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第2話、読み終えました!体育祭の練習を軸に、奏斗先生と先生方の距離が少しずつ縮まっていくのが本当に甘くて良かったです💕 特に二人三脚の場面が胸にきました。「せーの」で息を合わせて走るシーン、それで渡会先生が「今日はもう十分幸せです」って呟くところが…もう最高でした。奏斗先生が無自覚なまま「先生方と一緒に楽しめるだけで十分楽しみです」って言うのが、周りの先生たちを固まらせる展開もツボです。 あと、渡会先生がスポーツドリンクを頬に当ててくれたり、寝癖を直してくれたり、細かい気遣いの積み重ねにドキドキしました。セラフ先生の顎クイシーンは予想外で、思わず「おおっ」と声が出ましたね。 次回の体育祭本番が楽しみです!奏斗先生が鈍感なままなのか、それとも少しずつ気付いていくのか、そのバランスが絶妙で続きが待ち遠しいです🌷
はじめに前回渡会を高等部の体育教師にしてましたがそれは私の完全にミスで本当は中等部の体育教師です!!間違えてしまって申し訳ございませんでした🙇♀️
本編⬇⬇…
「体育祭……ですか?」
目の前にいる先輩教師へ、思わずそう尋ねた。
「ええ。この学校は中高一貫校ですから、毎年とても盛り上がる学校行事なんですよ。」
そう言いながら、四季凪先生は眼鏡をかけ直し、静かに僕へ視線を向けた。
「奏斗先生は初めてでしたよね。覚悟しておいた方がいいですよ。今年は特に、先生方も参加する──」
「借り物競争、ですよね。」
「……!」
不意に肩へ重みを感じる。
振り向くと、いつの間にかセラフ先生が僕の後ろに立っていて、両手をそっと肩に添えていた。
「セラフ先生。」
「失礼しました。」
穏やかに微笑みながらも、その手は肩に置かれたままだ。
……少し距離が近いような気もする。
ひとまず、そのことは置いておいて、気になっていたことを尋ねることにした。
「どうして先生まで参加することになったんですか?」
僕がそう聞くと、セラフ先生は目を細め、優しく説明してくれた。
「最近は安全面への配慮もあって、体育祭が午前中で終わる学校も増えているんですよ。以前は危険な競技もありましたからね。」
なるほど、と頷きながら話の続きを待つ。
「ですが、この学校では『もっと体育祭を盛り上げたい』という声がありまして。そこで生徒会から『先生方にも参加していただければ、さらに盛り上がるのではないか』という提案が出たんです。」
「それがきっかけで、先生方も借り物競争に参加するようになったんですよ。」
「そうだったんですね。」
丁寧な説明に、思わず小さく拍手を送る。
「ありがとうございます。よく分かりました。」
「お役に立てたなら何よりです。」
セラフ先生は嬉しそうに微笑んだ。
その様子を見ていた四季凪先生が、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば、奏斗先生。」
「はい。」
「借り物競争の詳しいルールは、もう渡会先生から聞いていますか? ほら、あの人は体育教師ですから、生徒会が作成したルールの確認や修正も担当しているんですよ。」
……あれ。
いつから四季凪先生は「奏斗先生」と呼ぶようになったんだろう。
まあ、今は気にしなくてもいいか。
「いえ、まだ伺っていません。」
「そうなんですか。」
セラフ先生は少し意外そうに目を丸くした。
「渡会先生のことですから、一番に教えているものだと思っていました。」
くすっと笑うセラフ先生との距離は相変わらず近く、その吐息が少しだけ頬にかかって、くすぐったかった。
そんなふうに三人で話していると──
「奏斗せんせーーー!!」
「わっ!?」
職員室の入口から勢いよく声が響く。
見れば、噂をしていたばかりの渡会先生がこちらへ向かって大きく手を振っていた。
……そんなに大きな声で呼ばなくても。
周りの先生方の視線まで集まってしまい、少しだけ居心地が悪い。
「渡会先生、どうかしましたか?」
「奏斗先生! ついに先生たちが参加する借り物競争のルールが決まりました!」
息を弾ませながら渡会先生は笑顔を浮かべる。
「細かいところも説明しますから、ぜひ見てください!」
そう言って、一枚のプリントを大事そうに僕へ差し出した。
────────────────────────────
「……えぇっと。」
僕はルールが書かれたプリントにもう一度目を落とす。
「つまり、世代が近い先生同士で対戦して、借りるものは『物』だけじゃなく『人』も含まれる……ということですか?」
「そういうことです!! さすが奏斗先生!」
渡会先生は満面の笑みを浮かべながら、大きく頷いた。
……あれ。
渡会先生も、いつの間にか「奏斗先生」って呼ぶようになってる。
仲良くなったってことでいいのかな……。
「まあ、内容としては一般的な借り物競争とあまり変わりませんね。」
四季凪先生が冷静にまとめる。
「そうですね。」
僕も納得して頷く。
「細かいルールが追加されているくらいで、そこまで難しくはなさそうです。」
「まあ、分かりやすい方がええやん!!」
渡会先生は明るく笑いながらそう言った。
「その方が先生も生徒も思いっきり楽しめますし!」
「僕が出場するとなると……相手は、おそらく先生方ですよね。」
「そうですね!! 今から楽しみです!」
渡会先生は嬉しそうに笑う。
