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「あー! 今日の最後のフリ合わせ、めっちゃ効いたわ……」
ダンスレッスンを終えたスタジオの外は、すでにすっかり日が落ちて冷たい夜風が吹き抜けていた。練習着のTシャツの胸元をパタパタとあおぎながら、たくやが大きなあくびを噛み殺す。
「でもこれで明日のリハ、バッチリじゃん。早く帰って風呂入ろうぜ」
メンバーのガヤガヤとした話し声が夜の駐車場へと響いていた。レッスン場から事務所が手配した送迎バスが待つ大型駐車場までは、暗い路地を歩いて数分ほどの距離がある。
先頭を歩いているのはゆうまだった。イヤホンから漏れる微かな音楽のリズムに合わせ、少し軽やかな足取りで前を進んでいる。
そのすぐ1メートルほど後ろを、ふみのりが歩いていた。
(……ゆうま、相変わらずあいつは周りが見えてないな)
ふみのりは、少し疲れた笑顔を浮かべながらゆうまの背中を見つめていた。ふみのりの後ろには、他のみんなが冗談を言い合いながら、かなり離れた位置で歩いている。楽しそうな声が遠くから聞こえてくる。
その時だった。
通りの脇にある狭い路地の陰から、ぬっと黒い影が飛び出してきた。
帽子の庇を深くかぶり、目元をマスクで覆った男。その焦点の定まらない怪しい目線は、無防備に先頭を歩くゆうまの背中に一直線に向かっていた。男の手には、小さく鈍く光るものが握られている。
(——なっ!?)
ふみのりの思考より先に、体が動いた。
男がゆうまの肩に手を伸ばそうとしたその瞬間、ふみのりは割り込むようにゆうまの前に飛び出し、その腕を力任せに押し払った。
「っ……あいつに触るな!」
「な、なんだお前は! 邪魔するな!」
男は予想外の反撃に焦りながらも、素早くふみのりの腕を強く掴み上げた。ふみのりは必死に抵抗しようとしたが、男の力は異常に強く、口元を強い力で塞がれてしまう。
「声を出したら……どうなるか分かってるな?」
耳元で囁かれた不穏な言葉と、背中に押し当てられた固い感触。
「……ッ!」
ふみのりは声を殺すしかなかった。ゆうまを振り向かせたら、ゆうままで巻き込まれてしまう。後ろのメンバーを呼ぼうにも、声が出ない。男は嫌がるふみのりを強引に引きずり、そのまま暗い路地の奥へと連れ去ってしまった。
その間、ゆうまはイヤホンの音と自分の足音にかき消され、全く気づいていなかった。
「ふみくん、バス着いたら何食べるか決めた〜?」
ゆうまは振り返りながら話しかけたが、そこにふみのりの姿はなかった。
「あれ? さっきまで後ろにいたのに……トイレでも行ったのかな」
特に深く考えることもなく、ゆうまはそのままバスに乗り込んだ。
◇
バスの車内は、レッスン終わりの疲労感と安堵感で少しだけ静かになっていた。
ゆうまは窓際の席に座り、隣の空いているシートに自分のリュックを置いた。そこは、いつものふみのりの指定席だった。
「おーい、みんな乗ったか〜? 出発するぞ〜」
ドライバーの声に、後方から返事が上がる。
「はーい!……あれ? ふみや、ふみのりは?」
「え? 俺ずっとたくやと話してたから見てないよ。ゆうまのすぐ後ろ歩いてなかった?」
その言葉に、ゆうまの心臓がドクンと嫌な跳ね方をした。
「え……? 僕の後ろ……? でも、バスに乗ってくるとき、いなかったよ……?」
「まじで? トイレかどこか寄ってるんじゃないの?」
みんながざわつき始める。ゆうまは急いでスマホを取り出し、ふみのりに電話をかけた。
プルルル……プルルル……
応答はない。何度かけても、コール音が虚しく響くだけだった。
「おかしいよ……ふみくん、無言でどこか行くような人じゃないのに……」
ゆうまの脳裏に、さっき歩いていた暗い路地の風景が鮮明に蘇ってきた。
自分はイヤホンをしていた。後ろで何かが起きる音を聞き逃していたとしたら? もし、自分のせいで——。
背筋に冷たい汗が伝う。
「僕、見てくる!」
「えっ、ゆうま待てって! 一緒に行くから!」
メンバーの制止する声を背中に受けながら、ゆうまはバスのドアを押し開け、夜の街へと全力で走り出した。
◇
「ふみくん! ふみくん!!」
冷たい空気を吸い込み、喉が痛くなるほど名前を叫びながら、ゆうまはさっき通った道を逆走した。
街灯の光が届かない、狭い路地。そこを通りかかったとき、地面に何かが落ちているのが目に入った。
(これ……ふみくんのキーホルダー……!)
