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第216話 欠けた帰還
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
サキのスマホ画面に、たった一文字が表示されていた。
C。
それは名前なのか。
記号なのか。
それとも、何かの始まりなのか。
誰にも分からない。
だが、その一文字が出た瞬間、空気が変わった。
ハレルは主鍵を握ったまま、獣影の奥を睨む。
「C……お前が、場所をずらしてるのか」
返事はなかった。
代わりに、校庭の地面の下で、針のようなノイズが深く刺さる感覚があった。
ノノの声が飛ぶ。
『三点同期、五十二!』
『でも、帰還ラインの読み取りが変!』
『校舎棟だけ、現実側への引きが強すぎる!』
リオが顔を上げる。
「校舎だけ?」
セラの声が重なる。
『建物が先に呼ばれています』
『人の線が、少し遅れています』
アデルが外周から叫ぶ。
「まずい」
「建物だけ戻れば、中にいる者が置き去りになる」
サキの顔が青くなる。
「そんな……!」
獣影の奥から、Cの声が聞こえた。
若いようで、年老いているような女の声。
「建物は、戻れます」
「人は、少し遅れます」
「場所は、欠けても形になります」
ハレルは叫んだ。
「ふざけるな!」
Cの声は、怒らない。
「ふざけてはいません」
「帰還とは、元の番地に戻すこと」
「ならば、読み取りやすいものから戻ればいい」
リオの副鍵が大きく震えた。
校舎棟の輪郭が、急に濃くなる。
窓。壁。教室の扉。
それらが現実側へ引っ張られている。
だが、その中にいる教師や生徒の反応が、少しだけ遅れていた。
ノノが叫ぶ。
『校舎側、人の反応が置いていかれる!』
『リオ、建物を引っ張らないで!』
『線を人に合わせて!』
リオは歯を食いしばる。
「簡単に言うな……!」
副鍵の光が揺れる。
ハレルは主鍵を握り直した。
匠の言葉が、胸の奥で響く。
建物を戻すな。
人のいる学園を戻せ。
「リオ!」
ハレルは叫んだ。
「校舎じゃない!」
「そこにいる人を見ろ!」
リオは息を止める。
校舎の形ではなく。
窓でも壁でもなく。
そこにいる生徒たちの声。
「二年一組、校舎二階!」
「香川直人、校舎二階廊下!」
「窓側の席、後ろから二番目!」
声が聞こえる。
リオは副鍵を胸の前で押さえた。
「一ノ瀬涼」
「校舎側の線を支えてる」
「戻すのは校舎だけじゃない」
「そこにいる人たちごとだ!」
副鍵の震えが、わずかに収まる。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校舎棟・朝】
校舎の廊下は、半分だけ現実に引かれていた。
窓の外に、現実世界の曇った空が見える。
だが、廊下の奥にはまだ異世界の光が残っている。
香川先生は、生徒たちを壁際に寄せながら声を張った。
「声を止めないで!」
「ここは校舎二階!」
「でも、私たちはここにいます!」
男子生徒が震えながら言う。
「僕は、内田ソウタです!」
「二年一組です!」
「校舎二階にいます!」
女子生徒が続く。
「小森ハルカです!」
「校舎二階、二年一組の前にいます!」
廊下の床が、一瞬だけ消えかける。
王都術師が床に手をついた。
「人の線が薄い!」
香川先生は叫んだ。
「建物だけ戻らないで!」
「ここにいる私たちも一緒に戻ります!」
「ここは、私たちが通った廊下です!」
生徒たちも必死に声を上げる。
「朝、ここを歩いた!」
「この廊下で友達を待った!」
「階段のところで先生に怒られた!」
小さな記憶が、次々に廊下へ打ち込まれる。
壁が戻る。
床が戻る。
その上に立つ人の影も、少しずつ戻る。
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地周辺/仮設指揮所・朝】
佐伯の端末が赤く点滅していた。
「校舎棟、実体化が先行しています!」
村瀬が叫ぶ。
「人の反応が遅れてる!」
「このままだと、校舎だけ戻って、中の生徒が異世界側に残ります!」
城ヶ峰は即座に無線を開いた。
『異世界側、建物の実体化を抑えろ』
『人の反応と合わせろ』
『現実側は、校舎棟を固定しすぎるな』
『外周班、光具出力を二段下げろ』
片桐の声が返る。
『南西外周、出力二段下げます!』
『場所確認は継続!』
佐伯は別画面を見る。
「白いコアは切り離し済み」
「回収班は外部管理ラインへ移動中」
「でも、Cのノイズは校舎棟へ集中しています」
村瀬が小さく呟く。
「C……」
その一文字が、指揮所の画面にも表示されていた。
城ヶ峰は画面を見つめる。
「敵の名前が分かったなら、記録しろ」