「まあ、私たち三人は確定で同じ組になりそうですね。同い年ですし。確か、四人編成でしたよね?」
四季凪先生がプリントを見ながら確認する。
「ええ。四人で出場ですね。」
セラフ先生が頷いた。
「ただ、この学校の先生方は奇数ですから……どこか一組は三人になるかもしれませんね。」
「なるほど……。」
僕はもう一度プリントへ目を落とした。
「そう考えると、組み合わせは当日まで分からなさそうですね。」
「でも。」
僕は三人の先生方を見渡しながら、小さく微笑んだ。
「先生方と一緒に楽しめるだけで、僕は十分楽しみです。」
「「「……。」」」
三人が同時に言葉を失う。
「あれ……?」
僕は首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「な、なななな何でもありません!!」
渡会先生が顔を真っ赤にしながら勢いよく首を振る。
「いえ……。」
四季凪先生は咳払いを一つして視線を逸らした。
「お気になさらないでください。」
セラフ先生だけが、いつもどおり穏やかに微笑んでいる。
「……?」
僕は三人を見比べて首を傾げた。
「はぁ……そうですか。」
すると、その様子を見ていた周りの先生方が、小声で話し始める。
「風楽先生も罪な方ですね。」
「ええ。本当に罪作りですよ。」
「本人はまったく気付いていませんけどね。」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
すると、近くにいた先生が苦笑しながら僕に声をかけた。
「無自覚というのは、ときに罪ですよ。風楽先生。」
「……?」
何のことだろう。
「すみません。」
思わず頭を下げると、その先生は慌てて手を振った。
「あっ、そんなに真剣に謝らなくても大丈夫ですよ。」
くすっと笑いながら、先生は三人へ視線を向ける。
「全部、あちらのヘタレ教師たちが悪いだけですから。」
「ちょっ、先生!!」
渡会先生が思わず声を上げる。
すると四季凪先生が眼鏡を押し上げながら、静かに口を開いた。
「渡会先生。そこまで大きな声を出せるのでしたら、もう少し頑張ってみてはいかがですか?」
「うっ……。」
「……とはいえ。」
セラフ先生は苦笑した。
「俺たちも、人のことは言えませんけどね。」
「それもそうですね。」
誰かがそう呟くと、職員室には穏やかな笑いが広がる。
ただ一人、事情を知らない僕だけが首を傾げていた。
そして、その日の三時間目。
二年二組は体育祭の練習のため、グラウンドへ出ていた。
「あれ?」
渡会先生が不思議そうに僕を見た。
「奏斗先生、二年二組の練習を見に行くんですか?」
「はい。」
僕は頷く。
「せっかくですし、少し様子を見に行こうと思いまして。」
そう言ってから、渡会先生へ視線を向ける。
「渡会先生、ご一緒してもよろしいですか?」
「……っ!!」
一瞬目を見開いた渡会先生は、ぱっと表情を明るくした。
「もちろんです!!」
「ありがとうございます。」
「じゃあ、一緒に行きましょう!」
渡会先生はどこか嬉しそうに歩き出す。
……そんなに喜ぶことだったのかな。
少し不思議に思いながらも、僕はその後を追って職員室をあとにした。
「今日は男女混合で練習するんですよ!」
グラウンドへ向かいながら、渡会先生が楽しそうに説明する。
「体育祭の練習って、どこの学校もこんな感じなんですけどね!」
「へぇ。」
僕は興味深そうに頷いた。
「今回は何をするんですか?」
「えっと、今日は学年競技の二人三脚を練習した後に、男女別リレーをやります!」
渡会先生は指を折りながら説明を続ける。
「それで、時間が余ったら最後に玉入れですね!」
「なるほど。」
思った以上に盛りだくさんだ。
「忙しそうですね……。僕も何かお手伝いしましょうか?」
「いえ!!」
渡会先生は勢いよく首を振った。
「奏斗先生はテントの下で見ていてください!」
「え?」
「奏斗先生、肌が白いじゃないですか!」
渡会先生は真剣な表情で続ける。
「それに万が一、熱中症にでもなったら大変ですから!」
その必死な様子に、思わず笑みがこぼれる。
「ふふ、」
「僕のことを、そんなに心配してくださるんですね。」
「ありがとうございます、渡会先生。」
「…………。」
渡会先生は一瞬固まり、みるみるうちに耳まで赤くなっていった。
……暑いのかな。
職員室へ戻ったら、僕のハンディファンを貸してあげよう。
そんなことを考えていると、
「あっ、もう生徒たちが集まっていますよ。」
グラウンドへ目を向ける。
「渡会先生、行かなくても大丈夫ですか?」
「……っ!!」
渡会先生は我に返ったように目を瞬かせた。
「あっ、え、はい!! 行ってきます!!」
慌ただしく生徒たちのもとへ駆けていく。
少し離れた場所から、
「はい、準備運動始めるぞー!」
という渡会先生の元気な声が聞こえてきた。
その様子を眺めていると、不意に隣から声がかかる。
「お疲れ様です、風楽先生。」
「あっ、お疲れ様です。」
振り向くと、そこには女子体育を担当している女性教師が立っていた。
「渡会先生とは、仲が良いんですね。」
「はい。」
僕は素直に頷く。
「赴任してから、よく気にかけていただいています。」
「ふふ、それは知っていますよ。」
先生は優しく笑った。
「毎日同じ職員室にいますから。」
「はは……。」
少し照れくさくなり、頬をかく。
「恥ずかしいですね。」
「でも。」
先生はグラウンドで生徒たちに指示を出している渡会先生へ視線を向けた。
