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羽海汐遠
16,009
シュトルムクラータから東に位置するフェルス砦。夜の帳が下り、その城壁の上には数多くの篝火が焚かれている。
いつもは周囲に見張りだろう兵士が立ち並び、物々しい雰囲気に包まれているのだが、今日に限ってそうではなかった。
篝火の爆ぜる音に混ざって聞こえていた、ガシャリガシャリとうるさい足音にも懐かしさすら覚えるほどの静寂。
その暗がりへと駆け込んでいく二つの影は、ワダツミに乗った俺とコクセイに乗ったレナである。
城壁への階段を駆け上がりその頂上へ辿り着くと、そこにぽつんと立っていたのは貴族であり冒険者でもあるネストだ。
どこか物憂げな表情で虚空を見つめるその姿は、篝火に照らされ艶やかであった。
「ネストさんが来たのなら問題ありませんね」
「ええ。計画は順調。今のところはね」
フェルス砦にネストが派遣されているなら問題がない証拠である。逆にバイスが派遣されていれば、計画に支障が出ていることのサインであった。
「この度は私のためにご助力下さりありがとうございます。アンカース卿」
「ふふっ。レナも別に畏まらなくてもいいわ」
「はい。先生!」
笑顔のレナに頬を緩めるネスト。そんな表情もすぐに強張りを見せる。
「レナがいるって事は、避難はしないのね?」
「はい。覚悟は決めてきました」
「そう。ならいいわ。安心なさい。九条がいれば何とかなると思うから」
ネストが視線を移した先には、今にも砦を囲まんとする大量の軍隊。いくつもの松明が遠くに見える景色は、身も引き締まるというものだ。
「あれがローレンスとヴィルヘルムの軍隊ですか? 数はどれくらいです?」
「そうね。合わせて千ってとこかしら……」
「な……なるほど……」
それは多いのか、少ないのか……。
一応聞いてはみたものの、全くもってピンと来ない。
「月一回の小競り合いの倍以上の数……。そう考えれば多いのかもね。恐らくだけど相手が本気で落としにかかるなら、後からもっと増えると思うわ」
「開戦は何時頃?」
「婚約公示期間が明けるまでは大丈夫――と言いたいところだけど、油断はならないわね。とは言え、少なくとも闇討ちなんてことにはならないはずよ。一応は相手も貴族ですからね。開戦前に伝令を出してくるはず。宣戦布告なしに攻めようものなら、他国からも批判されかねないから」
出来れば穏便に済ませたいが、仕方がない。こちらにその気がなくとも相手がそうとは限らない。
お互いが何を考えているかなんて本人以外には誰にも分らないのだ。俺ごときが平和を訴えたところで、どうにもならないのはわかっている。
なんとも世知辛い世界じゃないか……。
「アンカース先生。アレックスは……アレックスは無事ですか? 私を追って自害――なんてことにはなってませんよね!?」
戦争なぞレナにとっては二の次なのだろう。
不安そうな表情を向けるレナに、ネストは頬を緩め片目を瞑って見せた。
「ええ。心配しないで大丈夫よ。最初はどうなるかと思ったけど、狙い通りアレックスが最初にレナが他殺であることに気付いてくれたわ。これも愛の力かしらね?」
「そんな……。きっと九条様のブレスレットのおかげですよ」
頬を染め、もじもじと身体を捻る様子はその言葉とは裏腹に少し……いや、結構嬉しそうである。
リア充爆発しろ――とは言えない程度には親密になってしまったので黙っておくが、俺の前で惚気るのはだけはやめていただきたい……。
――――――――――
俺とレナがフェルス砦へと身を隠してから数日。シュトルムクラータに動きがあった。
「ヴィルヘルムがうるさいらしくて、本国への報告に数人の従者とアドルフ枢機卿を送ることになったわ。教会関係者なら流石に罪は犯さないだろうからって理由でね」
「いいんじゃないですか? 実際ヴィルヘルムさえ拘束しておけば問題はありませんし。……ただ間違いなくターニングポイントになるとは思いますが……」
現在はネストがフェルス砦の責任者。と言っても一人しかいないことになっているため、ニールセン公との連絡には毎回ネストが行き来している。
もちろんそんなことは騎士団か従者に任せればいいのだが、内密に事を進めなければならないため仕方がないのだ。
「そうね……。アーニャの話だとローレンスと教会が繋がっているのは明らかだし、軍に動きがあってもおかしくない……。素直にヴィルヘルムが解放されるまで待つか、予定を早めて動き出すか……」
ネストの顔が強張ってしまうのも無理もない。
遠くに見える無数の軍旗。相手の軍は日に日に増え続け、今や二千人に近い部隊になりつつあるのだ。
それがこちらの意に反して想定外のタイミングで動き出せば、俺とネストだけで防衛することになるのだから不安になってしまうのも道理。
テレビや映画でしか見た事のなかった景色。それを目の当たりにすれば嫌でも実感してしまう恐怖。
二千の軍勢の中に、俺よりも強い奴がいるかもしれない。飛び交う魔法の矢が偶然俺の胸を貫くかもしれない。不安要素なぞ考え出せばキリがない。
それでも王女を守ると言ったからには、やり切ると決めたのだ。
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
俺に強く念を押してくるネスト。
「……恐らく……」
「もっと自信持ちなさいよ……」
「最大限のサポートはしますから……」
「サポートって何!? 九条がやるんじゃないの!?」
目を見開き、俺の両肩を掴むとガタガタと揺らすネスト。
「おぉぉ落ち着いてくださいネストさん。それよりもミアから預かった物があるでしょう?」
「え? あぁ、コレのこと?」
それは黒く染まった怪しい布袋。その中から出てきたのは小柄な人間の頭蓋骨だ。
ネストはそれを目の当たりにしても、驚く様子もなく平然としていた。
「……誰の?」
「ザラのです」
正直に言えば、既にヴィルヘルムの悪事を暴く手筈は整っていた。
ミアがこの頭蓋骨を俺に託したのがその証拠。レナを殺した暗殺者は既にザラが始末しているはず。後はその亡骸をよみがえらせ、ヴィルヘルムの悪事を証言させればいいだけなのである。
ヴィルヘルムを捕らえることが出来れば、芋づる式にグリンダの陰謀も明るみに出るだろう。
しかし、すぐにそうしなかったのにも理由があった。
一つはヴィルヘルムを捕らえた時点で、どちらにせよ軍が動くだろうと推測しているから。
そしてもう一つは、死者たちの怨みを晴らすためである。
「今回俺がサポートに回ると言ったのは、あくまでも浄霊の一環として手伝うことを約束したからです」
「約束? ……誰と?」
「……バルザック――と言えばわかるでしょう……」
その瞬間、ネストの表情は険しさを増した。それはネストの御先祖様。アンカース家の祖である。
これは最初から決まっていた事。俺が黒翼騎士団から力を借りるための条件なのだ。
自分たちの手でローレンス家を滅する。それこそが彼等の願いであり、血の渇望。
その機会が訪れれば、俺が力を貸さなければならない。それが彼等と交わした誓約なのである。
コメント
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第407話、読み終えました。戦争前夜の緊張感と、レナの無事をまず確認するネストさんのやりとりにほっとしつつ、九条さんの「恐らく」にネストさんが「もっと自信持ちなさいよ」と返す掛け合いが好きです。二千の軍勢、ザラの頭蓋骨、そしてバルザックとの誓約――伏線が一気に回収される予感がゾクゾクします。死者たちの怨みを晴らすために力を貸す、という条件の重みも印象的でした。次が待ち遠しいです。