寝込む紗理奈にお福が銀のトレーに持ってきたのは、意外なものだった
「冷製トマトのミネストローネですわ、あっさりしてますからね、つわり中でも食べれますよ 」
「あ・・・・あの・・・でも・・私・・・食欲が無くて 」
ギロリとお福に睨まれた
「食欲が無くてもお召し上がりください、鼻をつまんで、えいっと飲み込むのですよ、奥様が欲しくなくてもおなかの赤ちゃんが欲しがってるんです!」
さぁさぁ・・と、お福に詰め寄られて、赤ちゃんのためだと思って、鼻をつまんでエイッと喉に流し込んで、ゴックン―と飲み込んだ
「そうそう、その調子!さぁもう一口どうぞ!」
そうお福に進められるまま、大きめのスープ皿に入ったミネストローネを、半分ぐらい飲み干した頃、胃にずっしりと何か溜まった感覚を覚えた
スッキリ・・・「不思議・・・・さっきまで、気持ち悪かったのが・・・嘘みたい・・・」
胃の底に今は温かい何かが錨のように溜まり、胃の縦揺れと横揺れを抑えてくれているような、感じだ
さっきまで込み上げてきていた、吐き気が嘘のように治って、なんだか起き上がって今なら、そこら中を走り回れそうな勢いだ
お福はふむふむと頷いて紗理奈を観察した
「やっぱり奥様は「食べつわり」ですわね!このつわりは厄介でね、空腹になると吐き気が死ぬほど襲ってくるものですわ、そうなったら大変、収まるまでずいぶん時間がかかりますし、起き上がれなくなります 」
まさに目から鱗だった
空腹だとダメなんだ!!
だから胃に食べ物が入っていない朝と夕方に、あんなに具合が悪くなるんだと紗理奈は思った
どんな妊娠本にも詳しくそんな事は書いてなかった、これぞまさに経験者の知恵だと感心した
「つわりと言っても侮ってはいけませんよ!妊娠中毒症や、妊娠悪阻による脱水症状!また後期に入ると高血圧、胎児の影響で心筋梗塞などね、妊娠、出産は命がけ!中には生まれるまで何も食べれなくて、ずっと病院で点滴生活をする妊婦さんもいますからね、お見受けした所、奥様は妊娠悪阻の一歩手前です!少しづつでいいですから奥様がつわりには「これ」という食べ物を一緒に探して行きましょうね、この福にお任せくださいな! 」
ニッコリ笑うお福の温かい言葉が紗理奈の心にじんわり染みた
途端にポロポロ涙がこぼれてくる
「まぁ!まぁ!奥様!大丈夫ですか?どこか具合が悪いのですか?」
ひっく・・・「いいえ・・・気分はすごくいいです・・・なんだか・・・安心しちゃって・・・あ・・・ありがとうございますっ・・た・・・食べますっ・私っ・・・」
紗理奈はもう一口ミネストローネを「えいっ」とゴクンッと噛まずに喉を鳴らして胃に流し込んだ
するとまたエネルギーがひとさじ分身についた気がした、それは涙で少ししょっぱかった
元気にならなくちゃ・・・赤ちゃんのために
..:。:.::.*゜:.
幼い頃から母親の愛情は、姉二人に取られていたせいで、紗理奈には「手のかからない良い子」になるしか両親の評価を得られなかった
そして出来上がった「頑固」だと、家族から呆れられる紗理奈の自尊心は、鋼のように強く、人の手を借りずなんでも一人で
解決しようとする性格は、ここにきてもろくも崩れ落ちる寸前だった
本当に今回ばかりは一人では、乗り切れる自信はなかった
こんなに心強い味方はいなかった、紗理奈は直哉がお福さんがいるここに連れてきてくれたとことに感謝した
「お可哀想に・・・ずっと一人で頑張ってきたんですね、もう安心ですよ、ここで皆さんのお力を借りて元気な赤ちゃんを産みましょうね! 」
「ハイ!」
涙を拭きながら、紗理奈は福と顔を見合わせてフフフフと笑った
それからも紗理奈は自分のことは、自分で出来るからと丁寧に説明したが
なんでも人が少なくなった母屋で、お世話を出来る楽しみを取らないでくれと、お福に言われ、紗理奈はほんの少しなら、お福にお世話をやいてもらうのを許す事にした
紗理奈こそこの屋敷に長年待ち望んでいた、女・主・人・なのだから、というのがお福の言い分だった
「この大きくて美しい母屋には、女性とお子さんが必要なんですよ!ナオ坊ちゃまには百ぺんもお話して聞かせたんですが、やっと耳を貸してくださいました、まぁ!なんてきれいなおぐしだこと!」
紗理奈の髪をブラッシングしながら、お福が言う
「天使の輪がいくも光ってますわ、悪魔のようなナオ坊ちゃまにはまったく理想的ですわ!あら!まぁ・・・悪く取らないでくださいませね、ただあの方は・・・・ 」
クスクス・・・「わかってますわ、お福さん 」
紗理奈の身支度を手伝ってくれながらも、お福の軽快なおしゃべりが楽しい
身支度が終わり、お福が部屋の空気を入れ替えするため、全部屋の窓を全開にした
そして昨日夜に連れてこられたので、まったくどこいいるのかわからなかった紗理奈は、初めて全貌に広がる土地を眺めた
「わぁ・・・・・ 」
そこは山のてっぺんを切り崩した、とんでもなく広大な土地だった、目の前に飛び込んでくる牧草地は、緑の草がエメラルドの海のように風で波打っている
遥か彼方に見える真っ白い柵は、見渡す限りどこまでも続いている
紗理奈は無言のまま、何度も瞬きして窓から見える全景を見渡した
野生馬のように多くの馬が隊列を組んで走っている、優雅に牧草を駆け抜ける馬は少なくとも50頭はいる
テーマ―パーク並みの真っ青な屋根の厩舎、砂場のような円形のパドック区域、あちこちに咲き乱れる野花
そして少し離れた所にプール付きの、赤い屋根のお城のような邸宅はきっと、彼が言っていたお兄さんの別宅なのだろう
多くの青のつなぎの作業服を着た男性が忙しく働いている、馬に乗っている者もいれば、何やら紐で引っ張っている者もいる
耕運機を動かしている者、はるか遠くの入場ゲートが開き大きなトラックが入ってきた
目にするものすべてが目新しく、活気溢れ、ビジネスとして成功している牧場という印象をうけた
ここを?・・・彼が運営してるの?
海辺の小さな漁師の家で育った紗理奈にとって、まさか自分の地元でこんな山の上に、これほど巨大な牧場があるなんてまったく知らなかった
「成宮牧場へようこそ!今日からここがあなたのおうちですよ!奥・様・!・」
お福は笑って紗理奈にそう言った
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