「渡会先生、本当にいい方ですよ。」
「そうですね。」
僕も自然と頷く。
「それに、風楽先生とは相性も良さそうですし。」
「……?」
どういう意味だろう。
「そう、ですか?」
きょとんと首を傾げる僕を見て、先生は思わず苦笑した。
「……想像以上に手強いですね。」
「個人的には、渡会先生を応援しているんです。」
女性教師は小さく笑う。
「だから、少しだけ背中を押そうと思っただけですよ。」
「……?」
僕は首を傾げた。
「そう、なんですか……。」
「ええ。」
それ以上、先生は何も言わなかった。
遠くのテントから、生徒たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
やっぱり、学生っていいな。
体育祭の練習でさえ全力で楽しめる、その限られた時間はとても尊いものに思えた。
……僕も、少し前までは学生だったんだけどな。
そんな懐かしい記憶が、ふと頭をよぎる。
穏やかな風が頬を撫で、僕はゆっくりと空を見上げた。
汗ばんだ肌を風が優しく冷ましてくれる。
その心地よさに目を細めた、その時だった。
――ひんやりとした冷たい感触が、不意に左頬へ触れた。
「ひゃっ……!?」
思わず肩を震わせて振り向く。
「わっ、ご、ごめんなさい!」
そこには、慌てた様子の渡会先生が立っていた。
右手には、よく冷えたスポーツドリンクのペットボトル。
「あの、暑そうだったので……。」
「頬に当てたら少しは涼しいかなって思って。」
照れくさそうに頭をかく渡会先生。
「あ……。」
なるほど。
さっきの冷たい感触は、このペットボトルだったのか。
「ありがとうございます。」
受け取ってみると、ひんやりとした冷たさが手のひらに心地よく伝わってくる。
「ちょうど少し暑いなと思っていたところでした。」
「本当ですか!?」
渡会先生の表情がぱっと明るくなる。
「それならよかったぁ……。」
胸をなで下ろす姿に、思わず笑みがこぼれた。
「ふふ。」
「渡会先生って、本当によく周りを見ていますよね。」
「えっ!?」
「気遣いがお上手です。」
素直にそう伝えると、渡会先生は固まった。
「……。」
「渡会先生?」
「だ、大丈夫ですか?」
顔を覗き込むと、耳まで真っ赤になっている。
「だ、大丈夫ですっ!!」
勢いよく一歩後ずさる渡会先生。
「ちょ、ちょっと水分補給してきます!!」
「え?」
「俺がです!!」
そう言い残し、渡会先生は逃げるようにグラウンドの方へ走っていった。
「……?」
僕はペットボトルを見つめ、それから渡会先生の背中へ視線を移す。
「熱中症じゃなければいいんだけど……。」
そんな心配をしながらキャップを開け、一口だけスポーツドリンクを口に含んだ。
遠くでは、生徒たちの元気な掛け声が青空へ響いていた。
「はい、それじゃあ二人三脚の練習を始めるぞー!」
渡会先生のよく通る声がグラウンドに響く。
「まずはペアを作ってー! 足を結ぶ人は慌てなくていいからな!」
「はーい!」
生徒たちは元気よく返事をし、それぞれ友達とペアを組み始める。
僕はテントの下から、その様子を静かに見守っていた。
「青春ですね。」
思わずそんな言葉が漏れる。
転びそうになって笑い合う生徒。
「もっと息合わせて!」と声を掛け合う生徒。
悔しそうに何度も挑戦する生徒。
どの表情も、生き生きとしていて眩しかった。
「奏斗先生。」
「はい?」
隣にいた女子体育担当の先生が、小さく笑う。
「先生も、ああいう頃があったんですよ。」
「そうですね。」
僕は苦笑する。
「つい最近まで学生だったはずなんですけど、不思議ですね。」
「教師になると、急に見る側になりますから。」
「……ええ。」
その言葉に、静かに頷いた。
グラウンドでは、渡会先生が生徒の足元へしゃがみ込んでいた。
「結び方はこう! きつすぎても歩きにくいし、緩すぎても危ないからな!」
一人ひとりの紐を確認しながら、丁寧に教えている。
「渡会先生、優しいね。」
「去年も最後まで付き合ってくれたもん。」
「相談も聞いてくれるし。」
そんな生徒たちの声が風に乗って聞こえてきた。
……やっぱり。
渡会先生は、生徒からも信頼されているんだ。
自然と頬が緩む。
「本当に、いい先生ですね。」
僕がぽつりと呟くと、女子体育担当の先生は意味ありげに微笑んだ。
「ええ。」
「風楽先生がそう思うなら、きっと渡会先生も喜びますよ。」
「そうでしょうか?」
「ええ、とても。」
先生はそれ以上何も言わず、楽しそうにグラウンドへ視線を向けた。
その時だった。
「よーい、スタート!」
渡会先生の合図とともに、一斉にペアが走り出す。
「きゃー!」
「ちょっ、速い速い!」
「あはは!」
あちこちで笑い声が響き渡る。
しかし、その中で一組だけ足がもつれ、大きくバランスを崩した。
「危ない!」
渡会先生はすぐさま駆け寄り、生徒を支える。
「大丈夫か?」
「はい! すみません!」
「謝らなくていい。転ぶことも練習のうちだからな。でも、無理だけはするなよ。」
優しく声を掛ける渡会先生に、生徒たちは安心したように笑顔を見せた。
その姿を見て、僕は改めて思う。
……この人が教育係で、本当によかった。
胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じながら、僕は再びグラウンドへ目を向けた。
すると不意に僕たちに向けた声が聞こえた。
