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羽田空港で、別れ際に愛を確かめ合った我が子たちを見守る。――智樹は、とうとう、旅立ってしまった。息子の選択が誇らしい一方で、もどかしさも感じている。

あの子たちは、結論を下した。

親として出来ることは、見守り、支えてやること以外にない――と虹子は思った。

ここに、晴子を連れてきた石田圭三郎も、きっと、力になってくれることだろう。

なお、虹子と石田は既に入籍している。結ばれた一週間後――そしてこの別れの場面の一週間前に。

虹子の親とはテレビ電話で話をした。一家四人で、写真館で写真を撮った。この年でウェディングドレスは気恥ずかしいと思い、着物にした。子どもたちも一緒で――家族四人が揃う、めでたい瞬間が収められている。こうして智樹が実家を離れた以上、あの瞬間は、これ以上ないほどに貴重なものとなるであろう。

マスクをしたカップルが口づけるのを見たのは、あれが初めてだった。見ようによってはシュールな場面とも言えよう。勿論、本人たちは真剣なのだが。

石田は、戸籍上は、西河姓を名乗ることにした。

子どもたちは、井口姓で生まれ、虹子の離婚で西河姓となり――これ以上の改姓をさせたくなかったのである。幸いにして、石田の家族も虹子の子どもたちの状況を察してくれ、石田の主張に同意した。

「……お待たせしてごめんなさい。帰りましょうか」

この子は、大人になったと、虹子は思う。

自分の感情に溺れて、周りが見えなくなってもおかしくない年頃なのに。

思えば、自分の十代の頃は、もっと自己中心的だった。

抑圧され、苦しめられ、理不尽な大人に、怒りばかりを感じていたはず――なのに。

最愛のひととの別れを惜しむ晴子は、涙したが、抑え込んでいた想いを表出させ、通じ合わせた幸福を知ってか、まるで――自分の知らない、美しい女の子に生まれ変わっていた。その晴子の魅力に魅せられながら、虹子は、

「せっかく羽田まで来たんだから、なにか、食べていきましょうよ。確か、美味しいパンケーキを食べられるお店があるはずだから、そこで……」

言って虹子は、手持ち無沙汰で待っている風の、圭三郎にも目を向ける。「圭三郎くんも、よかったら一緒に……」


「おい! おれのバナナ取んなよ! 晴子!」

「……嘘でしょ。どうせ、圭のキャラだったら『バナナなんてくそあめえもん食えっか』くらいのこと言って、わたしに押し付けるかと思ったのに」

「いやいやなんでバナナ嫌いがバナナ頼むんだ! てか食うな! こら!」

生クリームまでスプーンで掬い取って頬張る晴子を見ているうちに、虹子は、なんだか笑みがこぼれた。

そんな晴子を、眉を歪めて見つめる圭三郎は、

「チョコバナナ食べたいんなら、モンブランじゃなくてチョコバナナのパンケーキにしときゃあよかったのに。まったくおまえは……」

「食べたくなったんだもん。仕方ないでしょ」

「女ってどうしてそんなに欲張りなんだ? てか普通に一口くれと言えよ」

「圭の悔しがる顔が見たかったんだものー。べーだ」

「なにぉお!」

言い合うふたりを見てくすくすと虹子は笑う。晴子は、いまは辛いかもしれないけれども、ひょっとしたらその苦しみを、圭三郎が癒してくれるかもしれない。圭三郎の隠し持つ濃密な愛に、晴子は気づいているだろうか。

別れ際、智樹は、晴子に、選択の余地を与えた。ひょっとしたら――と虹子は思うのだが、結局自分の理性が断言してしまう。晴子は、智樹以上の相手を見つけることが出来ないだろうと。

彼らは、まだ若い。将来を決めるにはあまりにも若すぎる。

けれども、別々に過ごし、様々な経験を経て、それでも、愛していると言うのなら。親である自分に出来ることは、そんな若い彼らを支えてやることくらいのもの――。

「よかったらぼくのぶんもどうぞ」

「ありがとう清太郎さんー」

「いや状況からしてせい叔父さんはおれにくれてんだろ。見ろよ。おれのパンケーキが、プレーンのパンケーキになっちまってんだぜ」

「あー美味しい美味しい! バナナのパンケーキ!」

「ったく……おまえってやつは」

「よかったらわたしのぶんも食べて? 圭三郎くん……」

「いやそういうわけには」

「もうひとつパンケーキ頼もうか?」

「焼けるのが時間がかかるだろうから……」

そこで、圭三郎が、なにかに気づいたように、言葉を止めた。ため息を吐き、やさしく、拳で、晴子の頭を叩いた。「……意地っ張りが」

無言でパンケーキを頬張る晴子が泣いているのに、この場にいる全員が気づいていた。


* * *


日本が、平穏な日常を取り戻すには、もうすこし時間がかかるかもしれない。

学校へ向かう晴子を見届け、虹子はそんなことを思う。

春休みが終わり、学校は、開始した。

もう、晴子は、ひとりで行動出来ない子どもではない。朝は、虹子たちよりも早く家を出る。朝食の後片付けをし、廊下を通り抜ける娘に、笑顔で、いってらっしゃい、と声をかけるのだが。

前に戻ると、急速に、胃の奥から、なにかがこみ上げる。――吐きたいような、胸がむかむかする感覚。

スプリングコートを羽織った石田が、虹子の異変に、気づいた。「どうした虹ちゃん?」

ゴム手袋を外し、手を口で覆う虹子の脳裏に、まさかの展開が思い浮かぶ。――そんな、まさか、自分が、この年齢で……。

「……虹ちゃん、ひょっとして……」

石田も、同じ可能性に思い至ったらしい。

たった一度。たったの一度だ。避妊をしなかったのは、石田に初めて抱かれたあの晩だけ。

まさか――そんな奇跡があっていいものか。

けれども、柔軟な女という性別は、直感し、すぐに受け入れる覚悟を固める。虹子はこころを落ち着かせると、

「……帰りに、検査薬買ってこなきゃね」

「ああ……虹ちゃん。なんと言ったらいいのか……」石田が、虹子を、抱き寄せる。「きみのからだの負担になることは、したくないって思うんだけれど……まさか、きみのお腹のなかに命が宿っているなんて……」

「――産むわ。わたし」

高齢出産はリスクが高い。虹子の考えたことのないような、いろいろなリスクをはらんでいる。

けれども、虹子は、このとき――天命だと思えたのだ。

恋愛を忘れていた自分が、石田と巡り合い、恋に落ち、結ばれ、命を宿すということが。

石田の腕のなかで、しっかりとぬくもりを感じながら、自分の決意を確かめる。虹子の知らないところで宿るその命は、これからの彼女の人生が、幸せなものであるようにと、ただ祝福していた。


―番外編・完―

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