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夕暮れどき、坂道の上にぽつりと光る硝子灯館は、まるで煤けた空の裏側に浮いた星屑のようだった。
玄関脇のランプは白磁のように薄く、触れればたちまち罅が走ってしまいそうな気配を帯びている。そこへ、僕は招かれた。
館の主人は、“七曜博士”と名乗る、年齢の読めない男だった。
黒曜石のように光る瞳は、笑っているのか、僕をなめるように眺めているのか判然としない。
「君は、不思議が好きかい?」
博士のその問いは、夕闇よりも先に僕の心を覆った。
硝子灯館の内部は、外観以上に奇妙だった。
細く曲がりくねった廊下の壁一面に、少年のシルエットを象った紙片が貼られている。白い影のようなそれらは、どれも微妙に姿勢が異なり、まるで歩き出しそうに見えた。
「これらはね、昔ここに遊びに来た少年たちの“残響”なんだよ」
博士の声が、硝子に触れた羽のように微かに震えた。
僕は思わず問う。「残響って、、、、、、記録みたいなものですか?」
「いや。もっとーーー生々しいものさ」
そのとき、廊下の奥で、かすかに“ふっ”と呼吸の気配がした。
白い紙片が一枚、風もないのに震え、壁からゆっくりと剥がれ落ちる。
博士は唇を歪めて笑った。
「この館に長くいると、自分の形を置いていきたくなる。
君もいずれ、そうなるかもしれないね」
僕は背筋が冷えるのを感じながらも、奇妙な魅力に逆らえず、紙片を拾い上げた。
そこには、僕自身としか思えない横顔の影が刻まれている。
「、、、、、、これは、いつの僕ですか?」
「今夜の。まだ、君が知らない君だよ」
硝子灯の光が、影絵となった“未来の僕”を淡く照らす。
どこかで、小さく笑う声がした。
僕のものに似て、けれどほんの少しだけ幼い声。
振り向くと、廊下の向こうに少年がいた。
淡い硝子色の瞳を持つ、僕の“残響”だった。
彼は静かに言う。
「帰るなら、今のうちだよ。硝子が夜を吸い始めると、外へ出られなくなるから」
その声はどこか優しく、どこかで僕自身がささやいているようでもあった。
外の闇は深まり、硝子灯館は星座のようにきらめきながらひっそりと呼吸している。
僕は紙片を胸に抱き、ひとつ深呼吸した。
残響になるべきかーーー
それとも、この夜の前で引き返すべきか。
館のランプが、ぱちりと微かな音を立てた。
それは、選択を急かす心臓の鼓動にも似ていた。