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まなーもーど
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それは、本当に、ほんの出来心だった。
ゾムの部屋に置かれた、緑の顔がプリントされてる可愛らしいパーカー。
いつも彼が着ているものだ。袖口には少し毛玉ができているものの、洗濯されたそれからは、ほのかに柔軟剤の匂いがする。
エーミールは、ソファの端にちょこんと座り、それをじっと見つめていた。
「…………」
手を伸ばす。
引っ込める。
もう一度、伸ばす。
そして、誰も見ていないことを確認してから、そっと手に取った。
「……少しくらいなら、いいですよね」
誰に向けた言い訳なのか、自分でもよくわからない。
ゾムは先ほど、トントンから呼び出されて部屋を出ていった。
戻るまで、まだ時間はあるらしい。
つまり。
今なら。
「…………着てみるだけ、ですから」
エーミールは自分に言い聞かせ、パーカーに袖を通した。
そして。
「……わ」
思わず、声が漏れた。
大きい。
とにかく、大きい。
肩の位置はずいぶん下がっているし、袖は手の先まですっぽり隠れてしまう。裾も太もものあたりまであり、普段着ている自分の服とは、まるで違った。
袖口から、指先だけをちょこんと出してみる。
引っ込める。
もう一度、出してみる。
「……ふふ」
思わず笑ってしまった。
なんだか、自分が小さくなってしまったみたいだ。
いや、実際に小さくなったわけではないのだけれど。
「ゾムさん、これで普通に動けるんですね……」
感心したようにつぶやき、袖をぱたぱたと振る。
布が揺れる。
もう一度、ぱたぱた。
「…………」
楽しい。
いや、何が楽しいのかと聞かれると困るのだけれど。
普段は少しばかり近寄りがたい雰囲気を持つゾムの服を着ているというのに、妙に落ち着くのだ。
大きなパーカーに包まれていると、彼のそばにいるような気持ちになる。
エーミールは、裾をそっと握った。
「……ゾムさんの匂いがします」
言ってから、はっとする。
「……っ、い、いえ! 別に、変な意味では……!」
誰もいない部屋で、慌てて弁解した。
もちろん、誰も聞いていない。
それでも、顔が熱くなった。
自分はいったい何をしているのだろう。
恋人の服を勝手に着て、ひとりで嬉しくなって。
まるで、子どもみたいではないか。
「……でも、もう少しだけ」
エーミールはソファに座り直した。
袖に隠れた手を膝の上に置く。
それから、パーカーの襟元を少しだけ引き寄せた。
「……あったかいですね」
小さく笑う。
その笑顔を見ている人は、誰もいなかった。
――少なくとも、本人はそう思っていた。
*
ガチャリ。
玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー。……って、エーミール?」
「…………え?」
聞き慣れた声。
聞き慣れた足音。
そして、最も聞かれたくないタイミングで帰ってきた恋人。
エーミールの動きが、ぴたりと止まった。
ゾムは部屋に入ってくるなり、ソファに座るエーミールを見つけた。
それから。
視線を、ゆっくりと下へ落とした。
緑のパーカー。
見慣れた袖口。
袖から、ほんの少しだけ顔を出した指先。
「…………」
「…………」
沈黙。
エーミールは、みるみるうちに顔を赤くした。
「ち、違うんです!」
「おん?」
「これは、その……!」
「うん」
「……あの」
「うんうん」
ゾムは扉を閉めた。
荷物を置いた。
手を洗いに行った。
戻ってきた。
その間、エーミールは一歩も動けなかった。
「ゾ、ゾムさん……?」
「ん?」
「……何か、言わないんですか」
「何を?」
「な、何をって……!」
ゾムは首をかしげた。
それから、ゆっくりとエーミールの隣に腰を下ろす。
「いやぁ?」
口元が、にやりと緩んだ。
「めっちゃ似合っとるなぁ、思って」
「~~~~っ!」
エーミールは顔を覆った。