「風楽先生と渡会先生も、お手本として二人三脚をしてみてはいかがですか?」
女子体育担当の先生が、くすりと笑いながら提案する。
「……っ。」
その一言に、渡会先生の肩がぴくりと跳ねた。
「お、お手本ですか!?」
「はい。」
先生はにこりと微笑む。
「生徒たちも分かりやすいでしょうし。」
「僕は大丈夫ですよ。」
僕は迷うことなく頷いた。
「お手本になるのであれば、お引き受けします。運動にはそれなりに自信がありますので。」
「奏斗先生……。」
渡会先生は固まったまま、僕を見つめている。
「渡会先生?」
「えっ!? は、はい!!」
「ご迷惑でしたか?」
「と、とんでもないです!!」
ぶんぶんと勢いよく首を振る。
「俺でよければ、ぜひお願いします!!」
「ありがとうございます。」
僕が微笑むと、渡会先生はまた顔を真っ赤にした。
その様子を見ていた女子体育担当の先生は、小さく笑みをこぼす。
「ふふ。」
「やっぱり、応援したくなりますね。」
一方、グラウンドでは二年二組の生徒たちがこちらに気付き始めていた。
「あれ?」
「風楽先生と渡会先生、何するんだ?」
「まさか、お手本!?」
そんな期待の声が、少しずつ二人の周りへ集まっていく。
「それでは、お手本をお願いします!」
女子体育担当の先生の声がグラウンドに響く。
僕と渡会先生はスタートラインへ並んだ。
「準備はいいですか?」
「は、はい!」
渡会先生は深呼吸を一つする。
「では。」
僕は隣へ視線を向ける。
「渡会先生。」
「はい!」
「せーので、一歩目を合わせましょう。」
「わ、分かりました!」
「よーい……。」
一瞬、グラウンドが静まり返る。
「スタート!」
「せーの!」
最初の一歩。
二人の足がぴたりと揃う。
「おぉ!」
生徒たちから歓声が上がった。
そのまま二歩、三歩とリズムを崩すことなく前へ進む。
「すごっ!」
「めっちゃ息合ってる!」
「先生たち速い!」
渡会先生も驚いたように僕を見た。
「奏斗先生、合わせるの上手ですね!」
「渡会先生がリズムを取りやすくしてくださっているおかげですよ。」
「えっ……。」
その一言だけで、渡会先生は耳まで赤くなる。
「そ、そんなことないです!」
「ありますよ。」
僕は穏やかに笑った。
「とても走りやすいです。」
「…………。」
渡会先生は何かを言おうと口を開くが、言葉にならない。
「わー!」
「渡会先生、照れてるー!」
「顔真っ赤!」
「頑張れー!」
生徒たちの声援に、渡会先生はさらに慌てた。
「お、お前ら静かにしろー!」
「はーい!」
返事だけは元気だが、笑い声は止まらない。
そんな様子を見て、僕も思わず笑みをこぼした。
「ふふ。」
その笑顔を見た渡会先生は、一瞬だけ動きを止めそうになり——
「渡会先生。」
「あっ!」
「前です。」
「あ、危ない!」
慌てて体勢を立て直し、二人はそのままゴールまで駆け抜けた。
「ゴール!」
拍手がグラウンドいっぱいに響く。
「すごーい!」
「先生たち速かった!」
「お手本完璧じゃん!」
二人三脚用のベルトを外しながら、僕は安堵の息をつく。
「無事に終わりましたね。」
「はい……。」
渡会先生はまだ少し頬を赤くしたまま、小さく笑った。
「俺、今日はもう十分幸せです……。」
「?」
その言葉の意味が分からず首を傾げる僕を見て、生徒たちはまた楽しそうに笑うのだった。
その後も二人三脚やリレー、玉入れの練習は滞りなく進み、体育祭の練習は無事に終了した。
「ありがとうございましたー!」
二年二組の元気な挨拶がグラウンドに響く。
「お疲れさま。」
そう返してから、僕は渡会先生と一緒に職員室へ戻ることにした。
「今日はありがとうございました。」
歩きながらお礼を伝えると、渡会先生は照れくさそうに笑う。
「い、いえ! 俺も楽しかったです!」
「また時間が合えば見に来てください!」
「はい。その時はよろしくお願いします。」
そんな会話を交わしながら職員室の扉を開ける。
「ただいま戻りました。」
「失礼します。」
すると――。
「風楽先生。」
聞き慣れた穏やかな声がした。
振り向くと、セラフ先生がいつの間にか僕のすぐそばに立っていた。
「お疲れさまです。」
「ありがとうございます。」
「少し、お時間よろしいですか?」
「はい。もちろんです。」
セラフ先生はにこりと微笑む。
「二人三脚、お疲れさまでした。」
「見ていらしたんですか?」
「ええ。」
さらりと頷く。
「ちょうど化学室で三年生の実験準備をしていたんですが、窓からグラウンドがよく見えるんですよ。」
「ああ、そうだったんですね。」
だから見えていたのか。
納得していると、セラフ先生は少しだけ目を細めた。
「渡会先生と息がぴったりでしたね。」
「そうでしょうか?」
「ええ。」
「とても楽しそうに見えました。」
「そう言っていただけると嬉しいです。」
「それに。」
セラフ先生は少し身を屈め、僕と目線を合わせる。
「渡会先生と、随分仲良くお話しされていましたね。」
「はい。」
僕は素直に頷いた。
「ルールも教えていただきましたし、今日はずっとお世話になっていました。」
「……そうですか。」
穏やかな笑顔は崩さない。
それでも、どこか納得していないようにも見える。
「二人三脚の時も、とても息が合っていました。」
「渡会先生が合わせてくださったので。」
「それに、スポーツドリンクまで渡されていましたよね。」
「はい。」
「熱中症を心配してくださったみたいで。」
「……なるほど。」
