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家で大根の刺身をつまんでいる時、ふと死にたくなった。
このまま『恥の多い生涯でした』などと紙にしたため、誰も聞いちゃいない私の罪の数々を滔々と告白し、飽きた頃合いに首を括って死んでしまいたくなった。
ため息を吐きながら大根を摘む。皿には薄切りの大根が山盛りになっていて、小皿には醤油と山葵と和芥子。
今日は大根の刺身以外を食ってはいないが、腹はすでに膨れている。どうやら、不安とか焦りとか人生への気だるさとかが腹の中に詰まっているらしい。
胃のあたりがモヤモヤとして気持ちが悪い。そう思いながら、大根を摘む。出来心でまわしかけたオリーブ油が余計だった。
つけ過ぎてしまった和芥子が鼻の奥をツンと刺激した時、本当に死んでしまおうと思った。
受け入れを拒否する胃袋をそっちのけで、腕は口に大根を運び、口は咀嚼を続ける。大根は、一枚、また一枚と数を減らしていく。シャキシャキと大根の細胞壁を噛み砕く音が鳴り続ける。
皿の大根が半分程度になった時、この大根の残りの数が、私に残された寿命だったら。と考えた。
一瞬迷って、大根を口に運んだ。シャキシャキと音がする。
オリーブ油がかかっていないところを選んでもう一枚大根を食べる。胃の不快感が大きくなった。心臓の鼓動を感じる。
強い不安と内臓の居心地の悪さを感じながら、私は大根を食べ続けている。ペットのカメは発情期で、伴侶を探してケージのガラスに突進を続ける。外から子供達の声がする。死ぬのに必要な縄はすでに用意がある。目の奥の鈍痛に気がつく。もうずっと尿を我慢している。
皿の大根が残り8枚になったころ、さっきの寿命の話は冗談にした。あたかも最初からそうであったかのように冗談にして、私は何の逡巡もなくもう一枚大根を口に運ぶ。
私は視界の端に居る小さな丸い虫を殺すことにした。茶色で、小豆より小さい。ツヤツヤとして、飛ぶことが出来ない虫なのだろうか。ゆっくりと机を歩行している。私は人差し指の腹で虫を押さえつけた。
小豆よりも小さいその虫は、想像以上に硬く、指の腹にかかる反発力に強い嫌悪感を抱く。私は反射的に指を離し、虫を凝視した。
虫はわずかに踠いている。致死には至らなかったようだが、もうすぐ死ぬだろう。
指には虫の感触が残っていて気持ち悪く、ズボンで指を拭ってもしばらく不快感は消えなかった。内臓の不快感と併せて、もう大根を食べる気にならなかった。
皿には3枚大根が残っている。私はもうしばらく大根は食べたくなかった。大根を流しに捨てて、また一つ罪が増える。私は死にたくなる時はいつも自分の罪を思い出す。罪に殺してくれと懇願する。だけど、罪は死体だ、口もなければ腕もない。
私は我慢が出来なくなって尿をしに立つ。
トイレから戻った私は、さっき潰した虫を探して机の上を隈なく見る。しかし、殺した筈の虫は何処にも見当たらなかった。
あの虫は死ななかった。私は怖くなった。