2000年8月14日
妻の陣痛が酷くなったようで救急車を呼んだ。
救急搬送された妻は病院で手術を受けていた。
妻には持病がある。
子を授かった時点で、産むと決めた時点で妻の命は朽ちることが決まっていた。
……きっと今夜が峠だろう。
妻にはもう体力が残っていないようだ。
今夜産めれば子は助かる。
先に体力が尽きてしまえば子も助からないだろう。
だから……
どうか、どうか。
私たちの愛の結晶を助けてください。
2000年8月15日
妻が死んだ。
子は助かった。
妻が頑張ってくれた。
…ただ産まれた時、子は泣かなかった。
それどころか心臓が動いていなかった。
直ぐに治療が開始された。
産まれた瞬間に、妻に顔を見せる前に治療室に移動させられた。
妻は子の顔を見ることなくそのまま死んでしまった。
2000年8月16日
子は心臓に疾患を患っていた。
25歳まで生きれるか分からないと言われた。
…私が妻の分まで愛情を注ごうと思う。
この子の最後まで。
この子の名前は亮平。『逢坂亮平』だ。
生前、妻と2人で決めた名前。
男の子だと分かった時に決めた。
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パタン📖
俺はこの無機質なベッドの上で父の遺した手記を閉じた。
母が命を懸けて俺を産んだこの日に俺は死ぬだろう。
ただ、俺が言いたいのは自分が死ぬことを知っていながら俺を産んでくれた母と不慮の事故で死んでしまうまで守ってくれた父の下に産まれて幸せだったこと。
それから……最高の仲間に出会えて良かったこと。
それだけは本当だから。
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逢坂亮平 というのは、kunさんが本名クラフトでりょうへいに名付けた名前です