過去を思い出す時、頭に浮かぶのは夏のことばかりだ。
六歳の夏。
「どんくさいなぁ、瑚都《こと》ちゃん。かけっこもできひんのやったら邪魔しなよ」
京都に住む従兄の京之介くんは、運動のできない私をいじめて楽しんだ。彼には弟や妹がいなかった。突然現れた庇護の対象に戸惑い、どう振る舞っていいか分からないという小さな困惑が嫌がらせに繋がったのだろう。加えて、急に来た小さな存在が周りの愛情を欲しいがままにするのも、私を気に入らない理由だっただろう。
十歳の夏。
「大丈夫や、二人だけの秘密やから。俺もお前も言えへんかったら、だぁれも分からん」
震える私の濡れた冷たい身体を抱き締めて、京之介くんがいつもとは違う優しい口調で私を慰めた。かちかちと歯を鳴らす私が落ち着くまで、彼はそうして私を温めていた。
彼が私をいじめなくなったのは、あの時だったように思う。
十八の夏。お姉ちゃんが死んだ。
「あんた!起きて!凪津《なつ》が溺れとるって……!」
そんな「溺れているらしい」というぼんやりとした報告を聞いた後で、京之介くんのお父さんの車に乗って現場に移動したのは、私を除く家族と、京之介くんだった。受験勉強していた私を気遣って、みんなは私を置いていった。その時点では既に救出活動が行われていたこともあり、姉が本当に死ぬなどと誰も思っていなかった。
その日の夜遅くに帰ってきたのは、京之介くん一人だった。
みんなはどこにいるのかと聞くと、京之介くんは小さく低い声で「まだ病院におる」と呟いた。京之介くんは私と目を合わせなかった。
あの時の京之介くんの表情だけは、拭い去れない記憶として脳裏にこびりついている。
その時、京之介くんが何も言わずとも、察してしまったのだ。――姉が死んだのだと。
バスが停車し、人が多く出てゆき始めたところで、ハッと我に返った。目的地に到着している。慌てて立ち上がり、バスを降りた。
三月の京都は少し寒かった。
風が吹き、この日のために用意した花柄のスカートが揺れる。駅からしばらく歩くと、三門北側に紅梅、南側に白梅のある興正寺に辿り着いた。見頃は過ぎているようで、花は部分的にしか残っていない。写真で見た鮮やかな色のコントラストを実際に見たかったのだが、また来年来るしかないようだ。
待ち合わせ時刻まで余裕があるため、【もう着いた。お寺見て待ってる】と京之介くんにメッセージを送り、少しの間その木々を眺めていた。
空気が澄んでいる。風で飛ばされる花を眺めながら写真を撮った。
ここへ来ると、時間の流れが遅い。
そして、待ち合わせ時刻に近付き、すぅと息を吸い込んで踵を返して帰ろうとした、その時だった。
「動くな言うたやろ」
背後から聞こえてきた、落ち着きのある低い声に少しだけどきりとした。
ゆっくり振り返ると、自分と目元のよく似た、けれど背丈も骨格も雰囲気も違う従兄が春に似合うラフな格好で立っている。
『……瑚都、』
『綺麗やな』
一瞬――ほんの一瞬だけ朧気な記憶の断片が蘇るのを、自分の中で殺す。
ざぁ、と木々が揺れ、紅と白の花びらが舞った。
「ほっといたらふらふらしはるんは昔っから変わらへんのやなぁ。瑚都ちゃん」
京之介くんは嫌味ったらしく片側の口角を上げた。
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