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『あんな豚臭え女抱けるかよ。気持ち悪い』
ボイスレコーダーから聞こえる愛していたはずの夫の声。
『酷いな、一高のマドンナ捕まえといて』
『あー、女子高生の美香は最高だったな。現役女子大生の愛子も最高!』
私は海斗と愛子のやりとりにゾッとして、思わず嘔吐しそうになり口元を抑える。
「あの時、私たちのセックス見てたよね。もしかして、海斗が女子大生が良いって言ったから大学に入学したの? 海斗はあんたの初恋だもんね」
「えっ?」
私が二人の不貞の現場を見たのは先代の通夜の時だけだ。
私はあまりの光景に直ぐに逃げ出したが、愛子は私に見られたことに気が付いてたということだ。
「おばさんに頼まれて倉庫までメロン取りに来たんでしょ。私が代わりに運んで置いたら、おばさんがあんたの事をお使いさえできない無能な嫁だって笑ってたよ」
「⋯⋯いつから? いつからなの?」
「高一の冬、海斗とあんたが付き合い始めてからよ。体の関係は私の方が早かったわ。あんた、勿体ぶってなかなかヤラせなかったみたいじゃない。そういうお高く止まっているところが嫌われるのよ」
海斗はずっと私に優しかった。
少し違和感を感じ始めたのは、彼が私にプロポーズしてから。
彼が私を奴隷扱いするようになったのは結婚してからだ。
でも、彼が私を裏切っていたのは、殆ど最初からだったらしい。
だったら愛子と付き合えば良いのに、彼は私と付き合った。
それも、愛子と同じで私を咎める為だったのだろうか。
今はもうどうでも良い。
父から人を憎んではいけない、傷つけてはいけないと言われて来た。
皆、それぞれ自分の人生と闘っているから心を寄せて分かり合おうとしなければいけないと⋯⋯。
しかしながら、私は全く夫のことも愛子のことも理解していなかったらしい。
───理解する必要ない。二人とも悪魔だ。
「そう。でも、海斗が恋人に選んだもの結婚したのも私だよね。多分、愛子じゃ周りに自慢できないからだろうね」
私らしくない口撃に愛子が息を呑む。
私は自分で言った言葉に、自分で傷ついていた。
結婚なんて地獄行きの切符だった。海斗は私のことを好きじゃなくて、きっとファンクラブがあったような私を落として自尊心を高めたかっただけ。
もしかしたら、マリの言う通り父への復讐の為に私の心を奪っただけかもしれない。涙が出そうなのを目に力をいれて耐える。
耳元で「頑張れ」と栗山政治が囁いてきた。
彼は私の事なんて何も知らないのに、私の背中を押してくれている。
「何言ってんだか。高杉家の嫁なんて罰ゲームにハマってた癖に。私ね。今、商社マンと付き合ってるんだ。合コンであったんだけど奥沢に実家があるお金持ちなの」
「奥沢?」
私が首を傾げると愛子が呆れたように笑う。
「地方のスキー場のような地名だけど、世田谷区の高級住宅街だから。田園調布と自由が丘の間にあるのよ。私は都会のセレブになるの。あんたはド田舎で奴隷やってた方が幸せよ」
何だか愛子が私に対して対抗意識丸出しで、色々と気持ちが冷めてきた。
有名な高級住宅街とオシャレで有名な街の間にある知る人ぞ知る高級住宅街住みの彼氏を自慢されても私は困ってしまう。
私の価値観を彼女も全く理解していない。
私たちは一緒にいる時間が長かっただけでお互いを全く知らなかった訳だ。
彼女は「友達だと思ってたのに酷い! 海斗を返して!」と私に取り乱して欲しいのだろう。
だったら、私はその逆を行く。
「愛子の彼氏に興味はないけど、私、離婚するから不倫の慰謝料はちゃんと払ってね」
私は愛子の握っているボイスレコーダーを掴み奪い取る。
愛子は焦って私からボイスレコーダーを取り返そうとしたので、自分の長い腕を高らかに上げて取れないようにした。
「いくら美人でも片親、バツイチ、田舎者の三重苦のあんたに寄ってくる男なんてもういないんだから」
「元から、もう男は懲り懲りだし」
わざとあっけらかんと言うと、愛子は真っ赤になった。
地方出身、片親の何が悪いのか分からない。
私は茨城が好きだ。
都会のようにどこに行っても混んでいないし、地域の人との繋がりも強い。
唯一、田舎で苦手なのは片親を蔑むところ。もしかしたら、私の地元だけかもしれないが、片親の女と結婚してやったと何度言われたか分からない。色々な事情でシングルになった家庭に対して、ランク落ちみたいに見る風潮には嫌悪感しかない。
母親が亡くなっても、妹に対して母親代わりのようにしっかりしようとしてきた芹沢慎也。
あんなに仲の良い兄と妹を見た事がないが、それは彼が何より理想の家庭を作る為に頑張って来た証拠だと思う。
隣を見ると栗山政治が隣で電話をしている。
ここの場所を伝えているから誰かを呼ぼうとしているようだ。