「本当に優しい先生ですよね。」
僕がそう言うと、セラフ先生は一瞬だけ言葉を失った。
「……。」
「セラフ先生?」
「いえ。」
小さく笑みを浮かべる。
「少し、質問しすぎてしまいましたね。」
「気になったもので。」
「そうだったんですか。」
何のことだろう。
首を傾げる僕を見て、少し離れた場所では渡会先生が落ち着かない様子でこちらをちらちらと見ていた。
その姿を見たセラフ先生は、小さくため息をつく。
「……これは、なかなか手強いな。」
その呟きは、風に紛れて一部の人間しか聞こえなかった。
「セラフ先生。」
「はい?」
「何が手強いんですか?」
僕が素直に尋ねると、セラフ先生は一瞬だけ目を丸くした。
そして、ふっと優しく笑う。
「秘密です。」
「そうですか。」
それ以上聞くこともなく、自分の机へ向かおうとした、その時だった。
「おや。」
聞き慣れた落ち着いた声が職員室に響く。
「体育祭の練習は終わったようですね。」
振り向くと、四季凪先生が教材を抱えたままこちらへ歩いてきた。
「お疲れさまでした。」
「四季凪先生、お疲れさまです。」
「二年二組の様子はいかがでしたか?」
「皆さん、とても楽しそうでした。」
僕は今日の様子を思い出しながら答える。
「二人三脚もリレーも、一生懸命取り組んでいて。」
「それは何よりです。」
四季凪先生は静かに頷く。
すると、その横から渡会先生が勢いよく割って入ってきた。
「二組のみんな、すごく頑張ってましたよ!」
「転んでもすぐ立ち上がるし、声もよく出てました!」
「本番が楽しみですね。」
「ええ。」
僕も自然と笑みを浮かべる。
「きっと、いい体育祭になります。」
その笑顔を見た三人は、ぴたりと動きを止めた。
「「「……。」」」
「……?」
まただ。
どうして皆、急に固まるんだろう。
「皆さん、どうかしましたか?」
「い、いえ!」
渡会先生は慌てて首を振る。
「何でもありません!」
「そうですか?」
不思議に思いながらも席へ座ろうとすると、四季凪先生がぽつりと呟いた。
「……これは。」
「思っていた以上に重症ですね。」
「ええ。」
セラフ先生も苦笑する。
「ここまで無自覚だとは思いませんでした。」
「本人は幸せそうですけどね。」
三人は顔を見合わせ、小さくため息をついた。
もちろん、その会話は奏斗には聞こえていない。
本人は今日の体育祭の練習を思い返しながら、机の上に置いたプリントを一枚ずつ整理していた。
「体育祭まで、あと少しですね。」
その何気ない一言に、三人はまた同じことを思う。
――体育祭、本当に大丈夫だろうか。
そんな心配とは裏腹に、職員室には今日も穏やかな時間が流れていた。
「体育祭まで、あと少しですね。」
僕が何気なくそう呟くと、職員室にいた先生方もそれぞれ頷いた。
「今年も賑やかになりそうですね。」
「去年以上になるかもしれません。」
「楽しみやなぁ!」
渡会先生は椅子にもたれながら笑う。
「今年は奏斗先生もいますし!」
「僕ですか?」
思わず自分を指差す。
「はい!」
渡会先生は迷いなく頷いた。
「絶対盛り上がります!」
「そう言っていただけるのは嬉しいですが……。」
苦笑しながら席へ座る。
「皆さんのお役に立てるよう頑張ります。」
その言葉に、三人は顔を見合わせた。
「……。」
「……。」
「……。」
まただ。
最近、この三人はよく固まる。
「どうかしましたか?」
「いえ。」
四季凪先生は咳払いを一つした。
「少し思っただけです。」
「何をですか?」
「……。」
四季凪先生は一瞬だけ言葉を止める。
すると、その代わりにセラフ先生が穏やかに口を開いた。
「風楽先生。」
「はい。」
「誰かに『一緒にいてほしい』と言われたら、どう思いますか?」
「……?」
突然の質問だった。
「そうですね。」
少し考える。
「頼りにしていただけているのかな、と思います。」
「それだけですか?」
「はい。」
即答だった。
「教師同士ですし、お互い助け合うのは当然だと思いますので。」
「……。」
職員室が静まり返る。
渡会先生は額に手を当て、その場にしゃがみ込んだ。
「渡会先生?」
「だ、大丈夫です……。」
「少し頭が……。」
「熱中症ですか!?」
慌てて立ち上がる。
「待っていてください。」
机の引き出しから、自分のハンディファンを取り出した。
「これ、使ってください。」
「えっ。」
「今日暑かったですし。」
渡会先生の手にハンディファンを握らせる。
「無理は禁物ですよ。」
「奏斗先生……。」
渡会先生は目を丸くしたまま固まっていた。
「返すのは明日でも構いませんから。」
「…………。」
「渡会先生?」
「……ありがとうございます。」
渡会先生は小さくそう呟く。
その耳は、また真っ赤だった。
その様子を見た四季凪先生は、静かに眼鏡を押し上げる。
「セラフ先生。」
「はい。」
「これは、もう応援するしかありませんね。」
「ええ。」
セラフ先生も苦笑しながら頷いた。
「渡会先生。」
「頑張ってください。」
「二人とも今言う!?」
渡会先生が真っ赤な顔で立ち上がる。
職員室には笑い声が広がる。
ただ一人。
「……?」
僕だけが、何がそんなに面白いのか分からず首を傾げていた。
けれど――。
自分の席へ戻ろうとした時、ふと足を止める。
……そういえば。
『一緒にいてほしい』って、どういう意味だったんだろう。
さっきのセラフ先生の質問が、不思議と頭から離れない。
今までなら気にも留めなかったはずなのに。
