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【肆と診療所】
十ノ巻〚血流し〛
*
なぜ、あの男客は管太郎に短刀をくれたのか。
なぜ、伊崎はいなくなったのか。
考えた末に辿り着いたのは、汐見家の門の前だった。
管太郎は左手に短刀を握っている。
知らなかった、短刀をプレゼントする意味。
それを知ったのは刀鍛冶に聞いてからだった。
この門の前に来るまでに色々あった。
*
唯、葉色、霜月の三人は食事改善の準備をしてもらい、管太郎は伊崎を探しに来ていた。
最初は伊崎の荷物を漁っていた。
何か書き残しや言伝でもあるかと思ったが、荷物の中には何もなかった。
流石に衣服が入っている風呂敷の中は見れなかったが、その上に乗せられた赤い櫛が管太郎の心をざわつかせる。
(……弓削千六良とか言ったっけ……)
もしかしたら、弓削家の人間に攫われたのかもしれないと思った。
彼女は何か隠し事をしていたから、もしその隠し事とやらが弓削家にとっていいものであれば、彼女をどうしても嫁入りさせたいはず。
それならば攫ってでも嫁入りさせるだろうと思ったのだ。
だが、その隠し事というのは伊崎は姫だということだ。
確かに嫁入りすればお家の立場が良くなることで、弓削家にとってはいいものだが、管太郎の予測は外れたと言えた。
しかしそれでも伊崎が心配なために、彼は赤い櫛を掴んで遊郭をあとにした。
もしかしたら取っ組み合いになるかもしれないと思い、護身用に、賈乃亮からもらった短刀を腰に差した。
*
「伊崎?ああ、若様の意中の」
弓削家の門番はそういった。
「だが、どこにいるかは知らねぇなぁ。若様もそろそろお返事を頂きたいとか言ってたもんなあ」
「じゃあ、その若様っていう、千六良さんに会わせてもらえませんか」
「ん?いいが。ちょっと待ってろ」
門番は門をがっしり閉め、その場を離れた。
少しすると戻ってきて、頷いた。
「若様の許可がでた。入りな」
広い部屋に座らされた。
眼の前にいる若い男。
「君が、睦月菅太郎さん」
「はい。早速質問なのですが、伊崎の行方を知りませんか」
千六良は眉を寄せた。
「いなくなったのか……?」
「はい。今朝起きたらいませんでした」
「持ち物は」
「あります。中を調べましたが、何も怪しいものは見つかりませんでした」
その言葉にピクリと反応する千六良。
「……中身を見たのか」
「?はい」
「……まぁいい。ところで、伊崎さんの行方探し、私も手伝わせてくれないか」
「えっ、……えっと……」
お願いします、と言ったほうが効率がよい。
人手も多くなるし、何よりお家の権力で見つけることができる。
しかし男のプライドとしてそれはあまり容易にできない応えだ。
自分の力で見つけ出したいのだ。
(……そういえば、ここにいる確率は下がったかな)
攫われたというふうではないし、本気で心配しているようにも見える。
「……君は」
千六良は低い声でつぶやいた。
だが、すぐに口を噤んで首を振った。
「それより、お願いだ。手伝わせてくれ」
「……じゃあ、手伝い頼みます」
あくまで「手伝い」である。
そういうことで、二人は手を組んだ。
しかしそれでも、管太郎は彼を快く思えない。
伊崎を攫ったかもしれないし、何より彼は伊崎に求婚したのだ。
言うに、恋愛のライバルとでも言おうか。
(正直嫌だ)
と思ったが、彼女第一だ。
「何か変わった様子ではなかったか」
「いえ」
千六良は自分で聞いておきながら、ん?と顔をしかめた。
そういえば、昨日重要すぎる秘密を暴いてしまったではないか。
もしかしたらそれを気に病んでこの世からおさらばしようとでも考えたのだろうか。
そうでなくとも、秘密を暴いたことが全く関係ないとも言えない。
とはいえ、それを管太郎に言うわけにもいかない。
(そうだったら、私のせいではないか……)
「あっ」
管太郎がよいタイミングで声を上げた。
「昨日の夕餉時、いつもと比べて元気がなかったように思います」
「……そうか」
それも、自分が秘密を暴いたせいかと思ってしまう。
「もしかしたら、体調が優れなかったのかもしれません」
「あ」
それから、二人は行き着いた。
“倒れて誰かに拾われた”という結果に。
「伊崎のことだから早めに起きて外へ出ていたのでしょう」というさすがは管太郎な的確な予想をし、そういう事になった。
しかしそうなると、やはり面倒な捜索になる。
町人全員に「こういう人を見ませんでしたか」と聞いて回るしかない。
だが、人手のための千六良である。
「私が部下を手配します」
気の利く人だが、部下からしたら迷惑でしかないだろう。
若様の愛人(それも片思い)を探せとのこと。
(伊崎が無事なら何でもいい)
管太郎はすでに覚悟が決まっていた。
*
それから、町へ出た。
一刻(二時間)ほどした頃、千六良の部下が報告に来た。
「清潔感のない酒臭い男が早朝、伊崎さんのような見た目の方を抱えていたそうです」
管太郎と千六良は嫌な顔をした。
千六良は、おっさんが伊崎を抱えていることが気に食わないらしい。
しかし管太郎はそれよりも、その清潔感のない酒臭い男という人に見覚えがあった。
(昨日来た男客かな……?)
