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君へ

1 - 第1話

2025年07月28日

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「なぁ、なんで泣いとんの?」

問いは空気に溶け、彼はただ俯いたまま、声を発さなかった。

涙だけが、ぽろぽろと零れ落ちる。すすり泣く音、震える肩、しかし喉からは何の音も漏れない。それは堪えているのか、それとも、泣き方さえも忘れてしまったのか。

「寒い?疲れた?怒られた?」

紡ぐ言葉は虚しく響き、何一つ彼から返るものはない。

それでも、その場を去ることはできなかった。

そっと、その肩に触れる。すると、火傷を負ったかのように彼はビクリと震え、か細い声が漏れた。

「やめて……それ……」

「え……?」

「優しくすんの……やめてくれへんか……」

「なんで……?」

「そんなことされてしもたら……俺、壊れるやんか……」

その言葉は、胸を締めつけた。

「俺、ずっと、雑に扱われてきたんやで……?笑われて、蹴られて、ゴミみたいに扱われて……それが、当たり前やと思ってたのに……今みたいに……優しくされたら……っ、俺、わからんようなって……っ」

溢れる涙は、もう止まらない。

「優しさが、一番……辛いんや……俺なんかが、こんなあたたかさに触れてええわけないやろ……」

震える声に、僕はただ静かに応える。

「それでも、放っておけないんだよ。君が誰かなんて関係ない。ただ……君が泣いていたから。それだけで、優しくしたくなったんだ」

―再び伸ばした手。

彼はそれを拒むことはできなかった。拒むには、あまりにも弱すぎた。

そして、音もなく崩れるように、彼は泣き続けた。

机に突っ伏した彼の背中は、今日もまた、誰の問いかけも受け付けない。それが彼の日常であり、ずっとそうだった。

だが、その日、僕はごく自然に言葉をかけた。

「眠いの?疲れてる?」

ぽん、と背中を撫でたその瞬間、彼の体はまるで雷に打たれたかのように跳ねた。

「っ、な……なに……?」

上げた顔には、僕の心配する眼差しと、柔らかな笑みが映る。

「少し疲れてそうやったからさ……ほら、水。飲むか?」

差し出されたペットボトルは、ただそれだけなのに、彼の指先は震えている。

「……いや、なんで……なんで、そんな……そんな優しくせんで……っ」

「え?」

「わからんくなるやろ……っ俺……殴られたことしかねぇのに……今さら、こんなんされたら……どうしたらええん……?」

真っ赤に充血した瞳。ひきつる口元、荒い息遣い。

「俺……混乱するんやって……わからん……わからんねん……これが、なにかも……どうしたらいいかも……けど、怖いくらい、あったかくて……っ」

一筋の涙が、ぽろりと落ちた。

「怖いよ……優しさなんか……知らないんよ……」


「……んな顔して、どうしたん?」

僕の問いに、彼はぼんやりと遠くを見つめていた。

「 別に。慣れとるし」

それは、もはや彼の口癖となっていた。

「何に?」

「怒られるのも、殴られるのも、無視されるのも、全部……親にも言われてたからな、“お前なんか生まれてこなきゃよかった”って」

乾いた笑いがこぼれる。

しかし、その瞳の奥には、今にも零れ落ちそうな涙が揺れていた。僕はそっと、彼の手に触れる。

「……そんなの、ひどすぎるよ」

その言葉に、彼の肩がビクリと震えた。「や、やめとけって……俺、そういうの、慣れてへんし……」

「“ひどい”って言ってもらったの、初めてかもしれん……だって、みんな当たり前みたいな顔してたから……親に怒鳴られてても、周りは見て見ぬふりで……」

僕は黙って、ぎゅっと彼の手を握りしめる。彼は目を見開き、その手を見つめた。

そして――

「……なんで、そんなことすんの……?」

「俺……誰かにこんなふうに、あたたかくされたの……生まれて初めてかもしれへん……」

その言葉と共に、堰を切ったように涙が溢れ出した。顔を手で覆い、しゃくりあげながら、声にならない嗚咽が漏れる。