胸の奥に、小さな引っ掛かりだけが残っていた。
「────これで授業を終わります。」
教科書を閉じ、教卓の前に立つ。
「ありがとうございました。」
「ありがとうございましたー!」
生徒たちが席を立ち始める。
その時だった。
「ねぇ、先生。」
一人の女子生徒が、にやりと笑いながらこちらを見た。
「はい?」
「先生って、あの先生たちと仲良いよね。」
「あの先生たち?」
「ほら、渡会先生とか、四季凪先生とか、セラフ先生!」
「ああ。」
僕は小さく頷いた。
「皆さんには赴任してから本当によくしていただいています。」
「だよねー。」
「でもさ。」
別の女子生徒も会話に加わる。
「渡会先生なんて、先生のことめっちゃ見てるよね。」
「え?」
「体育祭の練習の時もずっと風楽先生のこと気にしてたじゃん!」
「プリント届けに来た時もそうだったし!」
「職員室でもいつも一緒にいるしねー。」
「えっと……。」
そんなふうに見えていたんだ。
少し驚きながら答える。
「教育係ですから。」
「またそれだー!」
「先生、鈍すぎ!」
教室に笑い声が広がる。
「鈍い……ですか?」
「うん!」
女子生徒は即答した。
「絶対、先生気付いてないもん!」
「何にでしょう?」
「そこ!」
「そこなんだよ!」
今度は男子生徒まで笑い始める。
「風楽先生、天然すぎる!」
「渡会先生かわいそー!」
「おい、お前それ本人に言うなって!」
「はは……。」
苦笑しながら教卓の上を片付ける。
「皆さん、変なことを言いますね。」
「変じゃないってー!」
生徒たちの笑い声を背に、僕は教材を抱えて教室を出た。
廊下を歩きながら、ふとさっきの会話を思い返す。
『渡会先生なんて、先生のことめっちゃ見てるよね。』
……そうなのかな。
今まで気にしたこともなかった。
でも、今日だけで何人もの人に同じようなことを言われた気がする。
「……気のせい、ですよね。」
小さく呟く。
そう自分に言い聞かせながらも、その言葉は胸のどこかに引っ掛かったままだった。
……なんだろう。
さっき生徒たちに変なことを言われたせいで、今日は一日中、三人の行動が気になってしまう。
今朝だって、その時は何とも思わなかったのに。
────朝。
「奏斗先生。」
「はい?」
「寝癖、ついてますよ。」
渡会先生が僕の前へ立ち、優しく笑う。
「直しますので、じっとしてください。」
「え、本当ですか?」
思わず後頭部へ手を伸ばす。
「ありがとうございます。」
「珍しいっすね。」
渡会先生はくすっと笑った。
「奏斗先生が寝癖つけてくるなんて。」
「少し寝坊してしまいまして……。」
苦笑しながら答えると、
「意外と抜けてるところがあるんですね。」
四季凪先生が眼鏡を押し上げる。
「……可愛らしいです。」
「……それ、褒めてませんよね。」
「褒めていますよ。」
セラフ先生まで穏やかに頷く。
「そういう一面も、風楽先生らしくて素敵だと思います。」
「そういうものですか……。」
その時は、ただ笑って受け流した。
────回想終了。
「…………。」
廊下の真ん中で足が止まる。
「だあああぁぁぁぁっ!!」
思わず頭を抱える。
「な、何で今になって思い出すんだ……!!」
顔が熱い。
恥ずかしい。
「誰か……。」
誰でもいい。
「僕を叩いて止めて………。」
しゃがみ込みそうになるのを必死で堪える。
……今朝は普通だと思っていた。
でも、生徒たちの言葉を聞いたあとで思い返すと。
寝癖を直してもらって。
可愛いなんて言われて。
あれって。
「…………いや、違う違う。」
ぶんぶんと首を振る。
「先生方、僕を気遣ってくださっているだけだ。」
そうだ。
きっと、それだけ。
……そう思いたいのに。
胸の奥のもやもやは、なかなか消えてくれなかった。
「……落ち着け。」
深呼吸を一つ。
うん、大丈夫。
きっと生徒たちが変なことを言うから、僕まで変に考えてしまっただけだ。
そう、自分に言い聞かせる。
「風楽先生?」
「っ!」
突然後ろから声を掛けられ、思わず肩を震わせた。
振り返ると、そこには四季凪先生が立っていた。
「どうしました?」
「い、いえ!」
慌てて首を横に振る。
「何でもありません。」
「そうですか?」
四季凪先生は僕の顔をじっと見つめる。
「……少し顔が赤いようですが。」
「そ、そうですか?」
無意識に自分の頬へ触れる。
熱い。
やっぱり熱い。
「少し暑くて……。」
苦しい言い訳だとは思ったけれど、それしか思いつかなかった。
「今日はそこまで暑くありませんよ。」
「……。」
ですよね。
自分でもそう思います。
「風邪でしょうか。」
四季凪先生が一歩近付く。
「失礼します。」
そう言って、そっと僕の額へ手を添えた。
「っ!?」
ひんやりとした手の温もりに、心臓が一瞬だけ跳ねる。
「熱はなさそうですね。」
「……あ、ありがとうございます。」
「ですが、無理は禁物ですよ。」
「はい。」
ちょうどその時だった。
「奏斗先生!」
廊下の向こうから元気な声が響く。
渡会先生だった。
「探しました!」
「渡会先生?」
「これ!」
僕の前まで来ると、一冊のノートを差し出す。
「二年二組に置きっぱなしでしたよ!」
「あ。」
確かに、僕の授業用ノートだ。
「ありがとうございます。」
受け取ろうと手を伸ばした、その瞬間。
四季凪先生の手と、渡会先生の手が触れそうになる。
「……。」
「……。」
一瞬だけ、二人の視線が交わった。
