌てて起き上がり、綾瀬の口を塞ぐ。
「ーーーマジで言ってんの?」
「はひ」
「それ、何、ちょっと。レイプされたってこと?」
「みふいえふへほ《未遂ですけど》」
「それにしたって――――」
眞美は目の前のワンピースを着こなした綺麗な男を見つめた。
◇◇◇◇◇◇◇
「この度、北町支店から新車グループに異動になりました、綾瀬です。よろしくお願いします!」
爽やかな顔で転属してきた綾瀬を思い出す。
「お前、成績も悪くなったのに、なんで営業辞めたんだよ、勿体ない」
課長が笑ったが、綾瀬は
「いやあ、ちょっと心折れてしまって」
と笑っていた。
その時は、
(新車グループなら心が折れないってこと?嘗められたもんだわ)
と思ったが――――。
◇◇◇◇◇◇◇
そんな過去が―――。
「綾瀬くん」
強く握られた拳を優しく包み込む。
「似合うよ、凄く。私なんかより、ワンピース、似合ってる」
「栗山さん」
大きな目が潤んでいる。
よく見ると、その目の瞼にだって、ハイトーンのファンデーションが塗られている。
目だけじゃない。
この艶やかな髪も、綺麗な肌も、脂肪のない体も、つるつるすべすべの手足も。
全て綾瀬が努力して培ったものなのだ。
「綾瀬くん。あんたはとっっっっても綺麗」
言うと、綾瀬は握っていた拳を開き、眞美の顔を両手で包み込んだ。
その唇にキスをされる。
フワフワで、柔らかくて、女の子みたいなキス…。
だと思ったのは一瞬で、すぐに熱く強い舌が中に入ってきた。
「!?」
口内を犯すように、荒々しく、這いずり、嘗められ、吸い上げられる。
「ん…!んんッ……!んぁ……!」
思わず息が、声が、漏れる。
「ーーねえ。ー応、聞くけど」
やっと離れた唇で問う。
「セックスの、対象は?」
綾瀬は手の甲で唇についた唾液をふき取ると、ふっと笑った。
「もちろん、女性です」
言いながら掴んだ浴衣を左右に分けて、首に吸い付いてきた。
ワンピースを完璧に着こなした綾瀬。
光った目は、確かに雄のそれだった。
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