「……わからん、わからんよ……俺、どうしたらええん……?嬉しいのか、怖いのか、苦しいのか、もうぐちゃぐちゃで……でも、離れたない……」

その涙は、たぶん、彼のすべてだった。

今までの孤独も、痛みも、悔しさも、そして今、僕に触れたことで生まれた「希望」も――その一滴一滴に、彼の魂が宿っていた。


「なあ、ちょっと話あんねん」

放課後の廊下、誰もいない空間で、彼の声がぽつりと落ちた。

その声は、微かに震え、いつもの軽やかさは影を潜めていた。

「……最近、お前にも変なヤツら絡んできとるやろ?俺と一緒にいたせいやな。……ごめんな」

僕が何かを言おうとするのを遮るように、彼は言葉を続けた。

「お前、優しすぎるんやって……俺みたいなのに構うから……巻き込まれてまう……。

お前にまで、痛い思いさせたくない。だから……もう、俺に構わんでええから」

そう言って、彼は笑った。

だが、その瞳は真っ赤に腫れていた。

「俺な、はじめてやったんよ。

“いてもいい”って思わせてくれたの、お前が初めてで……ほんまに、救われとった。けど……お前まで壊れたら、俺ほんま、二度と立ち直れん」

足元に、ぽたりと涙が落ちた。

「せやから……ありがとうな。ほんまは、もっと一緒におりたかった。

もっと甘えたかった。でもそれって、俺のエゴやろ?」

僕が手を伸ばすより早く、彼は一歩、後ろに下がった。

「忘れてええよ。俺みたいなん。……全部夢やったって思ってくれてええ」

そして、彼は背を向けた。

「でもな……最後に一個だけ言わせて」

振り返ることなく、その声は微かに震えた。

「……俺な、ほんまは、…お前のこと、めっちゃ好きやったんやで」

そのまま、彼は静かに、その場を立ち去った。


――数週間後。

夕暮れに染まる街。

人気のない裏路地。その知らせは、突然だった。

『お前の知り合い、ちょっと痛い目に遭ってもらったわ』

電話越しのざらついた声が、彼の背筋に氷水を浴びせたような悪寒を走らせた。

走った。息もできないほどの速さで。

何度も

「嘘やろ」

「なんで」

と口にしながら。そして、そこに――血に染まった服で、痛みに顔を歪めながらも、君は立っていた。

「……なんでやねん……俺、離れたやんか……お前を巻き込まんために、全部切り離したはずやのに……」

震える指先が、君の傷に触れかけ――

そして止まった。

「うわ……俺、ほんま、なにやってんやろ……」

君が声をかけようとしても、彼はただ俯き、震えていた。

「俺のせいや……俺が、全部……お前に優しくされて、調子乗って……幸せになれるかもなんて、思って……っそれが……間違いやったんや……」

涙は枯れ果てた。

流す余裕すら、そこにはなかった。心が、「音もなく崩れ去る」

とは、こういうことかと、初めて知った。

「……守られたかったわけやないねん。俺が……守りたかってん、唯一、優しくしてくれた、お前だけは……それすらも……俺には無理なんやな……」

最後に、ぽつりと、小さく。

「やっぱ、俺って……ほんまもんのクズやな……」


数年後――。

バイト終わりの夕暮れ時。コンビニの前に腰かけ、コーヒーを片手に休む彼の耳に、ふと、笑い声が届いた。

その声に、懐かしさが胸を締めつけ、彼は無意識に顔を上げた。

「……え?」

立ち上がる体。視線の先に、自転車にもたれて話す見知らぬ青年。

だが――その仕草。

肩の震え方。笑い声。言葉を紡ぐテンポ。

「……なんで……そんな、似てんの……」

胸の奥が、泡立つようにざわめき始める。

「やめろって……こんなん、反則やろ……」

近づくこともできず、ただ立ち尽くして見つめる。

あの頃の君が、そこにいるかのように。

しかし、違う。もういない人。会えない人。だが目の前には、声も、手の動きも、名前を呼ばれた時の振り返り方まで

―― すべてが、瓜二つだった。

「嘘やろ……なんで、今になって……忘れたはずやのに……忘れたくて、全部埋めたのに……」

込み上げてくる涙を、彼は止められなかった。それを見られないように背を向け、静かにその場を去る。

