おひさです
🥷✖️🐱
⚠︎🥷未婚絶対
どぞー
カランコロン。
頭上のベルが楽しそうな声を上げる。後ろで勝手に閉じたドアは漆喰の加工がされておりいつも不思議な雰囲気を含んでいる。毎度開けるたびに異世界に繋がっているのでは?と思うまで。
視界を前に移すと整えられた黒に統一された机と椅子、カウンター席、そしてどこか錆びれた大きな窓がまず入ってくる。それから鼻腔内を檜木の匂いが満たし、それから奥からパンが焼けたいい匂いも漂ってくる。
この光景を目にしたのは何度目だろう。
もう常連客としてやらせてもらっているも、今までここに客が座っているのは見たことがない。
「(…まあ、そうだろうけど)」
だって、ここは山奥。ここに迷い込んでくるのは道を迷った人間だけだろう。外見だけ見てしまえば廃墟のように感じられるここ。まだ開いているとわかるのは『Open』と書かれた小さな木製看板だけだ。それがなければ少し整えられた、小さな誰もいない家。
そして俺も同じで迷った。
ある日、散歩をしていたら少し大きな山に出会った。大きく開いた一本道はまるで誘い込むかのよう。おいでおいで、と言われているのような雰囲気に誘われ、迷うことなく進んで行った。
まあ、当然道に迷った。
きっと感覚で進んで行ったのが悪かったのだろう。が、どれだけ後悔したって遅い。ご生憎様スマホは持ってきていなかった。どうせこのままだったら動物に襲われるか餓死するかの二択だろう、そう思いながらも希望を捨てきれずただひたすらに進んだ。
すると…この店に出会った、というわけ。
恐る恐る入ったら優しそうな店長がランチと帰り道を書いたお手製の地図をくれたのだ。おかげで死なずに家まで帰れた。
彼によると「暇だったから」と笑っていた。
よくしてもらった上にご飯もすっごくおいしくってリピート確定。地図を辿ってここに何度も来ている、ということ。
「…こんにちはーー!!」
いくら待っても誰も出てこない。痺れを切らして叫ぶと奥から「はいはーい!」といつもの声が聞こえた。
「いらっしゃい、キヨ」
「こんにちは、ガッチさん」
彼は楽しそうに一つ笑うとエプロンで手を拭く。少しずれていたメガネをかけ直すと口を開く…というところで俺の腹の虫が鳴った。
「…あ、」
「あはは、ごめんねぇ。さ、こんなところより座った方がいいよ。好きなところ座ってて、水持ってくるから」
「ごめん、ありがと」
促されるまま窓に1番近い席に座った。今は冬だが日差しが暖かく心地がいい。
…ガッチさん。ガッチマン。ここの店の店長の名前。彼は優しく、人当たりが良い。その彼の性格のおかげですぐに顔を覚えてもらい、仲良くなることができた。今ではちょっとしたサービスもしてくれるくらい。
と、目の前にコップと見慣れた手が写り込む。
「お待たせしました。注文はもう決まった?決まったならお聞きしますよ」
「…あー、じゃあハンバーグで!」
「んふふ、はーい。ソースはどうする?」
「んー…こっち!」
「オッケー、少しお待ちくださいね」
「はーい!」
ガッチさんが奥へと引っ込むと、再び静寂が訪れる。そのわずかな時間で、キヨは温かな日差しを浴びながら、店内の景色を改めて味わった。黒で統一された内装は、窓から差し込む冬の光を吸い込んで、不思議な落ち着きを醸し出している。
(…あの日以来、すっかりここが『俺の場所』になっちまったな)
初めてこの山奥の店にたどり着いた時の驚きと、ガッチさんの差し出してくれた優しさが、今でも鮮明に蘇る。あの時のランチの味が、文字通り、俺の人生を変えてしまった。
「ハンバーグ、楽しみだなぁ」
ふと、口元が緩む。注文したのはいつもの品だ。何度食べても飽きない、あの深い味わい。
