テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
1件
最終話、読み終えました。花は誰かに渡して初めて意味を持つ──という酒寄の思いが、最後に「そこにあるだけで幸せにする花もある」に変わっていくのがとても好きです。不器用な告白と、受け取った渚の「一番嬉しそうな顔」にじんと来ました。喧嘩みたいなのに温かい、二人の会話も心地よかったです。続きが気になる終わり方だったので、もう一話も楽しみにしていますね。
花束には、行き先がある。
誰かに渡すために作られるものだから。
誕生日。
記念日。
別れの日。
そこには必ず、花を受け取る相手がいる。
だから俺はずっと思っていた。
花束は、誰かに届けて初めて意味を持つものだと。
でも。最近は少しだけ違うと思う。
渡す相手を想って選んだ時間も。
その人のために悩んだ時間も。
全部、花束の一部なのかもしれない。
「……」
俺は店の奥で、一つの花束を見ていた。
白い花を中心にした、小さな花束。
派手ではない。
けれど、丁寧に選んだ。
誰かのために。
初めて、客ではない誰かのために。
「酒寄」
声がして、振り返る。
渚が立っていた。
いつもと同じ顔。
でも。
少しだけ疲れて見えた。
「最近来なかったね」
「忙しかった」
「嘘」
「何で分かんの」
「嘘つく時だけ視線めちゃくちゃ揺れてる」
「……」
「俺がまた花を頼むと思ってる?」
言葉に詰まった。
渚は困ったように笑う。
「ごめん」
「何で謝んの」
「分からないけど」
渚は店の花を見る。
「酒寄、最近ちょっと寂しそうだったから」
胸の奥を掴まれたような気がした。
こいつはいつもそうだ。
自分のことより、先に人のことを見る。
だから。
俺は言わなければならないと思った。
「渚」
「うん」
「俺は」
言葉が喉につかえる。
こんなこと、今まで誰にも言ったことがない。
花の名前ならいくらでも言える。
客の好みなら覚えられる。
でも。
自分の気持ちを伝えることだけは、どうしても苦手だった。
「……お前が誰かのために花を買いに来るのが」
渚の表情が変わる。
「嫌だった」
静かな店の中で。
自分の声だけが響いた。
「毎回、相手の好きな色を聞いて」
「……」
「相手に似合う花を考えて」
「……」
「それを渡して、嬉しそうにするお前を見るのが」
息を吸う。
「嫌だった」
渚は何も言わない。
怖かった。
この沈黙が。
でも、もう誤魔化したくなかった。
「俺は」
花束を手に取る。
「お前が誰かを好きになるたびに」
「……」
「俺じゃない誰かのために笑ってるのが嫌だった」
渚の目が少し揺れる。
「酒寄」
「何」
「それ」
渚は花束を見る。
「俺に?」
「……」
「俺にくれるの?」
顔が熱くなる。
「そう」
ぶっきらぼうに答える。
「嫌なら捨てれば」
「捨てるわけない」
渚は笑った。
今まで見た中で、一番嬉しそうな顔だった。
「俺」
渚は花束を受け取る。
「ずっと、これが欲しかったのかもしれない」
「……」
「花じゃなくて」
少しだけ間を置いて。
「酒寄が選んでくれたもの」
何も言えなかった。
代わりに、視線を逸らす。
「……料理」
「え?」
「今度」
言葉を探す。
「今度、食わせろ」
渚は目を丸くした。
「それって誘ってる?」
「嫌ならいい」
「嫌じゃない」
渚はすぐに答えた。
「むしろ嬉しい」
その笑顔を見て。
やっと分かった。
俺が欲しかったのは。
渚の隣にいる誰かになることじゃない。
渚が、俺の隣にいることだった。
その日から。
渚は相変わらず店に来る。
ただし。
「酒寄、今日の花は?」
「売り物」
「俺への花は?」
「毎回あると思うな」
「ひどい」
「当たり前」
そんな会話が増えた。
渚は相変わらず料理を作る。
俺は相変わらず花を選ぶ。
劇的に何かが変わったわけじゃない。
恋人らしいことも。
まだ少ない。
でも。
店の奥には、いつも小さな花瓶がある。
渚が作った料理を食べた帰りに。
俺が一本だけ選んだ花を飾るためのものだ。
花には、行き先がある。
そう思っていた。
でも今は。
行き先が決まっていない花も、悪くないと思う。
誰かに渡される日を待つだけじゃなく。
そこにあるだけで、少しだけ誰かを幸せにする花もある。
春になれば、また新しい花が咲く。
その頃にはきっと。
俺たちは今より少しだけ、素直になれている。
そんな気がした。