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そして体と同じように顔つきも逞しい
よく日に焼けていてがっしりした顎に大きな鼻、姿勢は堂々として誇らしく
鬼龍院のようにいつも魅力的に見えるように、軽薄に微笑んだりは決してしなさそう・・・
今は厳しそうに口を一文字に引き結んで、アリスを睨むように見つめている
だけど・・・・茶色い目だけはどこかあどけない感じがして・・・
まぁ・・
睫が長いのね・・・・
羨ましい・・・
なるほど不思議とこの目の周りに、アイラインのようにびっしりと生えた長い睫のせいで、いかつい顔をどこか愛くるしくしている
アリスはふと彼が大声を出して笑ったら、どんな感じなのだろうと思ってしまった
とにかく彼の何かがアリスの心をとらえていた
「やっとお披露目できましたね、この麗しい令嬢が私の婚約者の伊藤アリスさんですよ」
鬼龍院がまた前髪をなびかせて言う
「さて、いかかがですかな成宮君、私は君に私の婚約者が大阪でも、もっとも美しい女性だとお話しましたでしょう? 」
成宮北斗はじっとアリスの顔を、絵画でも観賞するように見つめていた
そしていつもなら初対面の相手は真っ先に、燦燦と輝くアリスのダイヤモンドの帯留めに、目線が行くはずだが(鬼龍院も類に漏れず)北斗は一向にアリスの顔から目線を外さなかった
・・・鬼龍院かれの問いかけに同意も否定もしないのは、少し無作法ではないかしら・・
アリスは思った、たとえ口からでまかせでに、自分を褒めたたえろとは言わないまでも、せめて軽い社交辞令を返すのが礼儀ではないだろうか
ところが成宮北斗なるこの男はずっと無表情で、沈黙を保っている、アリスは言った
「わたくしが大阪で最も美しい女性だとお聞きになられていらしたのなら、とても失望なされたでしょうね・・・ 」
アリスは急いで言葉を継ぎ足した
「期待させてしまったことをお詫びしますわ・・・鬼龍院さんには後でわたくしの方から申し上げておきますね。お世辞もいい加減にしないと笑いものになると」
にっこり微笑んでアリスはその場を和ませようとした、しかし北斗はまだじっとアリスを眺め、何を言われているかさっぱりわからないとまでに、わずかに方眉を吊り上げただけだった
それでも視線は痛いほどアリスの顔に向けられている、なんだかアリスの肌がピリピリしてきた
「私の婚約者をがっかりさせてはいけませんね!成宮君」
鬼龍院が陽気に言った
「君が入れ込んでいる牝馬なんか、彼女の美しさに比べれば雲泥の差でしょう 」
「まぁ・・・お馬さん? 」
社交界の上級者でマナー講師のアリスが、なんとか話を膨らませようと興味のあるフリをした
こういう場では親し気に自分にとっては、どうでもよい話を10分程度、相手に話させるのが礼儀だ
相手は10分程度で自分の事を話す。そしてアリスはとても興味のあるフリをして、それを聞く、明日起きれば忘れてしまっているどうでもよいことだ
「ええ・・・・淡路島に牧場を持っています」
北斗が礼儀正しくそう言ったが、飢えた目でずっとアリスを見下ろしている。なぜがアリスは、彼の視線を浴びていると妙な気分になるのを不思議に思った
すぐ横にいる鬼龍院ほど近づいてはいないが、アリスはこの目の前にいる成宮北斗を意識せざるを得なくなっていた
狭い観覧席で後ろの人が通る時に、ぐっと彼がアリスの方に身をかがめてくる
着物を着て座っている膝が、彼の脚にくっつきそうなほど自分に近づいて見下ろしている
アリスと視線をがっつり合わせて彼は石のように動かない
「貿易業の鬼龍院さんの貴重なお仕事仲間でもあり、ご友人でもある方にお近づきになれて、とても光栄な気分でした 」
アリスはこれで会話は終わりだと、やんわり北斗に暇いとまを告げるように促した
「・・・ぜひ機会があれば、俺・・・私の牧場を訪れてください。素晴らしい馬をご覧にいれましょう・・・ 」
すこしなまりのある丁寧な敬語を彼は発した。それは低く・・・、かすれがちな声だった
「そういうことでしたらぜひ」
アリスはニッコリ北斗に微笑んだ。また彼が石のように固まり、熱心にアリスを観察している
「その時は私があなたを彼の牧場に案内しましょう。なにせ先日も彼の牧場へアラブ産の美しい牝馬を届けたばかりでしてね 」
鬼龍院が周りに聞こえるように自慢気に行った
「淡路島は良い所ですわ 」
「淡路島のどのあたりですの?」
鬼龍院のボックス席の隣にいたアリスの、母親とその連れ達も北斗に興味を持って話に割り込んで来た
鬼龍院が長々と北斗と自分の関係をご婦人方に自慢気に話し込んでいる
それをいかにも鬼龍院を厭わしげな目つきで、無防備に睨む北斗の表情を、アリスが偶然目にして面白くなってクスッと笑ってしまった
するとまた北斗がアリスを凝視し出したので、思わず頬が熱くなる
その時アリスが持っていたビーズ製の着物バッグが、スルリと手から落ちてしまった
あわてて拾おうと屈んだが帯のせいで屈めない、変わりに北斗が屈んでバッグを取った
ふわりと彼の心地よい男性用の髭剃り後のローションの香りがした
爽やかで・・・・アリスは思わず風と空と太陽をイメージした
長時間嗅いでいると吐き気を催すような、男性用の臭いオーデコロンの匂いにまみれている鬼龍院とは大違いだった
さっと紳士らしく北斗がアリスにバッグを差し出した
「ああ・・・申しわけありません― 」
カサッ・・・
―え?―
彼の手がバッグを持つアリスの手を覆ったかと、思うと手の平に小さな紙きれを忍ばされた
折りたたまれた小さな紙切れが、むき出しのアリスの手の中に置かれ、周りに気づかれないようにアリスはバッグをすぐ
膝に置いて、紙切れを握っている手を隠した
どういうことだと彼を見つめると
目の前に近づいた北斗の琥珀色の瞳が、じっとアリスを見つめ語っている
―読んでくれ―
アリスは彼に了解したと小さく頷いた、もちろん誰にもバレないように
北斗は何食わぬ顔で鬼龍院と歌舞伎の演題について話し込み
母やご婦人方に愛想を振って、アリスには別れの挨拶もせず、会釈だけをして去って行った