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母が恋しかった。
私には生まれた時から母は居らず、そこに居たのは瞳を酷く釣り上げ、使命に駆られた女だけだった。女は私の名前を幾度と呼んだが、私がそれに応える事は1度も無かった。次の瞬間、頬に熱い感覚が広がる。1度だけではなく2度、3度、意識を失う程、女の手も赤くなっていた。女は泣いていた、私はただ女の顔を見上げて不器用に視界をチラつかせ、横たわる事しかできない。そして目を瞑り、意識を暗闇の中へと引きずり込ませる。…….唯一の母と子の思い出だった。悲しいという感情は不思議と湧き上がってこない。憎しみも恐怖も本来あるはずの感情も幼い頃からの日常が使命という名の呪いが、私自身を創り上げたせいで感じられなくなっていた。だが、それで良かったのだ。誰か1人だけでも自分を想ってくれる人か居ればいい。ただそれだけで酷く報われる。救い…私にとってのそれが兄だった。兄は私にとって生きる理由であり、幼い頃からいつでも私を愛し、守ってくれる存在だった。彼以上の人間なんて知る必要が無いと、この時の私はそう思っていた。兄との思い出、たった一つだけ脳裏に焼き付いて離れない思い出がある。母が若くして死んだ時の事だった。大きな大きな泣き声だった。兄は使命を背負わされた私を抱きしめ、部屋いっぱいに声を響かせて泣いていた。普段は優しく強い兄だったがこの時だけはまるで子供の様に泣いていた。だが、それがとても嬉しかった。自分が出来ない事を代わりに兄がしてくれたと。無力で無情な私がそれにどれほど救われたことか。兄は私の頭を優しく撫で、瞳を覗きこんでくる。そしてまた呼ぶのだ。あの名で、あの忌むべき名で。信じたくなかった。もう、絶望したくなかった。叫び、逃げ出したかった。もうそこには優しい私の兄など居なかった。そして男の手の中には青い石が光り、不気味な光を放っては見る物を惹き付けた。
……今も昔も。
……どれほど時が経とうとも忘れる事ができなかった。赤髪を揺らすと白い花びらも風でなびく。その様子を目の前の金髪と青い瞳の少年はただ見つめていた。かつて同じ光景を、瞳の色は違えど思い出してしまった。忌々しいと思った。そして少年の頬は赤く染まっていた。誰かによってそうなった訳では無いと、少年を見ていれば分かった。…私は上手く笑えない。泣くこともできない。だからあなたの気持ちに共感ができないの。ごめんなさい。感情とは裏腹に今まで冷徹に振舞ってきた。少年にもそうすればよかったのだ。だが少年は私の名前を呼んだ。教えたはずの無い名を純粋な笑顔を私に向け、少年は呼んだのだ。
『_____アルティア』と。
私は私の名前が嫌いだった。道具は道具でしか無かったから。母も兄もそしてあの人から呼ばれても好きにはなれなかった。だから忘れたかったのだ。