静かな火花が散ったような空気になる。
「えっと……。」
僕だけが状況を理解できず、二人を見比べる。
そこへ、さらに穏やかな声が聞こえた。
「皆さん、こちらにいらしたんですね。」
セラフ先生だった。
三人が揃った瞬間、廊下の空気がどこか張りつめる。
「風楽先生。」
セラフ先生は優しく微笑む。
「今日は授業、お疲れさまでした。」
「ありがとうございます。」
「少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
「もちろんです。」
そう答えた瞬間。
「「「……。」」」
なぜか三人が同時に顔を見合わせた。
……まただ。
最近、この三人は本当に様子がおかしい。
そんなことを考えていると、廊下の向こうを歩いていた女子生徒たちのひそひそ話が耳に入る。
「あっ、また三人とも風楽先生のところにいる。」
「ほんとだ。」
「なんかもう、取り合いみたい。」
「風楽先生、絶対気付いてないよね。」
「うん、あれは気付かない。」
その言葉に、僕の足がぴたりと止まる。
――取り合い。
また、その言葉だ。
今日だけで何度聞いただろう。
僕は目の前にいる三人へ視線を向ける。
渡会先生は僕を見て笑っている。
四季凪先生は静かにこちらを見守っている。
セラフ先生はいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべている。
……本当に。
ただ、仲が良いだけ……なんだよね?
その疑問だけが、静かに胸の中へ残り続けていた。
「もうやだぁぁ……。」
放課後の職員室に、情けない声が小さく響く。
普段ならまだ何人も先生が残っている時間だが、今日は会議や部活動の関係で人が少ない。
今、この職員室にいるのは――僕と、もう一人だけだった。
「風楽先生。」
穏やかな声が聞こえる。
「大丈夫ですか?」
顔を上げると、そこにはセラフ先生がいた。
「本当に今日は珍しいですね。」
手元の書類から顔を上げ、少し心配そうにこちらを見る。
「風楽先生が弱音を吐くなんて。」
「……。」
僕は机に突っ伏したまま唸る。
「少しだけ、自分が嫌になりまして。」
「何かありましたか?」
「いえ……。」
どう説明したものか。
まさか、
『周りから散々言われたせいで先輩教師三人の行動を思い返して勝手に恥ずかしくなっています』
なんて言えるわけがない。
「生徒たちに変なことを言われまして。」
「変なこと?」
「はい。」
観念してため息をつく。
「先生たちと仲が良いとか。」
「ほう。」
「鈍感だとか。」
「なるほど。」
「気付いてないとか。」
「……。」
セラフ先生が静かに目を伏せる。
何だろう。
今、一瞬だけ納得された気がする。
「それで。」
セラフ先生は顎に手を添えた。
「風楽先生は、何に気付いていないと言われたんですか?」
「それが分からないんです。」
「……。」
「だから余計に気になるんです。」
素直に答えると、セラフ先生は数秒ほど黙り込んだ。
やがて、小さく笑う。
「それは確かに気になりますね。」
「ですよね?」
「ええ。」
珍しく同意してもらえた。
少しだけ安心する。
「ただ。」
セラフ先生は椅子から立ち上がる。
「答えを急ぐ必要はないと思います。」
「そうでしょうか。」
「はい。」
そして、僕の机の横まで歩いてきた。
「人の気持ちは、問題集の解答のようにすぐ分かるものではありませんから。」
「……。」
「焦らなくても、そのうち見えてくることもあります。」
穏やかな声だった。
まるで諭すような。
それでいて、どこか自分自身にも言い聞かせているような。
「セラフ先生は大人ですね。」
僕がそう言うと、
「そうでもありませんよ。」
セラフ先生は苦笑した。
「私も、意外と余裕はありませんので。」
「?」
意味が分からず首を傾げる。
するとセラフ先生は話題を変えるように窓の外へ視線を向けた。
夕焼けが校舎を赤く染めていた。
「そういえば。」
「はい?」
「体育祭まで、もう一週間を切りましたね。」
「あ。」
確かにそうだ。
「借り物競争もありますし。」
「そうですね。」
「楽しみですか?」
そう尋ねられ、少し考える。
そして自然と笑った。
「はい。」
「皆さんと一緒に参加できますから。」
その言葉に。
セラフ先生の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「……そうですか。」
小さく呟く声は、夕暮れの静かな職員室に溶けていった。
「僕は、鈍感なつもりなんて一切ないんですけどね……。」
小さくため息をつきながら呟く。
すると、セラフ先生はくすりと笑った。
「そうなんですか。」
「それは、少し困りましたね。」
「もう。」
僕は頬を膨らませる。
「セラフ先生まで、そんな簡単に流さないでください。」
「流してなんていませんよ。」
セラフ先生は穏やかに微笑む。
「俺も、その鈍感さには随分振り回されていますから。」
「……え?」
思わず聞き返す。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。」
そう言うと、セラフ先生はゆっくりと僕との距離を縮めた。
「セ、セラフ先生……?」
逃げる理由も分からず、その場に立ち尽くす。
ふと、顎に温かな感触が触れた。
「……っ。」
セラフ先生の指先が、そっと僕の顎を持ち上げる。
「……!」
これって。
──顎クイ、ってやつじゃない……?