遊郭によく通うふうな口ぶりであった。
だからもしかしたら、今朝も来ていたのかもしれない。
そこで倒れた伊崎を拾って帰ったのかもしれない。
可能性はある。
管太郎は左手に持つ短刀を握りしめて走り出した。
その先は汐見家。
行き交う町人の間をすり抜け、走っていく。
後ろからついてきているらしい千六良がなにか声を上げて質問しているが、それもきこえない。
汐見家。
刀を重宝する家。
三男坊が管太郎へ短刀をあげた家。
嫌な予感がする。
こんな偶然があるのか?
偶然来た客が、偶然翌日仲間を助けた。
そんな偶然、ないことはないが。
(ざわつく)
走っていると、ふと目に入った『時津刀鍛冶』の文字。
ハッと足を止めた。
と、後ろから全速力で走ってきていた千六良が管太郎にぶつかる。
「急に止まるな、って、刀鍛冶……?」
管太郎は鍛冶屋へ入った。
眼の前に座っていたのは、大分年を取った爺さんだった。
彼こそが時津伊右衛門である。
「なんじゃい。用かの?」
「お爺さん、短刀を他者へ渡すことにはどのような意味があるんですかっ?!」
「んお?短刀かい。誰かからもらったのか」
「はい、ぜひ教えてください!」
「意味としては、お守りじゃな。これから迫る危機を暗示して、それを乗り越えられるようにあげるんじゃよ」
サッと血の気が引くのがわかった。
だが、機器暗示としても、初対面で短刀を渡された。
どういう意味なのだろう。
「誰からもらったんじゃ」
「汐見賈乃亮さんです」
「ああ、三男坊のカンちゃんかい」
「はい。初対面だったのですが、どういうことでしょう」
「カンちゃんは汐見家でも浮いていると聞いたのぅ。あ、それよりお主」
爺さんは管太郎を指さした。
「もしかして、睦月菅太郎じゃねぇかい」
目を丸くしている。
管太郎が頷くと、爺さんは眉を下げた。
「お主、儂は噂話などには耳をかさん質なのじゃが、この間汐見家で聞いた噂があっての。その中に当り所の四天王の噂があったのじゃよ」
「……いいことじゃ、ないですよね?」
「ああ。財政的に診療所が邪魔らしい。四天王を潰す、などと言っておったよ。カンちゃわは、それを知ってお主に短刀をやったんじゃねぇかい?」
危機暗示の短刀をくれた男客。
男客は倒れた仲間を連れ帰った。
男客の家は仲間と自分を潰そうとしていた。
男客の立場は三男坊。
管太郎は眼の前が真っ暗になった。
礼も言わずにバッと走り出し、顔をしかめる。
後ろからついてくる千六良。
「待て!四天王が狙われているんなら、君も危ないんじゃないか!!」
(そうだ。そうだよ。俺も危ない)
管太郎は季節外れの汗を袖で拭った。
「でもっ、伊崎はもっと危ないんです!!」
その目は真剣だった。
千六良はその目に魅せられた。
胸に何かが突き刺さり、うっと顔をしかめる。
が、足を止めるわけにもいかない。
風を振り切って走り出した。
*
三男坊。
なんて嫌な立場なのだろう。
上には逆らえない立場だ。
例えば、上が四天王を潰そうとしたなら、自分もそれに頷かなければならない。
もし首を横に振ったのならば、そのまま首は飛ばされるだろう。
だから、影から四天王を支えるしかなかった。
短刀を渡して危機暗示。
できるのはそれくらいだった。
だが、通い詰めた遊郭の花がらに朝行くと、その四天王の一人が倒れていた。
駆け寄ると、どうやら高熱で倒れたようだった。
このままここに置いておくという選択肢が最初に浮かんだ。
下手に家へ連れ帰っても、この娘はきっと殺される。
しかし俺は思いついた。
『この娘を囮に他三人を家へ連れ込む』という嘘をつき、家へ入れさせたのだ。
四天王暗殺計画は最初、遊郭へ乗り込むことだった。
そのため、建物がどのような構造なのかや、四天王の泊まる部屋などを事前に見ておく必要があった。
だから俺はその役になった。
俺が遊郭の情報を伝え、その情報をもとに遊郭へ入り、四天王を討ち取る。
しかしその作戦には大きな穴があった。
四天王暗殺が公になることだ。
影でこっそりと暗殺したいのがお家の本心で、派手にやろうだなんて思っていない。が、遊郭に乗り込んでまでやるのだから、派手すぎる。
他の作戦もあったが、これが一番いい方法だった。
だから俺が穴埋めのつもりで『囮作戦』を提案した。
するとまんまと上はそれに引っかかった。
伊崎を家に連れ込むことで四天王全員が伊崎を連れ戻しにここへ来る。