彼に気を取られていたら、愛子にボイスレコーダーを取られてしまった。
「ふん! 身内になった先代の告別式にも出なかったあんたの言う事なんて誰が信じるか!」
愛子は鼻息荒く私を罵ってくる。
確かに彼女の言う通りだ。私は最も大切な場面で逃げ出した。
───でも、不倫する股緩る馬鹿女に蔑まれる覚えはないわ。
私が愛子に対して言い返そうとした時、見知らぬ男の人が現れた。
その人を見るなり、愛子が石のように固まる。
スーツ姿の一見誠実そうな見知らぬ男性は誰だろう。
「愛子、不倫してたって本当か?」
「雄介! 違うの。この女が私を嵌めようとしていて」
私を震える手で指差す愛子。
栗山政治が私に向かってウインクをする。
今、現れた男は先程の電話で栗山政治が呼んだ男だったようだ。
「不倫って、何のこと? 私はそんな不道徳なことしないよ。雄介が初めての人だし⋯⋯」
愛子は髪を忙しなくかきあげながら、泳いだ目で嘘を吐く。
栗山政治が自分のスマホを操作すると共に、音声が流れてきた。
『あんな豚臭え女抱けるかよ。気持ち悪い』
『酷いな、一高のマドンナ捕まえといて』
『あー、女子高生の美香は最高だったな。現役女子大生の愛子も最高!』
生々しい息遣いと音がするその音声は、何をしているか一発で分かる。
彼はどうやら先程のボイスレコーダーからの音声を自分のスマホに録音していたようだ。
「人様のお通夜で不貞行為してたらしいな! 浮気とかのレベルじゃなくて倫理観を疑うよ」
雄介と呼ばれていた愛子の彼氏だろう男が頭を抱えている。
彼は愛子の恋人みたいだけれども、彼と栗山政治は知り合いだったのだろうか。
「違うの雄介! これは、この女に嵌められただけなんだって。彼女である私を信じてよ」
愛子が私を指刺すと同時に、スマホを操作し雄介さんに何やら画像を見せていた。
「見て? この子って今は美人だけど、少し前は百トンデブの豚だったの。信じないよねー、こんな豚女のこと。私の音声も加工されて作られたんだよ。信じてよ! 私のこと好きでしょ!」
彼氏の手をぎゅっと握り、目を潤ませる愛子。
愛子の彼氏が私をチラリと見るのが分かった。
「そこに映ってる醜い豚は紛れもなく私です。そして、愛子が私の夫と長らく不倫してたのも事実です!」
私の言葉に愛子の彼氏が「最低だな。クズ女」と呟き立ち去る。
愛子はその場に泣き崩れた。
「何なの? 人の幸せ壊して何が楽しいのよ!」
泣き叫ぶ彼女を皆が注目している。
「私は何も楽しんでないよ。でも、愛子は私が苦しむのが楽しかったんだよね。ごめんね。私にとって愛子は最初から友達でもない眼中にない存在だったわ」
私は必死に去勢を張った。
私にとって彼女は親友で信頼できるパートナーだと思ってた。
しかし、彼女はそう思っていなくて私が傷つき倒れるのを望んでいる。
彼女の思い通りになりたくないのは私のプライドだ。
「瀬谷愛子さん。これからの話をしましょうか。結構、詰んでますよ、あなた⋯⋯世間は狭い。悪いことはできませんね」
栗山政治が愛子を見据えるように言う。
この時の私は彼を尊敬の念を込め見つめていた。
何度か偶然の出会いをしただけの男が弁護士で、絶体絶命の私の味方になってくれた。
世間知らずの私は彼の自信溢れる対応を手放しに賞賛した。
なぜ、彼が愛子の彼氏とまで知り合いだったのか深く考えられない程、頭の中は湧き立っていた。
都会の弁護士は有能で彼は非常に親切な男だと思っていた私は本当に世間知らずだ。
余裕の表情で笑う栗山政治に頭を抱えて戦意喪失する愛子。私はずっと私の敵だったフレネミー愛子を想定外の援護のお陰で潰せそうだ。自分を嘲笑ってきた人間を「ざまぁ」した事に感じる高揚感。その初めての感情は私の冷静な判断能力を奪っていった。
「世間は狭い」だなんて言葉で私の違和感は片付けられてしまった。
弁護士は依頼を受けてから、依頼人周辺について知る。ターゲットに近付く前に周りを知っているのは詐欺師。弁護士バッチや名刺など簡単に揃えられる小道具。
憧れてた都会は詐欺師だらけで、私たち田舎者は良いカモにされていた。
コメント
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読了しました。このエピソード、すごく重くて苦しいけど、最後にゾクッとする余韻が残りましたね。夫と愛子の裏切りが明らかになる流れは読んでいて辛かったですが、主人公が「理解する必要ない。二人とも悪魔だ」と割り切る瞬間は痛快でした。そして何より気になるのが、頼りになるはずの栗山政治。彼があまりに手際よく動くので、むしろ「これは何かある」と警戒してしまいます。弁護士バッジすら偽装可能──というラストの一文で、一気に物語の焦点が変わった感じがします。次が待ち遠しいです。