そう気付いた瞬間、かっと顔が熱くなった。
「ふふ。」
セラフ先生は僕の表情を見て、目を細める。
「その顔。」
優しく囁くような声が耳に届く。
「初めて見ました。」
「……っ。」
恥ずかしくて視線を逸らそうとしても、顎を軽く支えられているせいで逸らせない。
「風楽先生。」
「……はい。」
「その表情は反則です。」
「え……。」
「できれば。」
セラフ先生は少しだけ照れたように笑った。
「その顔、俺以外には見せないでほしいですね。」
「…………。」
心臓が一気に大きく脈を打つ。
さっきまでとは違う。
冗談なのか、本気なのか。
その境界が分からない。
「セラフ……先生?」
名前を呼ぶのが精一杯だった。
するとセラフ先生は、はっと我に返ったように手を離す。
「ああ、すみません。」
一歩後ろへ下がり、苦笑する。
「少し、調子に乗りすぎました。」
顎から手が離れた瞬間、ようやく息をつくことができた。
それでも。
さっき触れられた場所だけが、不思議なくらい熱を持ったままだった。
「……何をしているんですか、お二人とも。」
静かな声が職員室に響いた。
「……!」
僕はびくりと肩を震わせる。
振り返ると、書類を抱えた四季凪先生が職員室の入口に立っていた。
「あっ、四季凪先生…」
「お疲れさまです。」
セラフ先生はいつもどおり穏やかに挨拶を返す。
「ええ、お疲れさまです。」
四季凪先生はそう返しながらも、視線は僕とセラフ先生の間を行き来していた。
「……それで。」
眼鏡を軽く押し上げる。
「先ほどは、何をされていたんですか?」
「ああ。」
セラフ先生はあっさりと答える。
「風楽先生が少し落ち込んでいらしたので、元気づけようと思いまして。」
「元気づける、ですか。」
「ええ。」
「それで顎を持ち上げる必要があった、と。」
「……。」
一瞬だけ沈黙が流れる。
「まあ、多少は。」
「多少、ではありません。」
四季凪先生は小さくため息をついた。
「奏斗先生。」
「は、はい。」
急に話を振られ、思わず姿勢を正す。
「セラフ先生に何かされませんでしたか?」
「えっと……。」
さっきのことを思い出し、また顔が熱くなる。
「顎を、その……。」
言葉が続かない。
「……。」
四季凪先生は額に手を当てた。
「セラフ先生。」
「はい。」
「あなた、少し大胆になりすぎでは?」
「そうでしょうか。」
「ええ。」
「反省はしています。」
「反省している人は『その顔は俺以外に見せないで』なんて言いません。」
「……。」
セラフ先生は珍しく言葉に詰まった。
「えっ?」
僕だけが状況を理解できず、二人を見比べる。
「その言葉、何か意味があったんですか?」
「「…………。」」
二人は同時に黙り込む。
「奏斗先生。」
四季凪先生は静かに微笑んだ。
「あなたは本当に……。」
「はい?」
「いえ。」
小さく首を振る。
「そのままでいてください。」
「……?」
また分からない。
どうして今日の先生方は、みんな意味深なことばかり言うんだろう。
僕が首を傾げる一方で、四季凪先生は心の中で静かに決意していた。
——このままでは、本当にセラフ先生に先を越されますね。
「……そういえば。」
四季凪先生がふと思い出したように口を開いた。
「奏斗先生。」
「はい?」
「今日は確か、電車で来られましたよね。」
「ええ、そうですが……。」
「私実は、今日車で来ているんです。」
四季凪先生は鞄を肩に掛けながら微笑んだ。
「もしよろしければ、ご自宅までお送りします。」
「えっ。」
思わず目を瞬かせる。
「でも、ご迷惑では……。」
「迷惑ではありません。」
四季凪先生は静かに首を横へ振った。
「帰り道も同じ方向ですし、お気になさらなくて結構ですよ。」
「そうなんですか。」
少し考えた末、僕は頭を下げた。
「では、お言葉に甘えさせていただきます。」
「ええ。」
その返事に、四季凪先生はわずかに口元を緩めた。
その様子を見ていたセラフ先生は、小さく肩をすくめる。
「今日は四季凪先生に一歩譲るとしましょう。」
「……譲ってもらったつもりはありません。」
「ふふ。」
穏やかな笑い声が職員室に響く。
「それでは、奏斗先生。」
四季凪先生が車の鍵を手に取る。
「参りましょうか。」
「はい。」
荷物を持ち、四季凪先生の後を歩く。
職員室を出る直前、何気なく振り返ると、
「お気を付けて。」
セラフ先生が優しく手を振っていた。
「ありがとうございます。」
僕も軽く会釈を返す。
夕焼け色に染まった廊下を、四季凪先生と並んで歩き始める。
その背中を見送りながら、セラフ先生はぽつりと呟いた。
「……今度は、俺の番か。」
誰にも聞こえないほど小さなその声は、静かな職員室へ溶けていった。
一方その頃。
体育倉庫の片付けを終えた渡会先生は、職員室へ戻ってきて首を傾げる。
「あれ?」
「奏斗先生、もう帰っちゃいました?」
その問いに、セラフ先生は静かに頷いた。
「ええ。」
「今日は四季凪先生がお送りするそうですよ。」
「……そっか。」
渡会先生は少しだけ寂しそうに笑う。
「一緒に帰りたかったんだけどな。」
その本音を口にすると、すぐに照れ隠しのように頭をかいた。
「……次こそは。」
それぞれが胸に小さな想いを抱えながら、今日という一日はゆっくりと幕を閉じるのだった。