袖が長すぎて、手がうまく顔まで届かない。
その様子を見て、ゾムの口元がさらに緩む。
「なんやそれ。手ぇ隠れてもうとるやん」
「見ないでください……!」
「なんで?」
「恥ずかしいからです……!」
「なんで恥ずかしいん?」
「そ、それは……!」
言えるわけがない。
ゾムの服を着てみたかったことも。
思った以上に大きくて、少し嬉しくなってしまったことも。
その匂いに安心してしまったことも。
全部、知られてしまった。
エーミールがうつむくと、長い袖が膝の上でくしゃりと丸まった。
ゾムは、しばらくその姿を見つめていた。
からかう言葉なら、いくらでも思いつく。
「俺のこと好きすぎやろ」とか。
「そんなに俺の服がええん?」とか。
いつもの自分なら、きっと言っていた。
けれど。
「……エーミール」
「……はい」
「こっち向いて?」
「……嫌です」
「なんでやねん」
「……顔が、熱いので」
その答えに、ゾムは一瞬だけ目を丸くした。
それから。
ふっと。
目を細めた。
いつもの、何かを企んでいるような笑みではない。
もっと静かで、柔らかい。
目の前にいるものが、あまりにも愛おしくて仕方がないときの顔だった。
「……そっか」
ゾムは、エーミールの頭にそっと手を置いた。
「ほな、今は見んといたるわ」
「……え?」
「恥ずかしいんやろ?」
「……はい」
「じゃあ、落ち着くまで待っといたる」
あまりにもあっさりとした言葉だった。
いつもなら、もっとからかわれると思っていた。
顔を覗き込まれて、笑われて、きっとしばらくは恥ずかしい思いをするのだろうと。
それなのに。
ゾムは、見ないでいてくれる。
頭に置かれた手だけは、優しいまま。
「…………」
エーミールは、袖の中で指をぎゅっと握った。
「……ゾムさん」
「ん?」
「……笑わないんですか」
「笑ってほしいん?」
「ち、違います!」
「ほな、笑わん」
即答だった。
エーミールは、そっと顔を上げた。
ゾムは、本当に笑っていなかった。
ただ、いつものように隣に座って、こちらを待っていてくれる。
「……怒らないんですか?」
「何に?」
「勝手に、服を……」
「あー」
ゾムは自分のパーカーをつまみ、少し考えるような顔をした。
「別にええよ。着たかったんやろ?」
「…………」
「言うてくれたら、貸したったのに」
「……言えませんよ、そんなの」
「なんで?」
「……恥ずかしいからです」
「ふーん」
ゾムは、わざとらしく頷いた。
「ほな、次からは黙って着てもええで」
「そ、それはそれで問題では……!?」
「なんでやねん。俺の恋人が俺の服着とるだけやろ?」
「そ、そういう問題ではなくて……!」
「そういう問題やと思うけどなぁ」
ゾムは、ようやく小さく笑った。
けれど、その笑い方は、エーミールを馬鹿にするものではなかった。
むしろ。
エーミールが自分の服を着ていることが、どうしようもなく嬉しい。
そんな気持ちが、声の端に滲んでいた。
*
しばらくして。
エーミールは、ようやく落ち着きを取り戻した。
もっとも、ゾムのパーカーを着たままだったので、完全に平常心に戻れたわけではない。
「……あの、ゾムさん」
「んー?」
「これ、返したほうがいいですよね」
裾をつまみながら尋ねる。
ゾムは、エーミールを見た。
大きなパーカーに包まれた姿。
袖から少しだけ覗く指先。
こちらの様子を窺うように揺れる瞳。
そして、まだ少し赤い頬。
「…………」
「……ゾムさん?」
「いや」
ゾムは片手で口元を覆った。
「……あかんわ」
「えっ?」
「可愛すぎる」
「~~~~っ!?!?」
エーミールは、今度こそソファの背もたれに顔を埋めた。
「ゾムさん!!」
「はいはい」
「そういうことを、急に言わないでください……!」
「急に思ったんやからしゃあないやろ」
「思わないでください……!」
「それは無理やなぁ」
ゾムは笑いながら、エーミールの背中をぽんぽんと撫でた。
「なぁ、エーミール」
「……なんですか」
「それ、今日着とき」
「……え?」
「返さんでええよ」