「もう一回、壊れてまうやんか……」

誰に届くでもなく、彼の口から零れた言葉。再生しかけていた心が、再び軋む音を立て、ひび割れていく。


日々は、痛みばかりだった。バイト先では怒鳴られ、電車では肩をぶつけられ、家に帰れば一人。

朝が来ても、食事をしても、眠りについても、何も変わらない。君が消えてから、世界は音も色も失っていた。

「生きてるって、これのことなんか……?」

そんな思いを抱えながら、彼は今日もただ歩いていた。そして、ふと

――横断歩道の向こうに立つ、その人を目にした。

笑っていた。

誰かと話していた。風に髪がなびき、光に照らされた横顔は、まるで……君のようだった。

息が止まった。一歩も動けない。脳が拒絶しても、心は強く惹きつけられた。

「……うそやろ……」

じっと見つめる。目を擦っても、その姿は消えなかった。声をかけることさえできない。ただ――胸が、強烈な熱を帯びていく。

「……あかん……こんなん……」

今まで、痛みしか感じていなかった胸の奥に、かつてないほどの光が差し込んだ。あたたかくて、怖くて、懐かしくて、そして優しくて――

「……光、や……」

誰にも聞こえないほどの声で、彼はつぶやいた。

「俺、まだ……こんな風に、感じられるんや……?」

それが希望と呼べるものなのか、彼にはわからなかった。しかし、久しぶりに「生きたい」と、ほんの少しだけ、そう思った。

痛みと依存の螺旋

「なあ、今日もコンビニ寄ってこうぜ」

いつの間にか、そう声をかけてくれるようになっていた“その子”。明るく、少し不器用で、優しい。そして、どこか――君に似ていた。

彼は知らんふりをして、笑い返す。

「ええよ。どーせ暇やしな」

会話は弾み、共に過ごす時間は心地よい。ふいに肩が触れても、笑っていられるようになった。

しかし――缶コーヒーの選び方が違った。

「これうまいよな、あったかいのが好きでさ」

そう言うその子を見て、彼はふと思い出す。(あの人は……冷たい缶コーヒーしか飲まなかったな)

ふとした瞬間の手の置き方。笑い方のタイミング。人を見つめる瞳の奥。

すべてが「少し違う」。そしてその「少し」が、彼の胸にじわりと刺さってくる。

ある夜、別れ際に手を振られ、「また明日な!」と笑いかけられた時――彼の胸はきゅっと締めつけられた。

「……違うんだ……やっぱり……君じゃないんだな」

呟いた声は、風に流され、誰にも届かない。だが、それでも。違うと分かっていても、違っていても、「それでも今、ほんの少しだけ心があたたまるのは事実」で――だから、彼はまたその子に会いに行く。

あの人ではない。けれど、今ここにいてくれる“光”を、手放したくないと、そう思ってしまったのだ。


「クズ、今日も一緒に帰ろ」

その子が何気なく笑いかけてきた瞬間、彼の胸に、チクリと痛みが走った。

(まただ……その笑い方……)

毎日顔を合わせるたびに、彼は少しずつ壊れていった。最初は、救いだった。“あの人”に似ていたから。

優しくて、あたたかくて、「また優しさを知ってもいいのかもしれない」と、そう思えたから。

だが今は――違いばかりが目に付き、似ていると感じるたびに、

「でも違う」

という現実が押し寄せてくる。

「……もういいだろ、それ俺に似合わないって。そんなこと、あの人は言わなかった」

ぽろりと口からこぼれた「“あの人”」という言葉に、彼はハッとして、口を閉ざした。

(……またやってしまった……)

「え、あの人って……誰?」

問われても、彼は笑って誤魔化すしかなかった。だが、そのたびに、心が軋んだ。

『君に似ているだけで、俺は勝手に傷ついている』

『でも、それでも君に会いたくなる』

そんな矛盾が胸に渦巻き、どこにも逃げ場がなかった。ある夜、帰り道でぽつりと呟く。

「なあ……お前のこと、嫌いじゃないんだ……だけど、お前といると、俺……どんどん壊れていくんだ……」

「笑ってくれるたびに、“あの人”が重なって、でも違うことにまた気づいて……それが、痛いんだ……本当に……お前のこと、嫌いじゃないのに……なんで俺、こんな傷ついてるんだろうな……」