一般的な肉とは比べ物にならないほど、ジューシーで、濃厚で、それでいてどこか切ない風味がある。添えられるソースもまた、その日の気分で選ぶのが楽しみの一つだ。
キヨは窓の外に広がる、どこまでも続く山並みを眺める。木々の向こうに、この店が建つ前の景色を想像した。きっと、何もなかったのだろう。ただの森。そこに、ある日突然、この不思議な店が現れた。
ガチャン、とカウンターの奥から金属の皿が触れ合う音が響いた。
「お待たせしました、キヨ」
ガッチさんが再び姿を現し、キヨのテーブルまで歩いてくる。黒いエプロンと白シャツが、キヨの視界を占める。
「うわ、すっげぇいい匂い!」
運ばれてきたのは、丸く、分厚いハンバーグ。その上には、まん丸でつやつやとした黄色い目玉焼きが乗せられている。そして、キヨが選んだ、鮮やかな赤のソースが、ハンバーグの横で艶めかしく輝いていた。
「召し上がれ」
ガッチさんは穏やかに微笑むと、キヨの様子を少しだけ見届けてから、カウンターへと戻っていった。
ナイフとフォークを手に取り、キヨはまず目玉焼きに切り込みを入れる。とろりとした黄身…ではない。それは、切り裂かれた瞬間に、中から独特の透明な液体を滲ませた。
(…これも、いつも通り)
それを気にも留めず、キヨは切り分けた一口サイズのハンバーグを、赤色のソースにたっぷりと絡ませる。
口に入れた瞬間、深く、抗いがたい満足感がキヨの全身を駆け抜けた。
「ん…、っっはぁ…うめぇ…」
俺はただ、食事に没頭した。このために、何度も地図を頼りに山を越えてきたのだ。この味のためなら、少々のことなど気にしない。
皿の上がきれいになる頃、キヨはコップの水を飲み干し、ふう、と息を吐いた。身体の内側から温かくなり、満たされていく感覚。
(今日も最高だった…)
すると、急に瞼が重くなってきた。
あれ?
「…あ、?」
急激な眠気が意識を奪おうとする。まるで、心地よい布団に引きずり込まれるかのように、視界がぼやけ始めた。
「…ぁ、うそ…」
そう、この感覚も、初めて来た時から知っている。
(…もう、時間か)
抗う気力もなく、キヨはテーブルに突っ伏した。意識が途切れる寸前、遠くからガッチさんの声が聞こえたような気がした。
「…おやすみ。キヨ」
次に意識が浮上したのは、身体が誰かに引きずられている感覚と、床を擦る摩擦音によってだった。目を開けることはできないが、音と感触で理解する。
(…引きずられてる)
身体は、黒い床の上を滑るように進んでいた。そして、ドアを開ける音と、奥の部屋独特の、冷たくて無機質な空気が肌を撫でた。
そのまま、ドサリ、と何か柔らかなものの上に横たえられた。
意識は朦朧としているが、聴覚だけはまだ機能している。
その耳に、ガッチさんの独り言が、静かに、しかしはっきりと届いた。
「…まったく、物好きだよねぇ、キヨは」
エプロンを外すような、カサカサという音が聞こえる。
「ここに来た子達ね、全員味が忘れられなくってやって来るんだ。その大半が基本もうおかしくなってる状態なんだけどね。味に狂っちまって、理屈が通用しない」
ガッチさんの声は、普段の朗らかなものとは少し違い、静かで、諦めを含んでいた。
「でも、俺目当てでくる子なんて大抵いないんだけど…」
ガッチさんがキヨの顔を覗き込んでいるのか、微かに檜木の匂いが濃くなる。
「ま、いっか。どうせ聞こえてないしね」
その言葉の響きは、慈愛にも、諦念にも聞こえた。
やがて、彼は立ち去った。
意識は完全に途切れ、その場に残されたのは、深い眠りの中、静寂だけだった。
おわりんぬ
またね!
コメント
3件
読んでて楽しかったです!! 透明の黄身???もはや黄色じゃない黄身w ...なんなんだろ?睡眠薬?