テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ノクスグラートに滞在している間、セレナとフェンは、何度も顔を合わせた。
朝の市で。夕方の門前で。詰所の前を、通りかかった時に。偶然にしては、多すぎるほどだった。
「また会ったな」
フェンがそう言うと、セレナは少しだけ微笑む。
「ええ。本当に、よく会うわね」
言葉はそれだけ。だが、足は止まる。
セレナの笑みを見て、フェンはいつもそっぽを向いた。
市では、荷を抱えたセレナを見て、フェンは何も言わずに荷台を支えた。
門前では、検問の列が長いと、彼女の番をさりげなく早めた。
詰所の前では、何をするでもなく、同じ空を見上げて立ち話をした。
「今日は暑いな」
「ええ。森は、少し涼しいけれど」
「森か……」
そこで、フェンはそれ以上聞かない。
代わりに、別の話をする。
「東門のパン屋、知ってるか」
「焼き過ぎる癖があるところかしら?」
「そう、それだ。よく見た方がいい。四個に一個は焦げパンだ」
どうでもいい話ばかりだった。天気。街の噂。昼の鐘が遅れた理由。
互いの素性には、決して触れない。名を呼ぶ時ですら、どこか間を置いてしまう。
それでも、会話が終わるとき、二人は少しだけ名残惜しそうにする。
「……じゃあ」
「ええ。また」
その「また」に、約束はない。次がある保証もない。
それでも、背を向けて数歩進んだあと、同時に振り返ってしまうことが、何度かあった。
視線が合うと、フェンは視線を逸らす。
フェンは、耳の先をわずかに揺らし、セレナは、口元だけで微笑む。
それでも確かに、日々は、静かに重なっていた。
◇◇◇◇
魔女は、森の歩き方を知っている。
セレナは、ノクスグラート周辺の森を一人で歩いていた。人の踏み入れない深さであっても、その足取りに迷いはない。
湿った土の匂い。風が抜ける木々の間。薬草の香りを辿った。
魔物は、生き物が魔力を持つことで生まれる。
獣、植物。それらが魔力を帯び、歪み、異形と化した存在。
そして魔物は、生き物を喰らう。
生き物は大なり小なりあれど、魔力を持つ。
だから魔物は理性ではなく、本能によって生き物を食らうのだ。
だが、魔女は違う。
魔女は、魔力を消せる。存在そのものを、森に溶かす。
だからセレナは、森を一人で歩けた。魔物にとって、彼女は獲物にならない。そこにいると、認識されない。
それがあったからこそ、ヴァルディウス王国の兵に追われながらも、彼女は迷うことなく森へ入り、そして逃げ切ることができた。
セレナにとっては、それは当たり前のことだった。
だが、魔女でない者の目から見れば、理解できない異常であり、恐怖に値する奇跡だった。
◇◇◇◇
異変は、静かに始まった。
ノクスグラート近辺の森から、魔物が流れ込んできた。一体や二体ではない。群れだった。
最初は、夜だった。
遠吠えが、森の奥から聞こえる。
街の者たちは、獣だと思った。珍しいことではない、と。
だが、次の朝。
畑が荒らされ、柵がへし折られ、家畜が裂かれていた。
血の匂いが土に染み込み、肉は食い散らかされたまま放置されている。
獣のやり方ではなかった。
それが毎晩、少しずつ街へ近づいてくる。
見回りの松明が増え、門の開閉は早まり、夜更けの酒場は静まった。警備はしだいに固く厳重に。
「魔物だ」
「森が、怒ってる」
衛兵の出動が増えた。
昼は畑を守り、夜は森へ入る。交代制は崩れ、眠れないまま次の当番に立つ者もいた。
フェンも、連日森へ向かった。
血の匂いが染みついた革鎧。刃こぼれした剣。尾は垂れ、耳は休まることなく立ち続けている。
魔物は、獣の形をしていても獣ではない。動きは早く、痛みに鈍く、数で押してくる。力も強く、並の生き物のそれじゃない。
一体斬っても、すぐ次が来る。
「ちっ!」
フェンは歯を食いしばり、剣を振るった。
夜が明ける頃、ようやく追い払う。でも森は何事もなかったかのように静まり返る。
それが、何より不気味だった。
街に戻るたび、フェンは無意識に人の数を数える。昨日いた顔が、今日もいるかを確認する。
怪我人は増え、衛兵の欠員も出始めた。
それでも、誰も逃げ出さない。ここは、彼らの街だったからだ。その心の根には、街の人を守るという覚悟があった。
フェンは門の上から、暗い森を見下ろす。
胸の奥で、嫌な予感が膨らんでいた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!