「だが、恐れるな」
「名前があるなら、追える」
佐伯は頷いた。
「C反応、仮登録します」
端末に表示が出る。
『下層干渉体:C』
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
ハレルは主鍵の光を抑えるように、両手で握った。
引っ張るのではない。
押し戻すのでもない。
合わせる。
建物と、人。
場所と、名前。
記憶と、今ここにいる声。
「雲賀ハレル」
「この校庭にいる」
「戻すのは、建物だけじゃない」
主鍵の光が広がる。
「人のいる学園を戻す!」
校庭から白い線が伸びる。
校舎へ。
体育館へ。
外周へ。
リオの副鍵がその線に重なる。
「一ノ瀬涼」
「校舎にいる人たちを置いていかない!」
サキも声を張った。
「雲賀サキ!」
「名前を繋ぐ!」
「校舎にいる人も、体育館にいる人も、校庭にいる人も!」
「みんな一緒に戻る!」
スマホの中で、reが強く光った。
画面には、校舎と人の反応がずれている場所が映っている。
reはその間に、小さな光を落とした。
ノノが叫ぶ。
『reが補助線を出してる!』
『校舎と人の反応の間!』
『そこを合わせて!』
セラの声が続く。
『そこは穴ではありません』
『ずれた縫い目です』
『名前で縫ってください』
ハレルは叫んだ。
「校舎は、人がいるから校舎だ!」
「教室は、生徒がいたから教室だ!」
「体育館は、みんなが避難しているから体育館だ!」
三点同期の光が、一度大きく揺れた。
そして、校舎だけが先に戻ろうとしていた流れが止まる。
ノノの声が震えた。
『校舎棟、実体化先行が止まった!』
『人の反応、追いついてる!』
『同期率、五十六!』
サキは息を吐いた。
「よかった……」
だが、その瞬間、獣影がまた動いた。
今度は、爪ではない。
その口が、ゆっくり開く。
ジャバの声が響く。
『建物がだめなら、次は人か?』
アデルの顔が険しくなる。
「来るぞ」
Cの声が、獣影の奥から静かに聞こえた。
「人の参照先を、少しだけ動かします」
サキの背筋が凍った。
「人を……?」
Cの声は、優しかった。
「名前がある者ほど、別の名前に繋ぎやすい」
ノノが叫ぶ。
『全員、名前確認を強化!』
『人の名前が狙われる!』
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
青山先生の声が一瞬、詰まった。
「私は、青山……」
その続きを、誰か別の名前が奪おうとする。
青山先生の目が揺れる。
「私は……」
生徒たちが凍りつく。
ダミエが叫んだ。
「言え!」
「先に名前を言え!」
青山先生は、両手を握りしめた。
「私は、青山和子です!」
「三年二組の担任です!」
「今、体育館中央にいます!」
生徒たちも一斉に続く。
「森下カナです!」
「藤井タクトです!」
「安西リナです!」
体育館の線が、かろうじて戻る。
だが、Cの声はまだ遠くから聞こえていた。
「名前は、よく響きますね」
「だから、よくずれます」
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/さらに深い場所】
Cは静かに見ていた。
建物だけを戻す試みは、止められた。
人のいる学園へ、帰還線を修正された。
悪くない。
カシウスの声がする。
「楽しんでいるね」
「観測しています」
ジャバが不満げに唸る。
「壊れねえな」
Cは答えた。
「壊れなくても構いません」
「壊すだけなら、あなたで足ります」
「どういう意味だ」
「彼らが何で支えているのかを知る方が重要です」
Cは、サキのスマホに揺れるreを見る。
「名前」
「場所」
「記憶」
「そして、あの光」
少しだけ沈黙。
「次は、人の名前を少し動かします」
◆ ◆ ◆
学園は、欠けたまま戻りかけた。
校舎だけが先に現実へ引かれ、そこにいる人たちが置いていかれそうになった。
だが、ハレルたちは修正した。
建物ではなく。
人のいる学園を戻す。
その言葉で、校舎と人の反応は重なり直した。
しかし、Cは次の針を刺した。
場所ではなく、人へ。
名前がある者ほど、別の名前に繋ぎやすい。
学園帰還は、まだ止まらない。
だが、次に揺れるのは場所だけではない。
人の名前だった。
#切ない
コメント
1件
わあ……第216話、すごかったです。「建物だけ戻る」って物理的な帰還の話だと思ってたら、名前と場所と記憶で織り上げる“人のいる学園”の話だったんですね。香川先生たちが自分の名前と居場所を叫びながら抗うシーン、胸が熱くなりました。Cの「名前がある者ほど、別の名前に繋ぎやすい」って台詞、不気味でいいなあ。設定の重なりが美しい回でした!