「で、でも……」
「俺、ほかにも服あるし」
「そういう問題では……」
「それに」
ゾムは、エーミールの耳元に少しだけ顔を寄せた。
「俺の服着て、そんな嬉しそうにしとるお前、もっと見たいし」
「…………っ!」
エーミールの肩が跳ねた。
ゾムは満足そうに笑って、今度はちゃんと距離を戻した。
「ま、無理にとは言わんけどな」
からかうような声。
けれど、最後には必ず逃げ道を用意してくれる。
恥ずかしいなら、やめてもいい。
嫌なら、断ってもいい。
それをわかっているから、エーミールは少しずつ、彼の前で素直になれるのだ。
「…………」
エーミールは、袖に隠れた手を見つめた。
それから、小さく。
本当に、小さく頷いた。
「……では」
「ん?」
「……今日は、お借りしてもいいですか」
ゾムは一瞬、黙った。
そして。
「……っ、はは!」
「えっ、な、なんですか!?」
「いや、あかん。ほんま、あかんわ」
ゾムは顔を背けた。
笑っている。
けれど、耳が少し赤い。
「ゾムさん……?」
「……いや、なんでもない」
「絶対に何かありますよね!?」
「ないない」
「あります!」
「ないって。……ただ」
ゾムは、もう一度エーミールを見た。
今度は、目を細めて。
誰よりも大切なものを見るように。
「……帰ってきてよかったなぁ、思って」
エーミールは、言葉を失った。
何を言えばいいのかわからなくて。
でも、胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「…………私も」
「ん?」
「……ゾムさんが帰ってきて、よかったです」
言ってから、また恥ずかしくなったのだろう。
エーミールは、長い袖で口元を隠した。
ゾムは、そんな彼を見て。
もう一度、目を細めた。
――ああ。
やっぱり。
この人のことが、どうしようもなく好きだ。
自分の服を着て、照れて、困って。
それでも最後には、こちらを見て笑ってくれる。
その笑顔を、これから先もずっと見ていたい。
「……エーミール」
「……はい?」
「今度、俺のパーカー買うとき、お前の分も買ったろか?」
「……え?」
「お揃い」
「…………」
エーミールは、ぱちぱちと瞬きをした。
それから、ゆっくりと頬を染める。
「……お揃い、ですか?」
「おん」
「……私も、着ていいんですか?」
「当たり前やろ」
ゾムは笑った。
「お前が着るんやから、ええんやん」
その言葉に。
エーミールは、困ったように笑って。
けれど、今度は隠さなかった。
「……楽しみです」
ふわりと緩んだ、その笑顔。
ゾムは一瞬、何も言えなくなった。
それから、そっとエーミールの頭を撫でる。
「……ほんま、好きやわ」
「……っ、ゾムさん!」
「はいはい」
「だから、急に言わないでください……!」
「無理やって」
ゾムは笑う。
エーミールも、つられて笑う。
窓の外では、基地の訓練終了を告げる放送が流れていた。
今日もきっと、報告書だの訓練だの、忙しい一日が続くのだろう。
けれど今だけは。
大きなパーカーに包まれたエーミールと、その隣で幸せそうに笑うゾム。
二人のいる部屋だけ、少しばかり時間がゆっくり流れているようだった。
そして翌朝。
ゾムのパーカーを着たまま朝食に現れたエーミールを見て、同僚たちが一斉に固まることになるのだが――。
それは、また別のお話。
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読み終わったあと、無意識に頬が緩んでたわ……。エーミールがこっそりパーカー着てるところ、袖から指先だけ出したり引っ込めたりする仕草がめちゃくちゃ可愛くて、完全に“愛でる側”の目線になってた。ゾムが帰ってきたときの「めっちゃ似合っとるなぁ」からの一連のやり取りも、からかいながら最後には「見んといたる」って優しさを見せるギャップがずるい。お揃いのパーカー買おうか、の提案で終わるところも含めて、この二人の空気感がすごく心地よかった。もふもふねこさん、ほっこりした気持ちをありがとう🫶