そこで四人丸々暗殺すれば良い。
が、俺はそんなこと考えちゃいない。
四天王といえど、まだ十の幼子だ。
仲間一人のためにここまで来れるはずがない。
追跡も捜索もろくにできず、ここを当てることすらも無理だ。
だから、三人は来ない想定で俺は伊崎を家に連れ込んだ。
彼女は三人が来るまで、“攫われた”ではなく“助けられた”ということになっている。
俺は、彼女が目を覚ますと、本当の計画を話そうと思っていた。
そこで四天王が暗殺されかねないことを話し、逃げろと伝えたい。
そういうつもりだった。
「賈乃亮、もう伊崎は殺してよいだろう」
上様は言った。
上様と言えど、俺の父親である。
俺は猛反対した。
だが、たしかに計画上殺しても構わない。
囮なら、彼女は生きていなくても、この屋敷に“いることになっていればいい”のだから。
どんな言い訳をつけても無理だった。
これ以上言えば、俺の首ははねられる。
伊崎は今夜、布団の上で刀の串刺しにされることが決まった。
どうしようか悩んだ。
今すぐにでも伊崎を遠いどこかへ移動させるか。
否、そうなれば門を通らなければならない。
伊崎を抱えて屋根に登り、そこから抜け出すなど不可能だ。
門を通るなら門番がいる。
無理だ。
もう、四天王を救うことは無理だ。
伊崎は死ぬ。
他三人も、いずれ遊郭で暗殺される。
俺は諦めた。
もういい。
もう、いい。
「賈乃亮様、さすがです。本当に来ましたよ。他の四天王」
部下が笑顔で言った。
俺は驚いた。
「見に行ってみては?」
もう、無理だ。
そいつらも今から殺される。
もう、俺はいい。
すべてを諦めた。
四天王を救うことは“愛人の頼み”だったけれど。
もういい。
その愛人すらも死んだ。
もう、いい。
「伊崎ぃいいっ!!!!!!」
部屋に轟いた怒声。
布団に眠っていた伊崎は目を開いた。
外は夕日に染まっている。
その庭に見える、青髪の少年。
彼は頭も体も血だらけで、殴られた跡や蹴られた跡がある。
槍で先を塞がれ、前に歩けない彼。
腕も門番に掴まれている。
だが、門番もそこそこの怪我だ。
血が垂れている。
(切り傷……)
俺は彼に短刀を渡したが、それは多少の切り傷にしかならなかったようだ。
ここにこれたのはすごい。さすがは四天王だ。
だが、だめなんだ。
来ちゃだめだったんだ。
「管太郎……」
まだ熱のある彼女は、目を開いてその様子を見る。
夕日と同じ色の血を流し、自分に向けて言葉と手を伸ばす男を。
息も忘れて見る。
と、俺の部下が立ち上がって刀を抜いた。
(時間だ)
伊崎暗殺の、時間が来た。
俺は目を瞑った。
グサッ
嫌な音がした。
目を開いたら、伊崎は血を流していた。
が、受け身を取り、部下の刀を側面から折っている。
腕から流れた血。
(少し掠ったか)
伊崎は平気そうだった。
傷は。
熱の方は平気ではないようで、ふわりと横に倒れていく。
「おいっ、」
俺は思わず叫んだ。
部下は俺に叫ばれたと思い、焦る。
が、伊崎は自分で自分の頬を叩き、目を覚ました。
「お前ら、そういうことするのな」
低い声。
怒っている。
もう、こちらの作戦がわかっているのだ。
庭にはもう管太郎はいない。
「私なら、殺しってよかった。けど、あいつまで……。管太郎まで巻き込むなら、許さない!!」
伊崎はそう叫び、部下を綺麗に足蹴りした。
バランスを崩した部下はそのまま床に倒れ込み、伊崎はそれに乗りかかる。
息が荒い。
目も瞑ったり開いたりを繰り返している。
もう奴の意識が長くない。
俺は高鳴る胸の鼓動を抑えるように、刀を握った。
彼女はそれを見逃さず、すぐに部下の脚を変な方向に曲げて折った。
部下が動けなくなり、脚の痛さに足掻いているところ、俺に彼女は向かってきた。
俺は部下の顔に羽織をかけた。
眼の前を見えなくさせてから、彼女に刀を渡した。
口に指を当てて、「しー」と合図。
彼女は一瞬驚き、それから強く頷いて走っていった。俺はその部屋から出、わざと自分に浅い切り傷をつけて、さもやられたかのように振る舞った。
*
頭が鳴る。
眼の前に靄がかかる。
息が荒い。
脚が今にもかくりと折れそう。
意識の遠のく自分を叩き、現実に引きずり込む。
「駄目だ、まだ、意識は……!」
管太郎がここにいた。
あの傷は相当やられている。
(私に比べちゃ、私はまだ全然無傷も同然!!)
