─…あーあ、また始まった。
仰向けに寝転ぶオレの胴体の上に馬乗りになり、大粒の涙を浮かべながらこちらをきつく睨みつけてくる少女の姿に、オレはゆっくりと目を細めた。その白い手に握られている包丁の鋭い刃先が、彼女の腕の震えとともに視界のすぐそばでぶるぶると不安定に揺れる。
『うそつき。あたしだけって言ったくせに』
張り詰めた空気が軋み始め、沈黙すらもがどこか音を立てているように思えた静寂の後、涙でぐしゃぐしゃになった顔をした彼女が嗚咽まみれの声でそう零した。
それと同時に彼女の手が落とされ、包丁の先がオレの喉元すれすれをなぞりはじめる。
一体何度目になるだろうか。ほんの少しの言い合いが大喧嘩に発展し、こうやって殺されそうになるのは。
10回を過ぎたあたりで数えるのをやめてしまったせいで、もう思い出す気にもなれない。
「嘘なんかついてねぇって」
呆れた声が喉の上を跳ねる。
『ついたもん、あたしだけ見るって言ったのに知らない女の人と居た』
「ただのナンパだって」
『なんで断らなかったの』
「断った」
『うそだ!連絡先交換したんでしょ!』
「してねぇよ」
ああ言えばこう言う。一向に埒が明かない会話に呆れながらもそう言ったのに、彼女はまた泣き出しそうな顔をしてオレを睨んだ。
『きらい、嫌い嫌い嫌い!!!イザナくんなんて大嫌い』
その言葉が空気を裂いた瞬間、部屋の中の空気が一瞬で冷たくなった。
今日みたいな大喧嘩は何度もしたことあったが、「嫌い」と言われたことは初めでだった。
彼女なりに「言っていいこと」と「言ってはいけないこと」の線引きはしていたのだろう。
でも、今、それが途切れた。
オレは今日一番の大きな溜息を吐きながら、泣きすぎてぐちゃぐちゃになった彼女の赤色の瞳を見つめる。オレを見つめるその瞳と表情を見れば、「嫌い」という言葉が本気ではないことくらいすぐに分かったが、傷つくものは傷つくし、苛立つものは苛立つ。
それなのに、目の前のこの女は、そんなオレの気も知らないでぐずぐずと泣き喚いている。
高ぶった感情をぶつけるように、俯いている〇〇の前髪を力いっぱい掴み、無理やり自分と目線が合う高さまで引っ張る。小さな悲鳴が手元から漏れたが、それでも手は止まらなかった。オレは仰向けのまま、少し息を整えた。
「じゃあ別れる?」
かすれた声が、自分でも聞き取れないほど低く響いた。
『……ぇ』
オレの言葉を聞いた瞬間、感情の読めない声とともに○○の瞳から涙が一つ落ちた。雫がナイフの刃を伝い、俺の喉元で弾ける。胸の上で小さく震える体がどうしようもなく愛おしい。
彼女の前髪を掴んでいた指先の力をゆっくりと抜くと、オレは少しずつ体を横に傾けて床に手をつく。仰向けの体制から起き上がると、○○との距離がグッと近くなり、ナイフの先が皮膚に貫通するギリギリのところまで近づいてきた。
「オレのこと嫌いなんだろ?」
絶望に染まった赤い瞳を見つめたまま、彼女の手首を自身の手でそっと包み込み、小刻みに震えるその手からナイフを静かに取り上げた。そのまま適当に投げると、遠くでガチャンと金属音特有の鋭い音が鳴り、どこかへ消えていった。
その音を合図に、彼女が喋り出す。
『や、やだ。違うの!うそなの、別れたくない、イザナくんと別れたらあたし…』
動揺が隠せず、声が裏返るのも構わずに○○は言葉を吐いた。
「言い訳が聞きたいわけじゃねぇんだけど。…あ、その言葉も嘘か?」
『ちが!ごめんなさ、ごめんなさい』
涙で濡れた髪がべたりと張り付いている唇を必死に動かして謝罪の言葉を述べる彼女の姿に口角が上がりそうになるのを必死に堪えて、吐き捨てるような口調を作る。
彼女の小さな口から零れてくる嗚咽が小さくなるまで、オレは黙って見ていた。
「嘘つき。オレのこと嫌いなくせに」
そう言って髪を撫でる。さっきまで掴んでいた場所を、今度は優しく。
彼女は何も言わない。首を横に振って、必死な表情でオレを見つめてくる。
しゃくりあげ、声は掠れ、髪は顔に貼りついて、見るからに惨めな彼女の姿に喧嘩の最中なのに、胸の奥が熱くなって口角が上がっていく。
「オレのこと好き?」
指先で頬に触れ、震える肩を抱き寄せる。
『大好き』
少し怯えながらも、目を合わせてくる。顔が腐ってしまうくらい泣いた彼女の目は酷く腫れていて、涙の跡が渇いた肌の上で濡れて光っている。
「オレも」
囁き、手で髪を撫でる。そのまま、自然と唇が触れた。
呼吸がぶつかる。互いの鼓動が混ざる。
別れる気なんて最初からない。ほんの仕返しのつもりだった。少し脅し過ぎたかもしれないが、反省なんて少しもしていない。殺されそうになったのだからこれくらいいいだろう。
オレは○○のことだけが好き。オレに依存する○○が世界で一番かわいい。
好きすぎて好きすぎて。
壊れても、喧嘩しても、刃を向け合っても。
それでも、こうして互いに離れられない。
もう逃げられないほどに、繋がってるんだ。
1週間ぶり?2週間ぶり?の更新がこんな重くて意味不なお話で申し訳ないです。
メンタルボロボロな夢主ちゃんの心に漬け込むイザナくんのお話が描きたくて久しぶりに小説を書きました。要は「俺のせいで苦しんでるのに俺にだけ縋ってくるの可愛すぎ〜〜」って話です。
うちのカプ(イザいお)もこんなふうに3日に1回の頻度で喧嘩するタイプの情緒不安定カップルです(たぶん)
コメント
4件
え~ まってやだ凄い好き т т ♡ 最初からヤンデレと不穏が 溢れてるのほんとに…どうしよう 最高すぎて言葉が…👉🏻👈🏻❤︎ 今回も安定に夢小説上手くて 尊敬だし憧れすぎる🫶🏻️︎😖💖
わぁ〜✨ 久しぶりの黒透さんの闇系イザナくんだ(´。✪ω✪。 ` )やっぱりかっこよくて大好きです!