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「もしもし?」
『久しぶり。と、言ってもメールはしていたからそうでもないか。今、どこ?』
「えっ!?今は公園にいて、ホテルの隣にある―――」
『ああ。なるほど。わかった。すぐに行く』
わかったってどうして?
GPSでもつけられているのだろうか。
それとも、どこかで見ていた?
再び周囲を見回してしまった。
ベンチに座っていると、道路側に車がとまり、その車からスーツ姿の壱都さんが降りて来た。
秘書の樫村さんが運転していたようで、こちらに一瞬だけ視線を向けて会釈する。
私が壱都さんと会ったのはファーストキスを奪われて以来のことだった。
久しぶりに会った壱都さんは前に会った時よりずっと大人の男の人に見えて、少しだけドキッとした。
やっぱり王子様と呼ばれるだけあって、かっこいい。
「友達は?」
「あ……先に帰ってしまって。私が帰るのは明日の便なので」
「そうか」
「もしかして、私を見かけたんですか?」
「そう。ホテル前でちょうどね」
まさか、公園横の高級ホテルのことだろうか。
ちらりと横目でホテルを見た。
ロンドンでも有名なホテルでドレスコードまであるホテル。
そんな場所に泊まっているとか?
―――あり得る。
「だから、こんな早く来れたんですね」
「会うつもりは―――いや、なんでもない」
壱都さんはなにか言いたそうな顔をして、それから黙った。
「あんなメール送ってくるから気になった」
「え?」
「明日、帰るって俺に教えるから会いたいのかと思った」
「そっ、そういう意味で送ったんじゃありません!」
「ふーん」
壱都さんは気に入らないという顔をしたけど、私はサッと目を逸らした。
この人の目は怖い。
全部、心の中まで見透かすような目をするから危険なのだ。
「まあ。いいか。せっかくだから、ロンドン観光でもしようか」
「仕事はいいんですか?」
「婚約者がわざわざ会いに来てくれたのに放っておけない」
「会いに来たわけじゃ……」
「なに?」
にっこりと壱都さんが微笑んだ。
有無を言わせないような笑み。
「い、いいえ……」
「じゃあ。行こうか」
「どこへですか?」
「そんな時間もないから近場かな」
早くというように壱都さんは私の手をとった。
いいのかなと思ったけど、ここはイギリスで日本じゃない。
私達を知っている人は誰もいない。
壱都さんは樫村さんと話をし、車のキーを受け取った。
樫村さんは自分が運転するのにと少し不満そうだった。
「二人で出かけたいのはわかりますが、無理はしないでくださいよ。疲れているでしょう?」
「平気だ。樫村。俺の代わりにロンドン支社に顔をだしておいてくれ」
「わかりました」
やっぱり仕事が忙しいようだった。
それなのに私に付き合って観光していいのだろうか。
壱都さんは私を車にのせると、ロンドン市内を走った。
狭い道が多いロンドン。
壱都さんは慣れた様子で運転していた。
「留学は大学?」
「そうです。発音を何度も直されました」
「それは俺も同じだよ」
「壱都さんも留学していたんですか?」
「俺だけじゃない。兄弟全員だ。祖父が井垣会長をライバル視していたからね。俺達孫を甘やかすことはしなかった」
「白河会長はお祖父さんと仲がよくないと聞きました」
「ああ。井垣会長は祖父の婚約者とイギリスに駆け落ちしたんだ」
「お祖父さんが駆け落ち?」
「そう。それで、ほとぼりが冷めた頃、イギリスから戻った井垣会長は貿易関係の仕事をして大成功。そこから、どんどん会社は大きくなった。英語の発音も綺麗でそれはもう重宝されたそうだよ」
つまり、白河会長はお祖父さんを見返すために子供や孫には厳しく教育し、甘えを許さなかったと―――確かに井垣の父や紗耶香さんに比べ、壱都さんはしっかりしていたし、会った時、大学を卒業したばかりだったはずなのに年齢よりずっと大人びた空気を感じていた。
「着いたよ」
「あ、はい……」