間違いなかった。ふみのりが大切にバッグにつけていたものだ。
その先にある古びた空きビルの影から、低い話し声が聞こえた。
「おい、スマホ寄こせ! 金になるもの持ってんだろ!」
「……渡すわけ、ないだろ……ッ」
「ふみくん!!」
ゆうまは迷わず路地の奥へ飛び込んだ。
そこには、壁に追い詰められたふみのりと、刃物のようなものを持った男の姿があった。ふみのりは腕に軽い擦り傷を負いながらも、必死に男を睨みつけていた。
「ゆ、ゆうま!? なんで……来ちゃダメだ! 逃げろ!」
ふみのりの叫び声に、男が不気味に振り返る。
「なんだお前は、警察でも呼んだのか!?」
「ふみくんに手を出すな!!」
ゆうまは落ちていた金属製のパイプを拾い上げると、男に向かって大きく振りかぶった。荒い息を吐きながら、今まで見せたこともないような鋭い眼光で男を威嚇する。
「警察はもう向かってる! メンバーもみんなここに来るぞ!!」
ハッタリだった。だが、ゆうまの迫真の叫びと、向こうの通りから聞こえてきたメンバーたちの走ってくる足音に、男は顔を歪めた。
「チッ……クソが!」
男はふみのりを突き飛ばすと、そのまま路地の奥の暗闇へと逃げ去っていった。
「ハァ……ハァ……っ!」
ゆうまはパイプを投げ捨て、倒れ込んだふみのりの元へ駆け寄った。
「ふみくん! 無事!? 怪我は!?」
「ゆうま……お前、なんで戻ってきたんだよ……! 警察なんて呼んでないんだろ!? もしあいつが襲いかかってきたらどうするつもりだったんだよ!」
無我夢中でふみのりの肩を掴むゆうまの手は、小刻みに震えていた。そんなゆうまの様子を見て、ふみのりは大きく息を吐き出すと、痛む腕を押さえながら眉をひそめた。
「……ゆうま」
「え……?」
「無理しないでよっ!!」
ふみのりの怒声が、静かな路地に響いた。いつも優しくて、メンバーを包み込むようなふみのりが、本気で怒っていた。
「俺があいつを引きつけたのは、ゆうまを守るためだったんだぞ!? なのに、お前が一人で飛び込んできたら意味ないだろ! もしゆうまに何かあったら……俺、どうすればいいんだよ……!」
ふみのりの目が、うっすらと潤んでいた。自分の恐怖よりも、ゆうまが危険に晒されたことに対する怒りと不安で胸がいっぱいだったのだ。
ゆうまはハッとして、自分の行動を振り返った。
「……ごめん。僕、ふみくんがいなくなったって気づいたとき、すごく怖くて……。僕がイヤホンなんて聴いて隙を見せてたから、ふみくんが巻き込まれたんじゃないかって……」
ゆうまは俯き、ぎゅっと拳を握りしめた。
「助けなきゃって……それしか考えられなかったんだ。ごめんなさい……」
しょんぼりと肩を落とすゆうまを見て、ふみのりは深いため息をついた。そして、傷ついていないほうの手をゆうまの頭に乗せ、乱暴に髪を撫でた。
「……たく、反省してんならいいけどさ。でも……ありがとうな。来てくれて」
「ふみくん……」
「顔あげろよ。ほら、みんな来たみたいだぞ」
路地の入口から、息を切らしたメンバーたちが駆け込んでくるのが見えた。
「ふみのり! ゆうま! 無事か!?」
「警察呼んだから! もうすぐ来るよ!」
騒がしくなった路地の中で、ゆうまはふみのりの手を借りて立ち上がった。
「帰ったら、ちゃんと手当てするからね」
「おう。あ、でもゆうま、今日の夜飯奢れよ? 俺、超頑張ったんだから」
「え〜、ふみくんが無理したからでしょ?」
いつもの調子に戻った会話に、ふみのりは小さく笑った。擦り傷は少し痛むけれど、隣で少し安心したように歩くゆうまの姿を見て、ふみのりは深く胸を撫でおろすのだった。
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