腕の傷を気にしないように目を背け、管太郎のもとへ向かう。
その間、何人もの部下を切った。
日頃から稽古している甲斐あって、私は難なく通過できた。
だが、人殺しにはなりたくないために、一人ひとり動けなくなるくらいの傷を負わせた。
最初の部下も、脚を折った。
痛そうだが、今はしょうがない。
管太郎の連れて行かれた先へ着いた。
この小屋はどうも、拷問に使われる部屋らしい。
目に入った者は容赦なく切る。
私も最初より大分傷は負ったが、こんなのなんてことない。
部屋を進んでいくと、柱に括り付けられる管太郎がいた。
人は多くいた。
刀を構え、息を整える。
十数名。
行けるか。
「お前ら、面倒臭い」
中の一人が言った。
「診療所?四天王?何それ、十の齢で何言ってんだ」
どこぞやで聞いた内容だ。
「子供はな、子供らしく振る舞ってりゃいいんだ。なのにでしゃばりやがって」
男は管太郎を殴った。
「お前らのせいで、この家はお取り潰し寸前なんだよ!」
知らない。
こんな物騒な家と関わったのは今日が初めてだ。
「幕府からの支援をお前らが多く受けるせいで、こっちの支援が減ってんだよ!!」
じゃあお前らが頑張ればいいのに。
こちらに悪態つかれても困る。
「もう米がね?足らねぇわけ!ここの家はでかいから、人数も多いんだよ!全員の米が、ねぇの!!」
勝手にしろよ。
だから四天王を潰して邪魔な診療所を潰す、と。
何度も殴られる管太郎。
鼻から血を出し、耐えている。
私は怒りの風船が膨れ上がり、破裂した。
「知ったこっちゃないんだよ、お前らのことなんて。私達は、私達なりに努力してるんだ」
行きたくもない江戸城へ行ったり。
やりたくもない遊女仕事をしたり。
「その努力を、お前らが無駄にしてんだよっ!診療所で働くためには、相当な医学の勉強をしなくちゃならねぇ!それをしてこそ、医者なんだよ!!それで人の命を何度も何度も救ってきたから、幕府からの支援が多いんだよ!!お前は、お前らは、なにか成し遂げたのかよっ?ただただ潰したいもん潰して、血に塗れて、人の努力を台無しにして、そうやってきただけなんだろ?!だからこうやって支援が減ってんだよ!!」
奴らがしているのはただの八つ当たりだ。
八つ当たりのせいで、管太郎がこんなふうになった。
許せない。
彼はそうそう怒る人じゃない。
そんな彼が、怒った。
ねぇ管太郎、じゃあ、間違ってないよね?
私、今怒ってるの、おかしくないよね?
もしかして、なにか私、間違ったこと言ってる?
お前がぼろぼろなのが、許せないんだ。
私は刀を振るった。
つい、急所を狙ってしまった。
一人殺した。
二人。
三人。
私は血に塗れていく。
管太郎が何かを言っている。
もう、聞こえない。
*
ねぇ、伊崎。俺達、ずうっと人を救うお医者さんでいようね。
もう、聞こえない。
*十ノ巻〚血流し〛
(漢字表記)
靄(もや)
括る(くく−る)
掠る(かす−る)