壱都さんが連れてきてくれたのは広い薔薇園だった。
園内にはカフェがいくつか入り、自家製ケーキとコーヒーの店もある。
レンガ造りの建物の前にテラス席があり、そこでブルーベリー入りの大きなカップケーキとコーヒーを飲む家族連れや観光客の姿が見えた。
カフェを通り過ぎ、広がる薔薇園には何種類の薔薇があるのか、私が見たことのない薔薇がたくさんあった。
「薔薇は好き?」
「はい」
「よかった。ちょうど薔薇が見ごろだったから、どうかなと思ってた」
つる薔薇を這わせたアーチの下のベンチに座った。
甘い薔薇の香りが漂っていた。
「白河の家にも薔薇園がある。小さいけどね。本邸にある薔薇園の薔薇が見頃になったら一緒に見よう」
一緒に―――そう言われたら、うわべだけの婚約ではなく、本当に結婚するつもりなのかと錯覚しそうになる。
そんなはずないのに。
「他にどこか行きたいところはある?観覧車?クルーズ?」
「えっ、えっと」
樫村さんの言った言葉を思い出していた。
無理しないでくださいよという樫村さんが言った言葉を。
「アフタヌーンティーがいいです」
「ああ、なるほどね」
これなら、壱都さんもゆっくり休める。
それにアフタヌーンティーなら、どこにでもあるから、そんな特別なものではない―――そう思っていた。
壱都さんは薔薇園を出ると、また車に乗り、私を連れてホテル前まで戻って来た。
「あ、あの。ここってさっきのホテルじゃ?」
私が壱都さんとやってきたのは例の高級ホテル。
青い制服を着た警備員さんが立っている。
もう入り口からして、威圧感がある。
その上、建物も伝統ありますっていう雰囲気で、さっき友人と通り過ぎた時は外観だけですごい建物ね、なんて思っていた場所。
まさか、このホテルに入るのだろうか。
「いつもここのホテルを利用しているから、使いやすい」
いつもって……感覚が違いすぎる。
私は言葉が出てこなかった。
自分の今日の服装がカジュアルすぎない服装でほっとした。
けど、ただの安いシャツワンピース。
こんな服装でホテル内のレストランに入れるとは思えないけれど、壱都さんがなにも言わないところをみるとこれで大丈夫なのかな。
入ったなり、白と金の大理石の床、天井にはシャンデリアが吊るされている。
アフタヌーンティーが楽しめる場所の廊下はピンクの花柄の絨毯が敷かれ、白い階段の向こうが会場となっているようだった。
大きな観葉植物が両側で出迎えて―――
「もう、最悪!」
それは聞きなれた声だった。
私と壱都さんの後ろから、歩いてくる女性の集団は大学生くらいで全員がお金持ちのお嬢様。
なぜ、それがわかるのかというと、その中には紗耶香さんがいたから。
「こっちに」
壱都さんは私の手を引き、観葉植物の陰に隠れた。
私を壱都さんは抱き締め、柱と観葉植物の間の狭いその場所にぎゅっと縮こまった。
「連絡があるって言われて行ったら、人違いだったのよ。せっかく運命的な出会いだったのに!」
「でも、婚約しているんでしょ?」
「両親同士がとっても乗り気だし、結婚するのも決まっているようなものよ」
「あんな素敵な方と結婚なんてうらやましいわ」
「結婚式には招待してあげるわね」
紗耶香さん達は楽しそうに談笑しながら、会場に入っていった。
でも、私は会話の内容より、抱き締められていることのほうに気を取られていて、それどころではなかった。
壱都さんは細身なのに体はがっしりとしていて、シャツからは甘い香りがした。
香水なんだろうけど、まるで誘うような香り。
顔を胸に埋められ、壱都さんの体温が私に伝わって頭がくらくらした。
「行ったか」
ホッとしたように壱都さんは息を吐いた。
「好き勝手なことばかり言ってるな。残念だけど、アフタヌーンティーは無理そうだ」
「は、はい。その、離してもらっても……」
「……ああ。悪い」
私の心臓の音が壱都さんに聞こえてしまいそうな気がして、心を落ち着けようと息を吸った。
抱き締められている間、息をするのも忘れていた。