そしてまた、涙が滲む。

「会わない方がいいのかなって、思っても……やっぱり会いたくなるんだ……俺、どうしたらいいんだろう……?」


夜の公園。

ベンチに一人座っていた彼は、空を見上げてため息をついた。誰もいない、静かな風の音だけが流れる。

「……あーあ。1回でええから、会われへんかな……」

ぽつりと呟いた、その時だった。

「よ、会いにきたで」

その声に、彼は目を見開いた。横を見れば――そこに、あの人がいた。

君が。数年前、姿を消した、ずっと探し続けていた“あの人”が。

「……え……なんで……?」

「あかん、泣くなよ。来て早々に見られたくなかったんやけどな」

いつものように笑っていた。だが、風が吹いても、君の服は揺れない。

葉の影が落ちても、そこに影はなかった。彼は、すぐに悟った。

「……お前……もう、生きてへんのやな」

静かに告げられた声に、君は少しだけ、悲しそうに笑った。

「うん。ごめんな。ほんまはもう、お前に会ったらあかんのやろけど……でも、ずっと見てたで。お前がボロボロになっていくの、全部」

彼は目を伏せ、肩を震わせる。

「なんで……なんで、今さら出てくんねん……っ会いたかった……ずっと会いたかったのに……っでも、もう触られへんのやろ……?」

君は何も言わず、ただそっと彼の隣に座った。他の誰の目にも、そこには誰もいない。

「ずっと言いたかったんや」

「ごめんな。俺、お前のこと置いていってしもたな。ほんまは、最後まで守りたかったのに」

彼は、拳を握りしめたまま、震える声で応えた。

「……それでもええわ……たとえ幻でも、幽霊でも……今、お前が隣にいてくれるだけで……俺、救われたわ……」

その言葉に、君はかすかに微笑み、目を閉じた。

「それ聞けたら、もう未練ないかもなぁ……またどこかでな」

君の姿は、ゆっくりと、風に溶けるように消えていった。だが――彼の横には、ほんのりとしたぬくもりだけが、確かに残っていた。


目を閉じれば、そこは、あの日と寸分違わぬ夕暮れだった。

静寂の中、遠くで蝉の声が響き渡り、風が、彼のシャツをふわりと揺らす。

「あ、クズやん」

振り返った彼が、笑って手を振ってくれる。まるで何も変わらず、まるでまだ、そこに存在しているかのように。

彼は、言葉も出せないまま駆け寄ると、何も告げずに、そのまま抱きしめた。

「会いたかった……」

呟いた声に、

「また泣いてんのか、お前は」

と、優しく背中を撫でてくれる。それだけで、涙は止まらなかった。

「もうずっと見てへんのに……なんで、今日は出てきてくれたん……?」

「夢だからだろうな。お前が呼んだからだ。俺のことを、まだ忘れてないからだ」

彼は、俯いたまま、ぽつりとこぼす。

「……もう、忘れた方がいいのかなって思うこともある。現実で、あんたの声、聞けないし。誰に話しても、“過去に縛られるな”とか言われるし……けど……夢に出てきたら、もう全部ダメになる……」

君は、それを聞いて――何も言わずに、ただ一言だけ。

「それでもいいんだよ。お前は、お前のままでいいんだ」

その言葉に、彼はまた泣いた。

そして、目を覚ます。枕はわずかに湿り、喉は渇いている。部屋は薄暗く、時計は午前4時を示している。誰もいない。声も聞こえない。

「……また、夢か……」

呟き、ぎゅっと胸を押さえる。

「夢でいいんだ。……君に会えるなら、それで、いいんだ……」

そしてまた、朝が来る。彼は目の下にわずかなクマを作りながらも、きちんと服を着替え、外へと歩き出す。


―傷は消えない。だが、夢の中だけで、確かにあの人がそばにいてくれる。

END

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